盗まれた呪い

ねこ沢ふたよ@書籍発売中

 決して開けてはならない

「決して開けてはならない」


 これは、十年前に亡くなった祖母の遺言であった。

 開けてはならないのは、祖母が大切に使っていた古いタンスの小さな引き出し。

 

 晩年の祖母が、病床で、何度も何度も繰り返し「開ければ呪われる。決して開けてはならない」と、熱病に浮かされたように呟いていたのだ。


 点滴につながれ、食事もろくに取れずに骨と皮だけになって、目を見開いて、これだけは絶対に守って欲しいと、俺と父と母が来るたびに、祖母は懇願した。

 そのたびに、俺達は、「大丈夫だ。開けないから」。と、祖母を宥めたものだった。


 あれから三年経ったある日のことだった。

 亡き祖母の言いつけを守って誰も触れることがなかったその引き出しが、空き巣によって開けられていた。

 ぽっかりと開いた小さな引き出しを、祖母の三周忌を終えた俺達家族は、かつて祖母の部屋であった畳の部屋に突っ立って、成す術もなく見ていた。


「呪いの発動だ」


 父がそう呟いた。

 俺はギョッとした。

 父の声が、空き巣に入られた被害者の声としては、あまりにも場違いな勘定を含んでいるように聞こえたからだ。

 まるで、いたずらの成功した子どものような声色に俺が驚いていると、父は、すっと一枚の封筒を渡してきた。


文雄ふみおの遺言だ」


 文雄というのは、父の弟で俺の叔父、祖母の実の息子だ。祖母が亡くなった後に自殺している。

 自殺した文雄叔父さんが期日指定郵便で送ってきたそれは、祖母宛であった。


 当時、「死んでいると分かっている者に郵便を送るなんて、よほど母さんの死が辛かったのだろうね」なんて父は言っていた。

  祖母が亡くなってから自殺した文雄叔父さんが、祖母の死を知らないわけがなかったのだ。皆で首を傾げたものであった。


 文雄叔父さんには、まだ新婚の妻がいたから、なぜそちらへ郵便を寄こさなかったのだろうと、子どもながらにぼんやりと思ったことは覚えているが、俺もまだ当時は小学生で、大人の手紙になんて興味はなかった。

 だから、それ以上その封筒のことは追求せずに、さっさと遊びに行ってしまったから封筒の内容は知らない。


 文雄叔父さんの封筒は、亡き祖母の代わりに父が受け取り、そのまま保管していたのであろう。


 その封筒が、今、俺に父から渡された。

 父の上着の内ポケットから、この封筒が出てきたということは、今日の祖母の三周忌の席に、父はその封筒を持っていたということであろう。

 亡き文雄叔父さんにも、祖母の三周忌に参列させたかったということか。

 ここで封筒を渡されたということは、俺が開けても良いということであろう。

 

 白い古ぼけた封筒を開ければ、几帳面な文雄叔父さんの文字がびっしりと並んだ手紙が出てくる。


『ただただ申し訳ない、全ては私の責任です。』


 手紙は、そんな文から始まっていた。


『私が、まさか実の母に手をかけることに加担するだなんて、むしろ、私が首謀者になるだなんて、思ってもみなかった。

 妻の富江とみえが、そんな恐ろしいことを思い付き実行するだなんて、思いも寄らなかったのだ。私は、富江の人間性を一緒に住まいながら見抜くことができなかったことに後悔しかない。

 全ては、私はバーで出会った富江に惚れて結婚した時から始まっていた。あの女は財産狙いだと、母さんはことあるごとに忠告していたが、私は一度も信じなかった。そのことは、兄さんも知っているだろう。それほどまでに、私は、富江を信じ切って惚れ込んでいたのだ。

 母さんが富江に冷たくすればするほど、富江が財産狙いの女であると証拠を挙げ連ねれば連ねるほど、私の心は母さんから離れていき、姑に辛く当たられる可哀想な富江に同情し傾倒していったのだ。

 いずれ、時が来れば、母さんも富江の良さに気づき、富江に優しく接するに違いないなんて、のん気にも考えていた。

 だが、それは全て間違いであった。

 可哀想な嫁を装った富江は、その裏では、正体に気づいた母を警戒し母を滅ぼすべく画策していたのだ。

 そして、私は、それに全く気付かずに、母を殺す手伝いをせっせとしていたのだ』。



 そこまで読んで、俺は震えながら父に目を向ける。


「長かった。やっとだ。三年だぜ」


 父の目は、乱暴にこじ開けられた引き出しに向けられていた。

 俺は、この恐ろしい告白文の続きを、じっとりと汗ばんだ手を持て余しながらも読んでいく。


『母さんの好物を富江に聞かれた時に、私は、喜んで水ようかんだと教えた。富江は、それを聞くと、早速水ようかんを買ってきて、私に持って行くように勧めた。たった一つだけの水ようかん。なぜ、複数買わないのかと富江に尋ねれば、これは特別な限定品で値段も張るのだと答えた。母のために富江が並び、ようやく買えた一個なのだと。「私からだと言えば、お義母さんはお召し上がりにならないでしょうから、あなたが手に入れたのだと仰ってくださいね」。と、そんな口添えまでされた水ようかんを、私は疑いもせずに母に渡して、母に食べさせたのだ。そこに毒が入っているとも知らずに。

幾度もそう言ったことを繰り返すうちに、母は弱っていった。そして、ついには高齢の母の体は、根元が腐ってしまった大樹のように、静かに倒れ、とうとう入院してしまった。

私は、まだ、それでも富江を信じていたから、まさか、富江に持っていけと言われた水ようかんの中に、毒が仕込まれているなんて思いもよらなかったのだ。だから、入院した母に、さらにせっせと、それこそもっと頻繁に毒を運び、母に与え続けた。

結果、母は死に、富江は自らの思惑通りに、私を介して母の遺産を手にしたのであった。

「あんな大きなウチに住んでいた割に、案外少なかったのね。見掛け倒しじゃない」。と、富江が笑いながら吐いた言葉に、私は愕然とした。そこには、私が幻想で見ていた、つつましやかで義母想いの妻は存在しなかった。実母を亡くしたばかりの息子に、なんて言葉をかけるんだと私は富江を諫めたが、富江はますます冷笑を私に向け、「その母を殺した張本人が何を言っているのだか!」と、言い放ったのだ。

富江は、私が運んだ水ようかんには、毒が仕込まれていたことを面白うそうに語り、青ざめ「警察に連絡する」と言う私に、遺体も火葬にし、毒の証拠もない。一体誰が信じるのかと、富江は嘲笑した。

富江は、金だけ手に入れて、そのまま家を出て行ってしまった。

夫である私ですら、結局、金銭を得るための道具に過ぎなかったのだろう』。


「ただ、母をこの手で殺してしまった。その後悔だけが自分には残り、耐え切れない。死して詫びることといたします」


 文雄叔父さんの手紙の最後の一文を、父が諳んじる。

 きっと、何度も読んで覚えていたのであろう。


「母と弟を殺されて黙っていられるほど、俺は人間が出来ているわけではないんだ」


 父は、私の手から封筒を取り戻すと、それをまた、自分の上着の内ポケットに仕舞った。


「この間、ようやく探偵に調べさせて、富江に居所を突き止めたんだ。そして、「母の遺産が新たに見つかったから、取り分を富江さんにも相続していただかないと、法律上ダメらしい」なんて、もっともらしい言い訳をして呼び出した。大喜びでいそいそと富江は応じたさ」


その時のことを、俺も覚えている。

ほんの数週間前のことだ。

呼び鈴の音にガラリと玄関の引き戸を開けると、レモンイエローの派手なスーツを着た富江が立っていた。


「ふうん、良い男に育ったじゃない」


俺を品定めするように見て富江が発した言葉には、嫌悪しか感じなかった。

眉を顰めて無言で頭を下げる俺に、「照れちゃて! 可愛い!」なんて追い討ちをかける富江には虫酸が走ったし、なぜ亡くなった文雄叔父さんが富江に惚れ込んでいたのか、さっぱり分からなかった。

 

「よく来たね。富江さん」


 父が富江に掛けた声、その声色の低さに俺はゾクリと背筋が凍った。

 あの時は分からなかったが、今ではよく分かる。

 殺意だ。

 父が富江へ向ける殺意が、声に滲み出ていたのだ。


「嘘の財産分野の話に飛びついた富江に、あの引き出しのことを仄めかしたんだ」

「引き出しのことを?」

「そう。開けてはならないと、母が言っていた鍵のかかったあの引き出し。あそこには、とてつもなく高価な、年代物の時計が入っているのだと。だが、母の遺言で、開けられないから、放ったらかしにしているのだと」

「嘘をついたってこと?」


 俺の問いに父は首を横に振る。


「嘘じゃないさ。実際に引き出しには、お前の曾祖父の形見の腕時計が入っていた。洒落者だった曾祖父が、唯一残した時計。文字盤にヒビが入ってはいたが、特別に作らせた高価な腕時計を、あそこに特殊な小箱に入れて保管していたんだ」

「時計? それをどうして呪いだなんて」


 俺には分からなかった。

 なぜ祖母があれだけしつこく腕時計を呪いだなんて言っていたのか。


「ラジウム時計って知っているか?」

 

 俺は首を横に振る。ラジウムという名前も、学校で何度か聞いた程度で、その詳細は知らない。


「ラジウムっていうのは、放射性物質。だけどその危険が認識されていなかった時代には、時計の文字盤を光らせるのに使われていたことがあったんだよ」

「放射性物質? 何だよ。危険じゃないのか」


 放射性物質なら、多少は知っている。

 エックス線やがん治療に使われたりする便利な代物だが、とても危険な物だということだ。あまりに強ければ、瞬く間に致死量に達するのだと言う。


「だから、鉛の小箱に入れて封印していたんだ。形見の品で、そんな放射性物質が使われているならば、おいそれと捨てる訳にもいかず、そこに仕舞い放しにしていたんだ」


 それが、呪いの正体。

 

「派手好きな爺さんが、キラキラにラジウムをふんだんに使った時計だ。それが鉛の箱を開いた途端にどうなるのか。それは、泥棒次第だろうな」


 クスクスと意地の悪い笑みを浮かべた父の横顔を、俺は忘れることができない。


「殺したの?」

「いや? たかが文字盤程度さ。すぐには死にはしない。だが、じわじわと気づかない内にむしばまれる。ここに鉛の小箱は置いて行かれているからな。放射線を押さえることも出来ない」


 父は、畳の上に転がっていた小箱を足で転がした。


 時計の影響があったのかどうかは、知らない。

 だが、しばらくして、大病を患ったという富江から、治療費を出してほしいと連絡があったが、当然のようにそれを俺達は断った。

 

 富江が亡くなったと連絡が入った時にも、俺達からは誰も葬式に出向く者はなかった。

 ラジウム時計が、その後どうなったのかも、俺達は知らない。

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