第一章 ビスケットサンド(後日談)

 自動車事故現場での一件の直後、突然ふりだした激しい雨。


 りんことれいは、全身ずぶ濡れになりながら、ことば通りそれぞれの家へと帰っていった。

 あのレインコートの老人と子どもが追いかけてくる可能性もないではなかったが、もともと数か月にわたって、あの交差点に居座っている事からして大丈夫だろうと、れいは判断した。


 いつものおしゃべりがすっかり鳴りを潜め、話しかけても、しおらしくうなずくのみだったのは少し気になったが、きっと先ほどの恐怖のせいだろうと、小さな背中を見送った。

 れいも、この日はひどく疲れていたので、早く温かいシャワーを浴びて眠りにつきたかった。



 ―――次の日、りんこは学校に来なかった。


『ごめんね、あの子ちょっと熱出しちゃって、二、三日お休みさせるかもしれないわ』


 スマホが繋がらないので、りんこの家に電話してみると、りんこの母親が申し訳なさそうにそう告げた。

 雨にうたれたせいだろう。それに、りんこは小学生のころに病気で死にかけたことがあるそうで、両親は少々過保護ぎみなところがあった。


 りんこが休んでいる数日の間、まるでそれに合わせるように雨が激しく降り続け、通学路にはビニール傘をさして歩くれいの姿だけがあった。



 三日後、りんこはすっかり元のかしましさを取り戻し、学校に姿を現した。不思議なもので、長く降り続いた雨もやみ、まるで神話に出てくる太陽の女神の逸話のようだった。


 放課後、すっかり葉桜になってしまった街路樹を眺めながら並んで歩き、いつものコンビニへと向かう。雨の影響もあるが、見渡す限りの田んぼには一面なみなみと水が張られ、いよいよ田植えが近いことを知らせている。


 いつぞやとは反対に、この日はりんこがベンチでれいを待つことになった。膝の上に革鞄をのせてちょこんと座り、手持ち無沙汰に足をぷらぷらと揺らす。

 雨上がりの空気は澄んでいて、数日ぶりの暖かな日差しの中、草木の間を黄色や白色の蝶々がひらひらと舞い、とても気分が良かった。


『あっりがとござっまっしたー』

 自動ドアが開く音とともに、だいぶましにはなってきたものの、いまだ片言の店員の挨拶が聞こえ、れいが戻ってきた。


「おっかえりー」

 りんこが両手をふってれいを迎え入れる。何日も寝込んでいたとは思えないほど顔色がよい。普段から貧血ぎみで青白い顔のれいは、率直にうらやましく思った。


「なっにかなー、なっにかなー」

 もともとクリっとした大きな目を、さらに大きく輝かせながら、れいの手元のビニール袋を見つめる。ただでも容姿が子どもなので、このはしゃぎっぷりで、もはやただの子どもだった。


「ん。ちょいまち」

 れいは袋を広げると、青を基調とした横長のパッケージを取り出した。


「「びすけっとさんどっっ!!」」

 りんこが、うきゃー!っと跳びあがる。その嬉しそうな様子は、本当に全身から音符や星が飛び出していそうだった。


「こえ、でっか」

 れいは耳をおさえながら苦笑する。

 なんとなく、前にも食べているのを見たことがあったので選んだだけだったのだが、こんなにも喜んでもらえると悪い気はしない。もっとも、たとえ袋から何が出てきたとしても、この少女は同じように喜んだに違いないが。


「れいちゃん、ありがと。いっただきまーす」

 鼻歌まじりでパッケージを開けると、きれいに焼き上げたビスケットにサンドされた純白のバニラアイスが姿を現した。

 

 りんこが、その桜色のくちびるでくわえると、アイスは小さな楕円の形に切り取られた。

 

森永製菓 ビスケットサンド

ほおばった瞬間、バニラビーンズの芳醇な香りが口の中いっぱいに広がり、ふわっと鼻から抜けていく。ひんやりとしたアイスはなめらかだがしっかりとしていて、濃厚なミルクの風味が舌に残る。

 更に、そもそもビスケットを看板商品としている森永製菓である。アイスをサンドしているビスケットも、しっとりとしながらサクッという食感も楽しむ事ができ、ほのかな甘さと、わずかな塩気が見事なまでにバニラアイスを引き立てる。

 それほど目立つ商品ではないが、すべての要素がきわめて高品質で、神がかったバランスで合わさった究極のサンドアイスである。

(りんこ☆スイーツコレクション・アイス編より抜粋)


「ん~~~おぃひぃ~~」

 自分の頬に手をあてて、りんこが幸せそうな声をもらす。その整った顔がほんのりと上気し、瞳はうるんで、自然と口元がゆるんでいた。表現がむずかしいが、なんとも背徳感がある。


「あんた、いま顔ヤバいから。外でしちゃだめな顔だから」

 思わず周囲を見回してしまう。別にへんな事をしているわけではないが、他人に見られてはいけないような気がする。


「れいちゃんも食べる?」

 半分ほど食べたところで、思い出したように差し出した。

「大丈夫。今日は自分のも買ってきた」

 ビスケットサンドをもうひとつ取り出し、軽く左右に振って見せた。



「それで、けっきょくアレってなんだったの? おばけ?」

 ビスケットサンドをたいらげたりんこが、かわいらしいピンクのハンカチで口元をぬぐいながら、れいの方を見た。


「んー、おばけと言うか」

 ビスケットサンドをかじりながら、空を仰ぎ見る。なんとも表現がむずかしい。

「幽霊、かな。いや……怨霊か?」

 あの時はてっきり『マモノ』かと思って激しく動揺したが、冷静になって思い返すと、どうやらそれほどのモノではなかった気もする。


「たぶんあれは、見られる、とか見つけられる、という事に特化しているんだと思う」

 だから、そこまで高位の存在じゃないのに、りんこにもみえた。

 だから、も特に反応しなかった。


 れいは、ビスケットサンドを食べ終えると、ぺろりと唇をなめた。


「どうだった? ビスケットサンド」

「んー、ちょううまかった」

「でっしょー! んっふふー」


 なんでりんこが得意げになるのか。


 なんにせよ、無事でよかった。

 りんこに憑いている、あの化け物が暴れ出さなくて、本当によかった。


 嬉しそうに独自のアイス論を展開するりんこの向こう、今は街路樹の下に立ち、じっとこちらの様子をうかがっている。

 残念ながら、れいの語彙力ではアレを完全に表現できない。


 大きさは、りんこと同じくらい。つまり、だいたい小学校五、六年生くらい。

 人間でいえば膝下くらいまである長い髪のようなもの。顔どころか、どういう姿なのかもよくわからない。女の子のような形状の『闇』がそこにあった。

 真っ黒い人型のモノ、それが赤い赤い気味が悪いくらい赤いワンピースのような、服のような、もしかしたらそういう形に赤い部分があるのかもしれないが、とにかくそうゆう存在があった。


 りんこの話では、小学校五年生の夏、アレと出会っている。

 それからずっと、常にりんこの傍につかず離れず、でも必ず見える範囲にいる、らしい。今はりんこには見えていないのだが、れいが一緒にいる時にはいつも近くにいた。

 

 アレが何だかなんて事は、きっと誰にもわからない。

 少なくとも、人がどうこうできるものではないだろう。


 どうにもできないのだから、ひたすら刺激しないようにするしかない。


 まったく。

 やっかいな友だちをもったもんだよ。


「ねえ! ちゃんと聞いてる? れいちゃん」 

「ん。ぜんぜん聞いてなかった」

「えー、ひどくない? ……いいけど!」


にしし、と、また変な笑いかたをする。

 今日も、さわがしくなりそうだ。


 第一章 ビスケットサンド

 おしまい

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りんこにあったちょっと怖い話☆ 更科りんこ @corincorinco

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