エピローグ

 ピーヒョロロロ、という笛の音に混ざって、しゃんしゃんと鈴の音がする。

 鬼の里の大通りを、千早様を乗せた籠がゆっくりと進んでいく。

 家々の軒先には、華やかな薬玉がぶら下げられて、皆、千早様のお姿を見ようと大通りに集まっていた。


 今日は、邪気払いの節会である。

 千早様が通り過ぎた先から、家の軒先につるされた薬玉が、金色の炎を上げて燃え落ちていく。

 千早様の鬼火で薬玉が燃え落ちると、また一年、健やかに生活できると言われているそうだ。

 鬼ならではの慣わしである。


 わたしはお邸で千早様のお帰りを待つ間、お台所で牡丹様と共にお食事のお手伝いをしていた。

 今日のお食事はとても豪華で品数が多いので、下女の方々だけでは到底手が回らない。

 ゆえに、わたしや牡丹様も一緒に、今日のお夕食の準備をしているのだ。


「鯛はそちらの大きなお皿に載せてくれるかしら? 舟盛り用の器はどこ? ああ、お刺身は届いたかしら?」

「牡丹様、お吸い物ができました。味を見てくださいますか?」


 あれこれと指示を出していた牡丹様に、わたしは小皿にお吸い物を少し入れて渡した。

 ドキドキしながら待っていると、味を確かめた牡丹様が、人差し指と親指で丸を作る。


「とても美味しいわ」

「よかったです」


 ホッと胸をなでおろし、わたしは下女の方にお吸い物用の器を出していただいた。

 器も、今日は特別なものを使う。

 せわしなく動き回っていると、青葉さんがお台所に顔を出した。


「できたものがあれば運ぶが……」

「ちょうどよかったわ、青葉! 酒屋さんからお酒がそろそろ届くの。樽で! お座敷に運んでおいてちょうだい」

「ちょっと待ってください母上! 樽でなんて頼んでいませんよ! まさか勝手に注文を変更しましたんですか⁉」

「いいじゃないの。大丈夫よぉ、残ったら責任をもってわたしが飲むから」

「むしろ母上が飲みたいから変更をかけましたよね⁉」


 青葉さんが頭を抱えながら、諦めたように肩を落として玄関へ向かった。

 牡丹様がほくほく顔で酢飯の味を確認している。

 ばたばたしつつも、すべてのお料理が完成してお座敷に運び終わったところで、お勤めを終えた千早様が帰って来た。

 節会のための豪華な装いのまま、千早様がお座敷へ入って来る。


「今年も無事に、邪気払いの節会が迎えられたことを、心より感謝いたします」


 千早様が上座に座ると、青葉さんが代表して口上を述べて頭を下げた。

 牡丹様がにこにこと笑いながら木槌を千早様に手渡す。


「さあさあ千早、お酒を開けてちょうだい!」


 千早様が怪訝そうな顔をしながら立ち上がった。


「何故、樽が?」

「母上が勝手に注文したようです。申し訳ありません」

「……まったく」


 千早様が苦笑して、樽の木でつくられた蓋を木槌でコンと叩く。

 蓋が縦に割れ、牡丹様がほくほく顔で升にお酒を注いだ。


「さあ千早、ぐっとやりなさい! 千早が飲まないと飲めないんだから!」

「……俺はこれだけでいいから、後は責任をもって片付けろよ」


 千早様が升に入ったお酒を飲み干し、残った大量のお酒を牡丹様に押し付けたけれど、牡丹様はむしろとても嬉しそうに笑っていた。


 ……あれ、全部飲むのかしら? え? 冗談よね?


 いくら何でも、人が飲める量を超えていると思うのだが、相手は鬼である。人の常識で測ってはだめなのだろうか。

 わたしがめをぱちくりさせている間にも、牡丹様が上機嫌でお酒を升に注いでは飲み干していく。


 ――その後。


 すっかり酔っぱらった牡丹様が青葉さんに絡みはじめて、それを見て避難することに決めた千早様に連れられて、わたしは少し早いけれど寝室へ向かった。

 千早様のお着替えを手伝い、自分もお着物を脱ぐ。

 節会前のお清めで千早様は朝早くにお風呂に入ったし、わたしも千早様がお帰りになる前にお湯を使わせてもらったので、今日はそのまま休むことにした。


 千早様に腕を引かれ、一緒にお布団の中に潜り込む。

 あれから、水無瀬様は何も言ってこない。

 千早様も、彼らも馬鹿ではないから、よほどのことがない限りもうわたしの命を狙わないはずだろうと言っていた。

 道間家はもうないし、わたしももう道間ではない。


 わたしは暁月ユキ。

 ここ、鬼の里の頭領、暁月千早様の妻だ。

 人の理から外れたわたしは、これから長い年月を千早様と生きる。


 ……幸せ。


 小さく笑うと、千早様がわたしの髪を梳くように撫でながら、「どうした?」と訊ねてきた。

 千早様の腕の中で顔を上げ、わたしは微笑む。


「わたしは、千早様と一緒にいられて、幸せです」


 あの日、千早様と出会った運命に、心の底から感謝する。


 虚を突かれたように目を丸くした千早様が、わたしの頬を撫でて顔を近づけてきて――

 わたしはうっとりと、目を閉じた。





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わたしを「殺した」のは、鬼でした 狭山ひびき @mimi0604

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