騒乱編

間章 端役たちの円舞曲

 雲が立ち込める夜。覆い隠された月を背景に、二つの影が夜を駆けていた。獣より速く、鳥より鋭く、眠りについた街をひたすらに。

 

「鬼ごっこなんて久々だね。いつぶりだか覚えちゃいやしない」

 前をゆく影を追う影は、背に薙刀を背負いながら同意を求めるように声をかける。頬を撫でる夜気が冷たい。白く染まる吐息のぬるさで口周りが湿り気を孕む。身を切るような寒さとは裏腹に、腹の底から湧き上がる高揚感でかじかんだ指先がじんと熱をもった。

 戦意に満ちる視線を敏感に感じ取った前方の影からひきつれた呼吸音がした。臆病な兎のように小賢しく家をビルを跳ね駆ける速度が上がる。

 追っていた影――ほづみは踏み込む足に力を込めた。

 肉薄するなら即座に、慈悲なく迫る。そうした方が相手の戦意を根こそぎ奪えることを経験から知っている。だから、彼女はとうにあらかたの繊維を喪失している相手へ向かって勢いよく跳躍した。一瞬にして、前を行く影の正面に躍り出る。

「……っ、しつこい!」

 急に眼前へ現れたほづみに即座に影は対応し損ねた。上半身が泳ぎ、高層ビルの屋上で無様にバランスを崩す。がくりとその膝が折れた。音を立てて頽れながらも、影は懐に手を伸ばし、素早く尖った何かを投擲してきた。

「甘い甘い」

 ほづみが笑う。いつの間に握られていたのか、その手におさめられた薙刀が容赦なく投擲されたそれ――本物の刃が取り付けられたダーツを叩き落とした。そのまま返す穂先を影に突きつける。

 静寂。呆気なく決した勝敗を、片や息を荒げながら、片や涼しい顔で受け入れる。

「――で?人の顔を見るなりなんで逃げ出したか話してもらおうか」

 重々しくほづみは口を開いた。そもそもなぜこんな夜更けに鬼ごっこもどきをしていたかというと、天海からのお願いと言う名の常識フル無視鬼着電に叩き起こされ、二度寝をする気にもなれず夜道をふらついていたところに顔見知りと行き合ったからだ。その時に相手が脱兎の如く逃げ出していなければ、いくらほづみとて追い詰めるような真似はしていない。

 後ろ暗いことがあるのかと言外に問うほづみに、息を整え終えた影が顔を歪めた。

「おっかないからですよ。それ以外ありますか」

 分厚い雲が切れて月明かりが白刃を照らし出す。首筋に当てられた刃を影――翔陽が指先でなぞり、強度を確かめるように弾いた。リィン、と銅にあるまじき音が鳴る。爪で弾いたにしてはやけに甲高い音だった。

「僕たちは、敵陣営だ」

 瞬間、空気が張り詰めた。ほづみから放たれる殺意が膨張する。

「そうでしょう?ほづみさん」

「まあね。しっかし、半ば役目を放棄した一家の倅が言うと軽いね。里のじじばばどもに鼻で笑われるよ。ああ、その前に殺してやろうか?何、年下の頼みとあれば、男の血で相棒を汚すのも吝かじゃあない」

「……………………だから逃げたんじゃないですか」

 恨めしげにぼやいた翔陽がぐしゃぐしゃと髪を掻きむしった。

 《地の姫》勢力の結城一家は十年前に、いずれ起きる聖戦の下準備のためだと言って里を出た。その時はまだ名目ではなかったはずだが、今ではすっかり腑抜けて聖戦への不参加を表明している。いったい何があったのか、知りたいとは思わない。《天の姫》勢力のほづみ視点では、理由がどうあれ敵が減る分には万々歳、藪を突いて蛇を出したくはない。

 だから、本当に彼が逃げ出したりしなければ、追いかけようとは思わなかったのだ。今もそうだ。薙刀を首筋に当ててはいるが、本気で命を奪るつもりはなかった。久方ぶりに顔を合わせた相手への挨拶を兼ねた戯れに過ぎない。

 翔陽が馬鹿なことを言い出さなければ、適当に言葉を交わして追われたはずだったのだ。自分たちは敵陣営だと、参加を仄めかすようなことを口にしなければ。

「さて、と。好誼に報いるためにも遺言があるなら聞こうか」

「上から目線やめてくれませんか、イライラする」

 でもそうですね、と翔陽が視線を彷徨わせ嗤う。

「学校って意外と皆無関心なんですよ。人目は多いしそこかしこで相互監視しているのに、大多数の出来事は記憶に残らない。妃那さんがいなくても、暗器使いならルールに抵触せずいつだって殺せると言うことです」

「…………それで?」

「ではここで問題です。僕以外に、神の一族で暗器を使う人は誰がいましたっけ?」

 その発言にほづみの顔色が変わった。翔陽は朗々と先を続ける。

「僕の記憶違いでなければ、《地の姫》と桜祈さんの神具がそれだったはず。それから――彩斗さんも、サブ的に使いましたよね?」

 ここでもう一つ追加です、と。楽しげに翔陽が笑った。

「僕、既に彩斗さんに会いました」

「は!?ってことは、まさか!」

「はい、そのまさかです。僕と取引をしてくれたので、対価として彼のお願いを叶えました」

「……余計なことをっ!」

 一息ひといきにほづみは薙刀を引いた。白刃が翔陽の首を、その皮の下にある血管を深く傷つける。

 ――しかし、血は一滴も流れなかった。

「……っ!?」

 大きく息を呑んだほづみは飛びすさり、警戒も露わに翔陽を睨みつける。首を掻っ切られたにも関わらず、その断面は粘土のように白かった。

「ほづみさんこそ忘れていませんか」

 切られた首はそのままに、翔陽はにこりともせず、圧倒的に実力差のあるほづみを見上げた。

「僕、逃げるのだけは得意なんです」

 不意にその姿がぼやけた。翔陽の輪郭が朧になり、解ける。

 からん、と。音が鳴った。先ほどまで翔陽がいたそこに、子どもの背丈ほどの鉄の棒が転がっている。

 ほづみの口から乾いた笑いがこぼれた。くつくつと鳴る音に、応える者はもういない。力を解くのと同時に立ち去ったのだとわかってほづみは腹を抱えて笑った。

 格下相手にいっぱい食わされた。武力では優っているからと油断した。弱い者は生き残るために手段を選ばないと言うのに、そんな初歩的なことを忘れていた。

「………………ああ、今日あんたに会えて良かったよ」

 引く口を這う声でほづみは呟いた。切先を下に向け、獰猛な獣のように空を睨め上げる。

「もうこれで、あたしに隙はない。天海のお願いも果たせそうだ」

 月が輝く。厚い雲はいつの間にか消え失せて、煌々と照る満月だけが彼女を見守っている。

「…………教員募集、あたってみるか」

 やがて、月を睨め上げるのにも疲れたほづみは屋上を後にした。

 次第に白み出した空が、新しい朝の始まりを静かに告げていた。

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