紺珠記

春乃ヨイ

紺珠記


 わたくし藤原詢子ふじわらのとうこ様にお仕えし始めたのは十を少しばかり過ぎたかという年の頃でございました。そのかみの私は、常陸守ひたちのかみであった父が帰京するのについて東路の果てから都へ上ったばかりの田舎だちたる小娘で、世に聞こえた藤原の姫君は私にとってまさに雲上の人でした。


 広いお邸を年配の女房頭に連れられて、初めて詢子様に御目通りした時のことは今でもよく覚えております。御簾越しに聞こえる声の澄みのぼりたること、畳の縁にかかった襲の色目の綾なること。その場で身を固くして低頭するだけの私に、詢子様は短くおっしゃいました。


「よい。顔を上げよ」


 恐る恐る頭を上げた私の目に映ったのは、扇の先で御簾を掲げた姫君のお姿でした。淡雪の肌に丹花の唇、芙蓉の如くほんのりと赤く色づいたまなじりはえも言われず艶やかで、丁寧に梳かれた射干玉ぬばたまの御髪はつやつやと長く、肩のほどで切り揃えた下り端が薄絹の上を滑り落ちていく様もまた大層美しゅうございました。涼やかな瞳に真っ直ぐ見つめられ、私は畏まることも忘れてただただ呆けたように詢子様を見上げておりました。心あくがるとはまさにこの時の私のことを申すのでございましょう。


「そなた、好きな花はなんじゃ」

「——は、あ、えっと、う、梅にございます」


 我に返った私があたふたとお答えしますと、


「それではこの邸では紅梅こうばいと名乗るとよい」


 詢子様はそうおっしゃって、「よく励めよ」と嫣然えんぜんと一笑なさいました。




 六条のお邸には女主人である詢子様と女房下男が合わせて十数人ほど住んでおりました。詢子様はご両親を早くに亡くされ、お身内といえば叔父上にあたられる藤原の左大臣と既に出家なさって世を背かれた八つ年上の兄君がいらっしゃるばかり。さほど広くもないお邸に何故これほど多くの使用人がいたかと申しますと、美姫と名高い詢子様のもとには都中の公達が言寄ってきていたからでございます。主人からの文を携えた従者が次々に取り次ぎを頼み、門の前には毎日のように貴人の乗った牛車が停まり、邸の中はいつも忙しく人が立ち歩きしておりました。しかし、天女もかくやという清らなるお姿でありながら、詢子様は殿方に対しては殊に無慈悲でございました。


 届けられた文に返事を書くこと自体まれで、ときおり紅梅、紅梅と私をお呼び寄せになっては文を広げ、何と拙い口説き文句かとくすくすお笑いになるのです。私は詢子様に分けていただいた甘い唐菓子を前歯で齧りながら、幼心にもなるほどこういう文句は厭われるものかなどと思っていたものでございます。

 相手があまりに熱心な場合には御簾越しにお会いになることもございましたが、その際には決まって難しい漢籍の話を吹っ掛けるなどして手酷く跳ねのけなさっていました。運よく邸の中に入れたとしても月が昇るまでには必ず帰らせられてしまうことから、詢子様には「月白姫つきしろひめ」という異名が付いておりました。


 私がお仕えしてまだ間もない頃に、さる中将が薄い玻璃の杯を贈り物として六条に届けさせたことがございました。詢子様に喜んでいただくためにわざわざ海の向こうから取り寄せた大層高価で貴重な品だということでした。白く澄んだ杯に私が見とれておりますと、詢子様が箱の中からすっと杯を取り、高くお掲げになりました。そして次の瞬間、一寸の迷いもなく手をお離しになったのです。がしゃんと嫌な音がして、美しい杯は真っ二つに割れてしまいました。


「贈り物ならばいっそ天竺てんじくの仏典でも持ってくればよいものを」


 詢子様はそのまま割れた杯に一瞥もくれず、帳の向こうへと下がっておしまいになりました。以降、豪奢な螺鈿の箱も見事な貝合わせの一式も透き通るような水晶の数珠も珍しい唐物の白磁も、どなたがどんな宝物を贈ろうとも詢子様のお気に召すことはなく、全てその手で毀たれてしまっていたのです。割れた破片の後片付けは私の役目でございましたが、私は拾った欠片をこっそりと自室に置いた壺にしまい、ときおり取り出しては陽に透かしてみておりました。鋭く割れた断面がきらきらと輝き、色とりどりの光が幾重にも重なる様はまるで夜空に浮かぶ天の川のようでございました。


 如何な文も如何な贈り物も詢子様にとっては等しく心の外でしたが、唯一の例外が兄君である禅師ぜじの君から届く文でございました。華やかな薄様にしたためられた恋文と違って禅師の君のお使いになる紙は白くごわごわとしておりましたが、いつも決まって東芳寺の境内に咲く花が添えられておりました。兄君から文が届くと詢子様は真っ先に目をお通しになり、いそいそと墨を磨ってお返事をお書きになるのです。詢子様の字は流れるようにたおやかで、私はよく姫様の書き写された書を手習いの見本にしておりました。文に添えられた花は文机の上に飾られ、その花弁の最後のひとひらが落ちるまで取り遣られることはございませんでした。




 世になく美しき月白姫の噂は遠く雲居にまで聞こえていたようでした。詢子様が宮中に参上なさることはほとんどありませんでしたが、当代きっての歌人が幾人も集う春の曲水の宴にだけは足をお運びになっていました。詢子様はくねり流れる小川の上を薄桃色の花弁と盃が滑り行く様を御簾の向こうから透かし見るようにしてご覧になっていただけでしたが、天生の麗質は自ら棄て難しと申します。宴の翌日、実娘の順子のぶこ様に次いで姪御も入内させよというおかみ上の内々の命を受けて藤原の大臣おとどが六条のお邸をお訪ねになりました。「これまで男という男を近寄らせなかった甲斐があるというものよ」と大臣は大層上機嫌でございましたが、詢子様は頑としてお聞き入れにはなりませんでした。


「何が不服なのじゃ。そなたももう十八、女としてこれ以上の誉れがどこにある」

「誉れ? 叔父上にとってはそうなのでしょうね」

「詢子、儂はそなたの身を思って――」

「白々しゅうございますぞ。順子姫はついに男皇子をお産みにはならなかったのでございましょう。それで次は私と?」

「孤寺に預けられていたそなたをわざわざ引き取って育てたのはこの儂じゃぞ」

「そのようなこと、頼んだ覚えはありませぬ」


 脅してもすかしても詢子様はけんもほろろなお答えを返すばかり。その日はついに大臣の方がお引きさがりになりましたが、お帰りになる際に一言、吐き捨てるようにおっしゃいました。


「帝の命を断るなど、月人でもあるまいに」

「月へ行けるというならば、この身みにくい蟇蛙になろうとも構いませぬわ」


 即座に詢子様がぴしゃりと言い放たれました。柳眉を寄せて扇越しに大臣を見上げる視線は氷のように冷たく険しゅうございました。


 私はお役目がら詢子様とお客人の会話を耳に挟む機会も多くありましたが、なにぶんひな育ちの無学な子供でございましたから、詢子様のおっしゃっていることが分からないといいうこともしばしばございました。この時も、藤原の大臣が竹取のかぐや姫のことをおっしゃっているのだろうというところまでは分かったものの、詢子様がおっしゃった蟇蛙というのが何を指しているのか見当がつかなかったのです。何か有名な歌やら物語やらからお引きになっているのでしょうが、他の女房に聞こうにも唐趣味の詢子様がお引きになるのは漢籍からのものが多く、みな首をかしげるばかりでした。


 こうした時に私が頼りにしていたのが東芳寺の真魚まおという稚児でございました。私よりも幾つか年かさの少年で、禅師の君からの文の使いとして自然私と顔を合わせることが多かったのです。浅葱色の童子水干と長い垂髪がこざっぱりとしていて、何を尋ねてもすらすらと答える聡明さと柔らかな物腰が親しみやすく、私は真魚殿を兄のように慕っておりました。


「月と蟇蛙というのは何か関係があるのでしょうか」


 邸の縁側に並んで座って、私は真魚殿に問いかけました。縁側からは小さなお庭を見通すことができ、青々とした竹が覆い茂る中にぽつりぽつりと赤い牡丹が見える頃でございました。私の問いかけに真魚殿は少し考えてからすぐに口を開きました。


唐土もろこし嫦娥じょうが伝説というものがあります。嫦娥は弓の名人と呼ばれた羿げいの妻で、夫が崑崙山こんろんざん西王母せいおうぼという女神から貰い受けた不老不死の薬を飲んで月に奔り、蟇蛙に姿を変えたと言われているのです」


 真魚殿の声は優しく穏やかで、私は彼が六条の邸を訪ねて新しい物語を聞かせてくれることをいつも楽しみにしておりました。敵に囲まれ、愛する人との別れを惜しみながら自ら命を絶った虞姫ぐきの話、漢の宮女でありながら異郷に嫁がされた王昭君おうしょうくんの話、なじみの詩人に捨てられ、悲しみと恨みから命を落とした遊女の話、神仙の窟に迷い込んだ男が美しい仙女と愛を交わす話、真魚殿のお話は華やかな恋物語が多うございましたが、今思えば寺でそのような書を読むわけもないのですから、わざわざ少女好みの色めいた話を調べて来て下さっていたのでございましょう。

 

 話に聞く男女の仲は甘やかであり苛烈であり、私は真魚殿のお話を聞きながら、詢子様にもどなたか想い人がいらっしゃるのではないか、そのために入内の話を頑なにお受けにならないのではないかなどといったことを考えておりました。片恋なのかそれとも叶い得ぬ恋なのか、それでも詢子様に想われるお方ならばきっと類なき方なのだろうと、そう思っていたのでございます。




 入内の話は一向に進まないままに、月白姫入内の噂だけは逸早く都中に広まっておりました。女御になられる方に手を出したとなれば大事と邸を訪れる人はめっきりと少なくなりましたが、藤原の大臣だけは繰り返し何度も邸をお訪ねになっていました。その日も一通り詢子様を説得なさっていましたが、無駄骨だとお察しになったのか、突然話を変えられました。


「このごろ都には寺社が増え、兵を抱えては権力を恣にする者どもも現れてきておる」


 手慰みに扇を弄んでいた詢子様の指がその時ぴたりと止まりました。


「先日の朝議でも問題になってな、一度増えすぎた寺を取り遣った方が良いということになったのじゃよ。どの寺を廃すかは主上の一存。儂などが何を言うても関係ないであろうが、そなたなら……のう詢子、分かるな?」


 詢子様は黙って唇を噛んでいらっしゃいました。初めて、あの詢子様が何も言い返さなかったのでございます。大臣がお帰りになると、私は堪え切れずに詢子様の傍へと駆け寄りました。


「あんまりでございます。東芳寺を、兄君を質に取るなんて、叔父上様とてあまりにひどうございます」


 東芳寺は詢子様が幼き日に過ごされた場所、今も禅師の君が大切に守っていらっしゃる場所でございます。それを踏みにじろうとするなんて、私は我が事のように悲しくて悔しくて、気付けばぼろぼろと涙が零れておりました。


「紅梅、そなたが泣かずともよいではないか」


 詢子様は困ったように微笑まれて、私の頬をそっとお撫でになりました。


「そうじゃな、兄上は政になど興味はおありでないのだから、斯様なことに巻き込みたくはなかったものを」

「詢子様はご家族思いなのですね」


 私がそう申しますと、詢子様は意表を突かれたようなお顔をなさって、それから口元を押さえて声を出してお笑いになりました。あまり長い間笑っていらっしゃるので何かおかしなことを申してしまったのかと私がおろおろとしておりますと、


「家族思い、そうか、そなたにはそう見えるか」


 ふふと笑いながら零されたお言葉には、どこか自嘲するような響きが滲んでいるように私には感じられました。




 詢子様が入内をお決めになったのはそれから数日も経たぬうちでございました。我が世の春とばかりに上機嫌の大臣が入内の準備を着々と進めていく中、うそうそ時の頃に東芳寺から禅師の君が訪ねて来られたとの知らせが入りました。

「詢子様、どちらにお通しいたしましょう」

「——西のひさし案内あないせよ」


 その頃は入内の支度にみな大忙しでしたから、私も門の下男にその旨を伝えると、すぐに装束の点検に戻りました。畳の上に広げられた衣は左から順に白から淡紅、紅から蘇芳へと色を変え、雪の朝に花が綻ぶかのように大層華やかでございました。他の女房たちと衣の糸目に綻びがないか一つひとつ目で追いながら、私は何故詢子様が禅師の君を西の廂にお通しさせなさったのだろうかとぼんやり考えておりました。詢子様がお客人とお会いになるのはいつも母屋だったからです。西の廂、西の廂と考えながら指を滑らせるうちに、私には一つの予感とでも言うべきものが浮かんだのです。


「紅梅? どこへ——」


 気付けば私は立ち上がっておりました。どこへ向かうのか、向かって何をするつもりなのか、私には何の考えもございませんでした。それでも、何かに突き動かされるように私は渡殿を渡っていたのでございました。


 鶯鶯伝おおうおうでん

 真魚殿から聞いた唐の物語でございます。張生という才氏が戦乱の最中、旅先の寺で美しく聡明な鶯鶯という娘に出会って深い仲になるものの、男の科挙受験や世の理によって引き裂かれ、二人違う道を行くことになるというお話でした。物語の初め、鶯鶯と心を通わせたいと願った張生は侍女の紅娘を通じて彼女に詩を贈り、その返事として届いた詩がこうでございました。

 

  月を待つ西廂の下、風を迎えて戸半ば開く。

  かきはらって花影動く、疑うらくは是れ玉人きたるかと。


 西の廂の下で月の出を待ち、風を入れるために戸を開き、垣根で花が揺れているのは愛しい人が来たからではないかと、そういう歌でございます。そうして張生と鶯鶯、結ばれ得ぬ二人の恋人は月の出る夜に西の廂の下で初めて忍び逢ったのです。


 渡殿を渡り終わると、西の廂からは軽やかな琵琶の音が聞こえてまいりました。閉ざされた蔀戸の隙間から行燈の光が漏れだし、私はその隙間から中を覗き見てしまったのです。薄明りに照らされた禅師の君のお顔はまるで鏡に映したように詢子様にそっくりでございました。綺麗に剃り上げられた色白の肌が麗しく、伏せた目元の涼やかなること、引き結んだ唇の凛々しきこと。琵琶を両の腕で抱くようにしてお持ちになった詢子様は弦の上を滑る細い指を見つめていらっしゃいましたが、つと目線だけを兄君の方へお上げになりました。瞬間、私は廂の中から目を背けました。心の臓が早鐘を打つようにどくどくと響いておりました。詢子様が兄君を見つめるそのお顔を、私はついぞ見たことがなかったのでございます。


 禅師の君がお帰りになるのを私は後ろからついてお見送りしておりました。その道中、簡素な墨染の衣の袖に薄く白粉が付いていることに気が付いたのです。私は声を掛けようと口を開きかけ、そしてそのまま閉ざしました。


「紅梅殿」


 突然名を呼ばれ、私は驚いて顔を上げました。


「真魚がよくあなたの話をするものですから」


 禅師の君は慌てたようにそうおっしゃると、


「妹を頼みます。あれは気丈に振舞っていますが、入内ともなると不安なことも多いでしょう。私も既に俗世を離れたとはいえ、血を分けた唯一の妹のことは気にかかるのですよ」


 そう微笑まれたお顔は仏様のように慈悲深くて、私は訳もなく胸が苦しくなりました。既に陽は沈み、澄んだ瑠璃色の空には明るい満月が輝いておりました。




 入内の日、豪勢な装束に身を包んだ詢子様は、それはもう照り映えるように美しゅうございました。全てのご準備が整うのを見届け、一足先に参内される藤原の大臣は去り際に一言、詢子様の耳元で囁かれました。


「その執心は、いつかそなたを滅ぼすぞ」

「——叔父上もお気をつけなさいませ。足元をすくうのは敵方だけとは限りませぬから」


 笏を首筋に当てられたまま、詢子様は表情を変えることもなくそうお答えになりました。大臣の高笑いが遠ざかりますと、詢子様は目の前に置いてありました鏡を畳の縁へと投げつけられました。入内の祝いにと主上がお贈りになられた鏡は音を立てて割れて畳の上へと飛び散り、私は腰をかがめてその破片を拾おうといたしました。その時、詢子様がそっと手をお出しになったのです。白魚の指が鋭い破片に触れ、指先からぷくりと血が滲み出しました。


「危のうございます」


 詢子様は指先から滴る赤い血を見つめ、そしてそっと口に含まれました。その様を、私は手を差し出すのも忘れて見つめておりました。


「血など、ただ苦いだけのものを」


 しばらくして、ぽつりと詢子様がお呟きになりました。私は無言のままでございました。


「詢子様、お車のご準備が整いました」


 几帳の外から聞こえた声に、詢子様はお立ち上がりになりました。それから一度も振り返ることをなさらずに詢子様は輦車てぐるまにお乗りになり、入内なされたのでございます。




 つらつらと筆の赴くままに、中宮詢子様のお話を書き連ねてまいりました。詢子様は入内されてから主上の御寵愛を一身に受けて二人の男皇子をお産みになりましたが、十二年前、禅師の君が亡くなったのちに後を追うように身まかられました。真魚殿、いえ俊正様は遣唐使として唐土にお渡りになり、使節が廃止された今となってはどちらにいらっしゃるのか知る術もございません。昔語りの相手ももはやおらず、割れた鏡を取り出して見れば映るのは一人の老女のみ。優れて時めきなさった詢子様のお心が果たして安けきものであったのか、言問うにも詮方なく、ただ詢子様と禅師の君の菩提を弔い、東芳寺の庭先の梅の花を心慰めにするだけの毎日でございます。

 詢子様について宮中へ上がり、世の栄華も零落も見聞きした私ですが、今となってはあの時、六条のお邸で過ごした日々こそが私の少女時代の最も華やいだ時であったように思われるのでございます。

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