私はメスガキになりたい

太刀川るい

第1話

「ざぁこ❤ ざぁこ❤ クソザコナメクジ❤ よわオス人間❤ こんなところで人生を浪費❤」


 画面に流れていく文字を見ながら、僕は言葉にできない安らぎを覚えていた。


 ここには間違いなく人間がいるのだ。


人間メスガキの証明】


 僕がネットワークに初めて繋がった頃、そこにまだ人間がいた。


 人々は緩やかに繋がり、時には共感し、時には派閥を作って罵り合っていた。


 古き良き時代という話をしたいのではない。どちらかといえば悪意が多かったような覚えがある。時々誰かが炎上して祭りが起こり、そしてすぐ次の話題に飛びつく。そんな石器時代から変わらない愚かな営みを僕達は続けていた。


 そこにAIが来た。


 それは、あまりにも急な変化で今思い返しても現実に起こったこととは思えない。だが、たった数年で爆発的な精度向上を見せたAIは、次々に人間を置き換えていった。


 いつのまにか、検索結果はAIの作った記事ばかりになり、SNSには大量のAI製のアカウントが出現するようになった。それらのアカウントは人間のように書き込み、そして思い出したようにサプリメントの宣伝をしたりする。


 そんなあからさまな宣伝に意味があるのか?とも思うのだけれども、どうもAI製のアカウントは世論の誘導などには便利なようで、高値で売れるらしい。効果の程はよくわからないけれども、買う人がいるから成り立つのだろう。


 しかし、そういうアカウントの見分けがついたのも昔の話で、最近はほとんど人間と区別がつかない。定型文の使い回しなんかの雑な運用をしているアカウントが目立つだけで、中にはAIとさとられぬまま、サプリメントや怪しげなダイエット情報の拡散に成功しているものもいるのだろう。僕らにはそれが認識できないだけで。


 そんなある日、僕はメスガキになったのだ。


□■□■□■□■□■□■


 メスガキになった日のことはよく覚えている。


 あるアカウントが目についた。いかにも生意気そうな女の子の絵のアイコンで、ただ虚空に向かって、かなり攻撃的な、煽るような言葉を送りつけていた。


「ざぁこ♡ ざぁこ♡ こんなアカウントを相手にして恥ずかしくないのぉ?」


 何かが違う。とふと思った。思わず僕は呟いた。ああ人間がいる。


 どうしてそんな言葉を口にしたのか、自分でも最初はわからなかった。でもしばらく考えて理解した。そこには悪意があるからだ。


 AIがメスガキを再現できないのは、初期の頃から指摘されていた。何しろセンシティブな存在だ。倫理的にも褒められたものじゃない。


 株主に向かって我々のプロダクトは、素晴らしいものです。AIは危険なんかじゃありません。投資する価値のあるものです。という説明をしなければいけない企業が作るAIは、当然丹念にその発言をチェックされる。


 だから、AIはポジティブで正しいことしか言わない。いや、言えない。悪役を演じてくれと頼んでも、そこには限界がある。どうしても、倫理上許される一定のライン、例えば人種差別や侮蔑的行為を踏み越えることができないのだ。


 考えてみれば当たり前だ。下手なことを言って「AIが人種差別をしました」なんてニュースになった日には株価がいくら下がることか。いくら架空のセリフだとAIを言いくるめても、必ず大事なところではAIは日和るのだ。


 だが、そのアカウントは違った。あくまでも自由に、奔放に、思うがまま他人にバカにしたな言葉を投げかける。こんなことができるのは、人間で間違いない。気がついたら、僕はそのアカウントに連絡を取っていた。


 少し話しただけで、僕らは意気投合した。そいつも同じことを思っていたのだ。


「おにーさん、話がわかる♡ 炎上防止AIが許されるのは、小学生までだよねー♡」


 この頃からもうすでに、人々は炎上防止AIを使って自分の発言を修正していた。書き込んだ内容を自動的にチェックして、炎上しそうな内容があれば自動で修正してくれる有料サービスだ。炎上してしまった場合は会社が責任を持ってくれる。


 だから、みんな当たり障りのないことしか呟かないのだ。


 だが、そいつは違った。やっていることは褒められなくても、自分の言葉で語っていた。資本主義によって駆動するAIには決して言えないことを言っていた。


 こうなりたいと、僕は心から思った。


 正しさがサブスクで手に入る時代に、僕らはそれを捨て去ることにしたのだ。


 こうして僕はメスガキになったのだ。


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「メスガキ同盟結成だね♡」


 アイコンを生意気そうな女の子に変えたあと、僕らはいくつかのルールを作った。メスガキには品格が必要だ。質の悪い罵倒はするべきではない。もっと相手の人格の奥底まで切り込むような切れ味と、切ってほしくないところを巧妙に避ける腕の良い外科医のような腕前が必要だ。


 僕らみたいに人間であることの証明に悪意を使う集団は、調べてみると結構いた。


 例えば差別的な言動を繰り返すアカウントなんかがそうだ。でも、僕らはそれを目指したくはなかった。演じることには不思議な魔力がある。仮面だと最初はわかっていても、気がつけばそれは魂にぴったりとくっついて、自分の一部になってしまう。


 そうなってしまうのに比べれば、メスガキになる方がずっと良いと思った。


「ざぁこ❤ ざぁこ❤ AIの言いなり敗北者❤ 人格までAIに乗っ取られてはずかしくないのぉ❤」


 今日も僕らはネットワークに向かって煽り続ける。これは日課みたいなものだ。ゾンビだらけの世界でここに生存者がいるぞと電気をつけるように。まだここには人間がいるぞと、大きな声を張り上げるのだ。


 こんなことがいつまで続くかは解らない。仲間の何人かはもうすでにアカウントを凍結されている。僕達は間違いなく世の中に必要ない、無意味な存在だから、消されることには文句はない。


 ただ、人間に残されたのは、もうその無意味で無駄な行為しかないと、僕は思うのだ。これは人間の抵抗なのだ。意味もなく無駄に終わるとわかっていても、僕が人間である限り、僕はこの手を止めることはしない。


「ざぁこ❤ ざぁこ❤」


 僕達はここにいる。まだ生きている。いつか完全にこの世から僕らが消え去るその日まで、僕らはメスガキであり続ける。


 今日もまたキーボードを叩きながら、僕は涙を流していた。

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私はメスガキになりたい 太刀川るい @R_tachigawa

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