そこに愛など存在しなかったのでしょう

海坂依里

「主人に送る手紙」

『コーバット様は、夕餉の席にはいないことが多かったです。


 勤務時間が不規則のため、家族全員で食事を召し上がる機会はそれほど多くありませんでした。


 けれど、コーバット様が早く帰って来られる日。


 職務を休むことができた日には、家族全員で食事を摂られます。


 互いの顔を確認しながら笑い合って、みんなで楽しくご飯を食べる時間に私も幸せを感じたものです。


 コーバット様がお休みになられる日には、馬車の中で娘のスティン様が大好きな音楽の話をよくされましたね。


 今日はどこに行く? と、予定の決まっていないお出かけをするのを奥様もスティン様も楽しんでおられたようでした』



 久しぶりに握る鉛筆。

 書き心地に懐かしさを感じ、なんだか良い文章が書けるのではないかという予感が走る。

 それと同時に、幼い頃学び舎に通っていたときに幸福を感じた日々のことも思い出す。

 物に宿った記憶というものは偉大だ。




『コーバット様は、家族の記念日を必ず覚えている方でした。


 コーバット様が甘いもの好きということもあり、何かしらの記念日が訪れるたびに高級料理店のケーキを注文されたコーバット様のお姿が今も忘れられません。


 コーバット様以外のご家族も、もちろん甘いもの好きです。


 コーバット様は、ご家族の喜びや幸せを常に考えてくれているんだなと……記念日が訪れるたびに私はコーバット様の愛情を感じていました。』



 便箋に、鉛筆の黒鉛が滲んでいく。

 黒鉛が滲むという表現も可笑しなものだけど、実際に私の目には文字が紙に染み込んでいくように見える。




『コーバット様と奥様は、とても仲がいいです。


 もちろん喧嘩をすることもありますが、すぐに仲直りするところはメイドとして大変尊敬すべき点でした。


 なんだかんだ言いながらも、お二人だったら素敵に年を重ねていくに違いないと太鼓判を押すことができます。


 二人が築き上げてきた「いつでも帰りたいと思える家庭」を、私も築いていきたいと思うようになりました。


 たかがメイドの身分である私に、たくさんの愛情を注いでくれたお2人の存在は、とても大きいと感じています。今まで本当にありがとうございました』



 あ。

 字が曲がってしまった。

 あ。

 でも、これは自分が読む文章だからいっかと開き直る。

 どんなに字歪んだとしても、私が声に出して読むことができればそれでいい。

 そう、私は思い込む。




『私は死んで生まれ変わったときも、また主人に仕えたいと思っていました。


 直接言葉にすることは恥ずかしくてできなかったのですが、大好きな皆様にお仕えできることが私の幸福です。


 いつかは、伝えよう。


 いつかは必ず伝えよう。


 そう思っていた矢先、奥様と娘のスティン様は屋敷を出て行かれてしまいました。




 コーバット様を置いて。』



 鉛筆の芯が折れる。

 ぼきっという歪な音が、私の鼓膜を不快にさせる。




『奥様とスティン様に非があるのだとしたら、屋敷から出て行かれるのは仕方のないことかもしれません。

 

 家族で決められたことに対して、メイドの私が口を挟むわけにはいきませんから。


 しかし、そうではなかったんです』



 あ、また、折れた。

 もう続きを書くことができない。

 できない……?

 私は黒い箱の中から鉛筆削りを取り出して、必ず続きを書いてみせようと意気込む。

 誰にも私の邪魔はさせない。




『お慕いしていたコーバット様には、もうひとつの家族がいました。


 コーバット様は十年以上もの長い年月、二つの家庭を養っていたのです。

 

 コーバット様には、家庭というものが二つあったのです。


 コーバット様は不貞という現実を、奥様とスティン様に残していったのです』



 会場がざわつく様子が容易に想像できる。

 私の口角が自然と上がっていく。

 コーバット様に抉られた傷が疼く。

 気がする。




『奥様とスティン様が過ごす日々は、幸せに包まれていました。


 奥様とスティン様が過ごす日常には、愛情が溢れていました。


 ですが。


 コーバット様は、


 コーバット様は、


 コーバット様は。


 二つの家庭に愛を、


 愛を、


 愛を……!』



 愛情を、半分。

 愛を、半分。

 二つの家族に注いでいました。

 十年以上もの間。




 親戚。

 血縁者。

 そして、コーバット様の血縁者に泥を塗る葬儀の完成。

 

 あ、やっと私、笑うことができた。

 字を、真っ直ぐ書くことができた。 

 立派にメイドとしての任を果たせるような気がする。




『自信に繋がりました。


 ありがとうございます。


 奥様、スティン様』




 コーバット様の返り血を浴びた私の仕事着は、見るも無残な姿になってしまった。

 でも、目の前には銃弾に貫かれた主が力なく横たわってくれている。

 私は鮮血に塗れ、クズな主人も同じ色に染まって、とても良い気分です。

 主人と私が一緒に汚れることは、言うなれば一蓮托生のようなものですから。

 それは契約を交わしたときから覚悟してきたことです。

 

「復讐、完了」


 主人と従う者わたしは一緒に穢れていきます。

 ですから、ご安心ください。

 奥様とスティン様は、決して穢れることなく綺麗なままでいてください。

 これからも、これから先もずっと、私は皆様の傍におります。

 奥様とスティン様の笑顔を汚す存在は、私が綺麗に片づけてみせます。


「さあ、次は……」


 拭い切れるはずもれるはずもない血の量を見ても、後悔の気持ちすら湧いてこない。

 主人を血で穢すという冒涜は、所詮自己満足。

 でも、それがいい。

 それだからいいと、私は思った。

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そこに愛など存在しなかったのでしょう 海坂依里 @erimisaka_re

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