モブ子が推して参ります!

白間黒(ツナ

モブ子が推して参ります!


「……モブ子、今日のトイレ掃除代わりにやっといて。私達カラオケ行くから」

「あ、わかりました……」


 ホームルームが終わると、私はいつも通り陽キャの皆さんに言われてトイレへ向かいます。

 モブ子なんていう呼び名は私がモブ過ぎて呼ばれ始めたわけではなく、中学校に入った時に周りにそう呼ばせたのがきっかけでした。

 向日葵という名前は私には明るすぎて、呼ばれるたびにもっと明るくなれって言われているようで、小さいころから私には重荷だったりして。

 反面、モブ子って周りに呼ばれると、モブでもいいんだって言われているようで安心する。そんな、生粋のモブ根性の表れでした。

 トイレに入って鏡を見ると、浮かない顔をした自分と眼が合いました。ぼさぼさの黒髪にヘッドフォン。常に下を向いているせいで猫背が板についているようでした。

 濡らした布巾で鏡の自分を拭っても、暗い顔が明るく変わるわけもなく。まるで日の当たらない向日葵みたいだと自嘲気味に思ったところで、私はたとえ陽の光に当たっても明るく咲くことはできないだろうなと思いなおします。

 学校が辛くないと言えば嘘になりますが、私にはある生きがいがありました。


「……やっぱり、SHINEの曲はいいなあ」


 トイレ掃除を終えて教室に戻ると、私はすぐにヘッドホンを装着して推しのアーティスト――SHINEのアルバムを繰り返し流します。金髪碧眼の日本人離れした容姿に透明感のある歌声。そして、どんな曲でも歌いこなす圧倒的な歌唱力。SHINEは私と同じ十四歳なのにアーティスト名に負けないくらい眩しくて、キラキラしてて、私はそんな彼女の歌声に勇気と希望をもらっていました。

 どれだけ現実が辛くても、推しのことを考えている間は忘れられる。SHINEは私にとって、まさしく希望の光でした。


「一度でいいから、SHINEの歌を直接聴きたいなあ」


 それは、ここ最近の願望でした。画面越し、スピーカー越しでもこんなに心を動かされるなら、直接聴いたらどうなってしまうのでしょうか。


「……ねえ」


 自分の世界に浸っていると、ふと、ヘッドフォンの外から聞こえてくる声に背筋が凍ります。


「な、なんでしょう」


 声のした方へ振り返ると、派手な改造制服に身を包んだ金髪ギャルが立っていました。確か、隣の席の夜ノ灯よるのあかりさん。人の名前を覚えるのは苦手ですが、よく学校を休んでいるので、いろいろと噂をされているのを聞いたことがあります。夜遊びをしてるだとか非行少女だとかなんとか。そんな風に言われているのに当の本人はどこ吹く風で。人の目を気にして生きている私とは正しく正反対な存在でした。


「今歌ってたの、SHINEの曲だよね。好きなの?」

「し、知ってるんですか⁉」


 SHINEはここ最近有名になり始めたアーティストで、まだまだ一般的には認知度は低いはずでした。音楽に詳しいギャルの方でしょうか。

 私が見つめていると、灯さんは「いつもトイレから歌声が聞こえるから……覚えた」と言って眼を逸らしました。

 文句の一つでも言いに来たのでしょうか。そう考えると、心に雲がかかります。私みたいなモブは、隅っこで自分の世界に入ることすら許されない存在ですし、仕方がありません。


「あはは、私みたいなモブがトイレで歌っててすいません。キモイですよね」

「そんなことない」


 予想もしない返答に顔を上げると、真剣な顔を浮かべた灯さんと眼が合いました。


「好きな事に夢中になってる人をそんな風に言ったりしない」


 灯さんの口から出たのは、ダウナーな外見からは想像もつかないほどまっすぐな言葉でした。もしかして、オタクに優しいギャルってやつでしょうか。まさか実在したとは……。

 私が感動していると、灯さんは当然のように隣の席に腰かけます。


「直接聞きたいって言ってたけど、ライブとか行ったりしないの?」

「私はただ画面越しで眺めてるだけでも十分っていうか、推しに会いに行くなんて恐れ多いというか……」


 だって私モブですし。最初から住んでいる世界が違うっていうか、そもそも推しは遠くから眺めるもので、会いに行くのは解釈違いっていうか。


「それに、私みたいなモブが会いに行っても、嫌な気分にさせるだけですし」

「そんなことないと思う。誰だって自分のことを好きだって言ってくれたらうれしいし、会いたいと思うよ?」

「そうでしょうか……」


 謙遜というにはあまりにも情けない言い訳に、またしても前向きな言葉が返ります。そんな風に考えられたら、今頃苦労はしていません。やっぱり、ギャルのマインドは私とは正反対みたいです。


「そういえば」


 私がうじうじしていると、灯さんは制服のポケットから一枚の紙を差し出しました。


「友達からSHINEのライブチケットを貰ったんだけど……私は要らないから、もらってくれない?」

「お、オタクに優しいギャルですか⁉」

 灯さんが差し出したのはファンクラブ限定イベントのチケットで、ちょうど歩いて行ける距離でした。

 つい心の声を全力で漏らしてしまうと、案の定灯さんは不機嫌そうな顔を浮かべて「いらないの? チケット」と言ってチケットを上下に動かします。


「い、いります! ありがたく頂戴いたします!」

「そ。ならよかった。私は用事があるから、これで。楽しんでね」


 そう言って灯さんはそそくさと帰ってしまいました。


「どうしよう……」


 結局、ギャルに背中を押されたばかりかチケットまでもらってしまいました。イベントの日程は明日。正直、心の準備ができそうにありません。

 だけど、ここで行かなかったら一生ライブに行くことなんかできないだろうなと思う自分がいることに気が付きました。

「目立たないようにすれば、大丈夫かな……」


§


 イベント当日。私は結局、ライブハウスのアングラな雰囲気と観客の熱量に飲まれて楽しむどころではありませんでした。観客は大きいお兄さんお姉さん方ばかりで、貧弱な中二オタクの私はステージの上で歌うSHINEを見ることができず。結局、人の熱気にやられて茹るような頭を押さえてライブハウスを後にします。


「……ねえ」


 とぼとぼと俯いて夜の街を歩いていると、ふと、ライブハウスの方からまっすぐな声が聞こえたような気がして立ち止まります。


「ど、どうしてここに……」


 振り返ると、推しのアーティスト――SHINEが立っていました。ネオンの光に負けないくらい明るい金髪に空のように蒼い瞳と純白の衣装。眩しいくらいの微笑みも相まって、まるで天使のようでした。私が言葉を失っていると、SHINEは私の手元に視線を落として口を開きます。


「それ、チェキ会のチケットでしょ? 使わなかったの?」


 ライブの後はチェキ会があったのですが、陽キャたちの中に割って入る勇気は最後まで出ず。私はせっかく買ったチェキ会のチケットを握りしめていました。


「推しとツーショットなんて恐れ多いというか……」

「せっかくチケット買ってくれたんだし、何かしてほしいことある? チェキが嫌なら握手とか、サインとか」


 クラスの陽キャたちみたいな人だったらどうしようと思っていましたが、SHINEはやっぱりファンに優しいアーティストでした。


「じゃ、じゃあ、サインだけお願いします。いつも聴いてるCDに」

「お安い御用だよ。名前は?」

「も、モブ子でお願いします」


 私がそう言うと、SHINEは呆れたようにため息を吐きました。


「せっかくの機会なんだから本名にしなよ。その方が思い出になるんじゃない?」

「……私、自分の名前が嫌いなんです。私は根っからのコミュ障で、おまけに日陰みたいに暗くて、水たまりみたいにじめじめしてて。そんな私に明るい名前は似合わないというか……」


 SHINEの前なのにそんなことしか言えない自分が嫌になります。嫌な気持ちにさせたんじゃないかとSHINEの顔を伺うと、SHINEはそんな私にかまわずCDにサインをしたためていました。


「とりあえず本名で書いておいたから。今後、私の前では本名を使うこと」


 そう言って差し出されたCDには、かわいらしい文字で『向日葵』と書いてありました。当たり前ですが、イベントのチケットは私の名義ではないので、SHINEが私の名前を知る由はありません。


「ど、どうして私の名前を……?」

「やっぱり気付いてなかったんだ」


 そう言ってSHINEがおもむろに金髪を後ろで束ねて肩から掛けると、見覚えのあるギャルの姿と重なりました。


「まさか、チケットをくれた……」

「そう。私の名前……というか、正体は夜ノ灯。SHINEっていうアーティスト名は本名からとってるの」


 隣の灯さんはオタクに優しいギャルじゃなく、ファンに優しいアーティスト様でした……。SHINEの口から灯さんの名前が出た時点で疑う余地はありませんが、私には一つだけ気になることがありました。


「ど、どうして私にチケットをくれたんですか?」

「言ったでしょ。誰だって自分のことを好きだって言ってくれたらうれしいし、会いたいと思うって」

「じゃあ、よく学校を休んでるのも」

「レッスンとか、イベントとかでね。まあ、学校を休みがちになってたのはアーティスト活動を始める前からだったけど」

「そ、そうなんですか」

「そ。私は学校が好きじゃないからね」


 端的に言って、意外でした。SHINEはどんな時でもキラキラしていて、とてもじゃないけど私と同じ思いを抱えていたとは思いませんでした。


「私の外見は日本の学校だと目立ちすぎるから。外見だけで判断されるのがうざくなって、中学に入ってからは禁止なのにカラコン入れたりメイクしたりするようになった。日本や学校に自分の居場所なんかなくて、それでも、本当の自分を誰かに知ってほしい。そういう気持ちを歌ってるのがSHINEっていうわけ。だから、SHINEの曲が好きだって言ってくれてうれしかった」


 そこまで言って、SHINEは照れくさそうに笑いました。


「幻滅した? SHINEの正体がこんなやつで」

「い、いえ」


 むしろ……今まで以上にファンになりそうです。


「よかった。このことは、私達だけの秘密だよ?」


 そう言って、SHINEは芝居かかった仕草でウインクをして見せます。いたずらに成功した子供のようなその表情に、私は釘付けになってしまいました。

学校では日の当たらない向日葵だけど、SHINEの前でなら前を向ける気がします。

 何より、CDに刻まれたSHINEのサインを見ていると、重荷だった自分の名前も宝物のように思えるような気がしました。散々だったライブイベントも、SHINEと話せただけで特別な思いでに変わってしまう。やっぱり、SHINEは私にとって希望の光でした。


「あ、あの!」


 気づけば、私はライブハウスに戻っていくSHINEの背中を呼び止めていました。勇気を出して話しかけてくれたどころか、ライブが終わった後もこうやって追いかけてくれたSHINEにどうしても言いたいことが、言わなければならないことがあったような気がしたのです。


「これからも、モブ子が推して参ります!」


 突然の宣誓にSHINEは驚いたような顔をしたかと思えば、


「またね、向日葵。明日は曲の感想を聞かせてよ」


 と言って、太陽のように眩しい笑顔を浮かべました。

 忘れていましたが、SHINEは隣の席のギャルでした。推しが学校にいるというだけで、学校に行くのが辛くない。この日から、私は生涯SHINEの事を推していくと誓ったのでした。

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