Scene16 神似は現実を突きつけて、警鐘を鳴らす

「大活躍だったようじゃないか、〈巫顧ふこ神仏しんぶつ〉」

 しんさんはちゃすように、そう言った。


 事件解決から一週間後、巫女みこがみ演算えんざん事務所の午後である。


 あれから、まきさんは病院に運ばれた。

 彼女は今も意識不明の重体で、目覚める気配はないそうだ。


 生命維持ができているだけ、まだよかった、と私は思うことにした。


 風の噂で聞いたところによると、ふでさかさんは毎日のようにまきさんのお見舞いに行っているらしい。

 あんな男でも、少しは甲斐かいしょうがあるのだろうか。とてもそのようには見えなかったのだけれど。


 しき巡査は、ロゴス様の愛好家ファンになっていたと、しんさんから教えられた。自身が間近で体験した不可能犯罪を見事に解決されたら、感激も一入ひとしおだろう。

 今回の事件では、顔を合わせる機会こそなかったが、いずれ彼とも会ってみたいものだ。


「それで、現状はどうなっているんです?」

 ロゴス様は静かに尋ねる。


「どうもこうも、かみしおりさんの行為は正当防衛だからな。裁判の準備は進められているが、まあ無罪判決だろう。たなもと氏の死因は、単なる不注意による転倒でしかない」

 しんさんはあっさりと答えた。


「それは無茶でしょう。しょうすけさんは背中を刺されている。つまり、無防備な背後からです。揉み合いの末にうっかり刺してしまうような部位ではない。先に襲ったのはしょうすけさんでしょうが、それでも過剰防衛に当たるはずです。その負い目があったからこそ、かみさんだって事件当日に通報しなかったのでしょうし」

 ロゴス様が指摘するが、しんさんは受け流すように肩をすくめる。


「死人に口なしだよ。密室の謎は解かれたんだ。トリック犯罪が蔓延はびこる現代、トリックも犯人も判明している事件に、興味を持ち続ける者は少ない。正当防衛だろうと過剰防衛だろうと、さっさと手続きを済ませておしまいさ」


「そんなの、乱暴すぎますよっ!」

 私は拳をぶんぶんと上下に振って、憤りを表す。


 ロゴス様はしぶい表情を浮かべる。

「残念ながら、あり得ないとは言い切れないね……。最近の犯罪数は異常だ。今はまだなんとか演算えんざんの推理が追いついているけれど、その代わり、個々の事件に対する扱いは、ざつになりつつある」


 しんさんは優雅に、紅茶を一口飲む。

「ところで、〈巫顧ふこ神仏しんぶつ〉。君は当然、動機についても推理しているんじゃないのか? 折角せっかくだ。聞かせてくれよ」


「動機、ですか。それは、しょうすけさんがかみさんを殺害しようとした動機のことですよね?」

 ロゴス様は確認する。

「推理とは到底とうてい呼べないような、想像しか持っていませんよ」


 しんさんはおおぎょうに頷く。

「それで構わないよ。公的な解決ではなく、私の趣味だ」


 ロゴス様は小さく溜め息をついた。

「……僕の考えはこうです。かみさんはしょうすけさんのだったのではないか」


「えっ、えっ、えええええっ!?」

 私は思わず叫び、椅子を揺らして立ち上がる。

「それってどういうことですかっ!?」


「あくまで想像だよ。無責任な机上の空論であって、推理ではない。ただ、しょうすけさんが不倫相手であるはずのかみさんと関係を断ち切れず、妻と共謀して殺害を決意した背景を考えると、彼がかみさんに弱みを握られていた可能性はように想像できる」

 ロゴス様は淡々と語る。

「それに加えて、不在証明アリバイ工作のときの不自然な台詞回し。僕はどうしても、あれを小説家が書いた筋書きシナリオだとは思えない。『小説家になれなかった男』の本文と比べて、文章力があまりにもつたなかった」


 信じられない。私はぜんとして、金魚みたいに口をぱくぱくさせながら、椅子に座り直した。


 しんさんは愉快そうな表情で、あとを引き継ぐ。

「なるほどな。小説家としての地位キャリアかみさんに依存して得たものだったとしたら、彼女に頭は上がらなかっただろう。不在証明アリバイ工作を共にできるくらいに夫婦が信頼し合っていたことを考えると、たなもと氏とかみさんの愛人関係も、かみさんの側から強制的に要求した関係性だったのかもしれない。そして、我慢の限界に達した棚本たなもと氏は、ついにかみさんを殺害する計画を立てた、と。筋は通っている」


 しんさんの要約を、ロゴス様は沈黙で肯定した。


 たなもと先生は自分自身の影に潜む闇ゴーストライターに刺されたのだろうか。


 自分が書いた小説を棚本たなもとしょうすけ名義で発表して、かみさんの側に、実際的じっさいてきとくがあったとは思えない。

 彼女はただ、たなもと先生の人生を支配したかっただけなのか。


 ――かみしおりからすれば、あたしが泥棒猫どろぼうねこなんでしょうね。

 まきさんの言葉を思い出した。


 それはもしかしたら、最初はただのれんだったのかもしれない。


「ロゴス様のおっしゃる通りだったら、かみさんは脅迫の罪に問われるはずですよね?」

 私は二人にく。


「いや、どうだろうな」

 答えたのは、しんさんだった。

「見方によっては『たなもと氏がかみさんから一方的に盗作していた』という解釈もできるわけだから、かみさんの側は当然、そう主張するだろう。そうなれば、たなもと氏の尊厳そんげんにじられるだけの結果になる可能性もある。そう考えるとまきさんは、仮に意識を取り戻しても、真実を主張するわけにいかないんじゃないか。黙っていれば、かみさんを脅迫の罪には問えないが、代わりにたなもと氏の小説家としての名誉は守られる」


「……後味の悪い結末だね。結局、かみしおりだけが何のおとがめもなしになりかねない」

 ロゴス様がぼそりと呟いた。


「後味がよく終わる殺人事件なんて、物語フィクションの中にしかないだろ。現実なんてそんなものだ」

 しんさんは投げやりに言う。


 その言葉は、大人として正しい意見を言っているのかもしれないけれど、私にはなんだかとても嫌な響きに感じられた。

 演算えんざんは――残酷な犯罪から人々を救う英雄ヒーローのはずではないのか。


「それにしても、一方的な愛ってのは怖いもんだね。そうは思わないか、〈巫顧ふこ神仏しんぶつ〉」

 しんさんは話を切り替えるように明るい口調で言う。


「何を言いたいんです?」

 対照的に、ロゴス様は無感情な態度で応じる。


「別に言いたいことなんて、これっぽっちもないさ。今回の事件が他人ひとごとでないことは、君が一番よく理解しているだろうしな」

 しんさんはにやにやと笑みを浮かべて言った。


 私がロゴス様に対して、一方的な愛を押し付けるとでも思っているのだろうか。心外だ。


「それじゃあ、私はそろそろ失礼しよう。お互い、多忙な身だからね」

 そして、しんさんは事務所から立ち去っていった。


物語フィクションの中にしかない……、か」

 ロゴス様がしんさんの座っていた椅子を見つめて、独り言のように漏らす。


 私にとっての演算えんざん師とは、英雄ヒーローだ。

 一刻いっこくも早く、ロゴス様と肩を並べるくらい立派な演算えんざんになって、私も犯罪のやみを晴らす手助けがしたい。


『現実なんてそんなもの』だとか、希望のない言葉は吹き飛ばしてしまいたい。

 私はそう思って、自らの両頬をばちんっと叩いた。


 この痛みが、きっといつか私を演算えんざんにしてくれる。





 ――――巫女みこがみ演算えんざん事務所事件記録ファイルやみに刺された男の密室』了

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闇に刺された男の密室 葉月めまい|本格ミステリ&頭脳戦 @Clown_au

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