第一章 ビスケットサンド(1の3)

 りんことれいが道草をくっていたコンビニエンスストアから、まっすぐ北に進むことおよそ600メートル。

 

 数年前に大規模な整備工事が行われ、幅の広いりっぱな国道と接続された大きな交差点がある。

 交差点に隣接するように整備された広大な土地には、地域最大のスーパーマーケットの建設予定地があり、色彩鮮やかな完成予想図が描かれた巨大な看板がぽつんとたたずんでいた。

 

 それ以外はこれといって記憶にのこるような物など何もない、ただ広くて大きいだけの交差点。ここはそんな場所だった。


 周辺にも立ち寄るような場所はなく、ただ通過されるだけ。

 りっぱな道路と交差点のわりには行き交う自動車や人の数は少ない。

 視界を妨げるような物など何もなく、見晴らしは極めて良好だ。


 そんな交差点の片隅に、一台の自動車が横倒しになっていた。

 

 その車両から少し離れた場所に、おそらく運転手であろう30歳前後の男性が座り込んでいる。どこかを切ったのか、わずかに出血のあとが見られるが、はたから見る限りでは大きな負傷はなさそうだった。

 他に事故にあった車両やけが人の姿は見当たらない。単独での事故だったのだろう。


 りんこもれいも、自動車の裏側(底と言うべきだろうか)を見たのはこれが初めてだった。


「わっ、わっ、なにこれ、すごいすごい」

 交差点にはパトカーや救急車、それに消防車が集まっており、警察官や救急隊員などが慌ただしく動き回っていた。


「れいちゃん、はやく! こっちこっち」

 ぴょんぴょんと跳ねながら、りんこが手を振る。


「あんた……ちっさいくせに……足はやすぎ……」

「ちっさいはよけい! れいちゃん、もっと運動しなきゃだめだよ」

 

 息も絶え絶えにようやく追いついてきたれいに向かって、りんこが肩をすくませる。れいは白い肌に玉のような汗をうかべ、疲労でうつむいているために長い髪がべったりと顔を覆っていて、なんだか井戸の中から出てきそうな風貌になっていた。


「あたしは……こう見えて、頭脳派なんだ……」

 肩で大きく息をして呼吸を整えるれいを見ながら、どこからどう見ても肉体派ではないよね、と思わずにいられない。


「また、ここで、事故なんだ」

 ようやく動悸がおさまってきて、改めて周囲の様子を眺める。


「ねー! 多いよね。たしか先月にもあったよね」

「ん。先々週かな」

「こーんなに広くて見晴らしいいのにねー」

 たしかに。自分は自動車を運転したことはないが、一見安全な道路に見える。


「そうだね。もしかしたら居眠り、とか」

 あるいは、酒に酔っていた、とかかもしれない。

 たしか、以前の事故も自動車の単独事故だったと思うが、巻き込まれた人や車がいなかったのは不幸中の幸いと言うべきか。


「あれ? あの運転手の人どうしたのかなー? あっちになにかあるのかな」

 りんこの不思議そうな声につられて、彼女が指し示す方を見ると、事故をおこした男性が何かを見つめて指でさしているのが見えた。

 どことなく、様子がおかしい。


「あ、あっちにも人がいるねー!」

 再びりんこの声で視線を動かす。しかし、れいはこの時すでに嫌な気配を感じていた。この感じ、これには覚えがある。


 交差点の反対側の歩道、横断歩道にさしかかる手前のあたりに『それ』はいた。


 それが視界に入った瞬間、強烈な悪寒に襲われる。全身の産毛が逆立ち、風など吹いていないにも関わらず風圧を感じて一歩後ずさった。

 

 周囲を行き交う警察官や救急隊員、消防士などには恐らくみえていない。それがそこにいる事などまるで意に介していないのが見て取れる。


 その姿は、濃い灰色のレインコートを着た老人と、淡い水色のレインコートの子ども。それぞれ黒と青のゴム長靴を履いている。フードを目深にかぶっているため、顔はよく見えない。


 見晴らしの良い安全だと思われる場所で、頻発する単独事故。

 その原因は『あれ』ではないのか。あれが何かしたと言うよりも、あれが見えた事により、あれに心をうばわれて結果的によそ見運転をしてしまったのだとしたら。

 

 しかし、今はそんな事はどうでもいい。

 なによりも驚愕なのは……


 ――りんこにも、みえている――


 理由は割愛するが、あの子はそんじょそこらのそのたぐいのモノを寄せ付けない。そのりんこにみえているという事は。


「なんてこった」


 まったく、なんでりんここいつはこんなにも引き寄せやすく、引かれやすい。厄介にもほどがある。


「れいちゃん、なんかあれおかしくない?」

 りんこも、ようやくあれが生きている人間ではないことに気がついたのだろう。

 珍しく青ざめた顔をして、声がふるえていた。


「ね、ね、おかしいよね! へんだよねっ!」

「ああ、おかしいね。ほら、もう行こう」

 これ以上かかわるのは非常にまずい。

 あれもヤバいが、こっちにはさらにヤバい爆弾がある。

 刺激したくない。どうなるかわからない。


 りんこの震える手をにぎって、この場をはなれるため、振り向こうとしたその瞬間、あれの姿がない事に気が付いた。


 あ、これ、やばいやつ。


 わかってしまったが、もうとめられない。

 2人が振り向いたその瞬間、目の前にはレインコートの老人と子供。その光を宿さない虚ろな目に、悲鳴をあげる寸前の2人の顔が映る。


 ―――――――――!?


 声にならない悲鳴をあげて、なかよく並んで尻もちをついた。

 腰を抜かしてへたり込むと、手を握り合いながら、涙を浮かべる。

 ちからなく座り込んだりんこのスカートの下から、音もなく透明な水たまりが広がっていった。


 つづく

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