現世の鬼 4
青葉さんが調整をつけて、とうとう、水無瀬様が鬼の隠れ里にやって来る日が来た。
千早様の要望通り、水無瀬様はお一人で来るそうだ。
お座敷の上座に千早様と並んで座り、その隣に牡丹様が控える。
緊張しながら待っていると、青葉さんに案内されて、水無瀬様がやって来た。
……女性?
思わずわたしは目を見開く。
背は高いが線が細く、儚げに整った顔立ちの水無瀬様は、一瞬女性かと思うほどに端正で中性的顔立ちをしていた。
さらさらと、絹糸を束ねたような白い髪をしている。
瞳は青く、肌は雪のように白い。
男性ものの紫苑の着物を着ているから男性なのだろうけれど、こちらに歩いてくる様子を見ても、足取りは優雅で荒々しさは皆無だった。
……この方が、道間を滅ぼした現世の鬼の棟梁?
道間を相手取って争いを起こすような方には、どうやっても見えない。
ただ、華やかでありながら柳のようなしなやかな印象の牡丹様も、里の鬼の中では二番手の実力者というし、先日、「暴走」という言葉を聞いたくらいだ。外見では判断できないものがあるのかもしれなかった。
用意した座布団の上に腰を下ろし、水無瀬様がにこりと微笑んだ。
「この度は場を用意していただきありがとうございます。暁月様」
水無瀬様は現世の鬼を束ねる頭領だが、百年前までは現世の鬼も、千早様のお父様の下についていた。だからだろうか、水無瀬様には千早様を立てるような、控えめな印象がある。
「いや、近いうちに話をすべきだろうとは思っていた。そちらから提案してくれて助かる」
千早様は水無瀬様を如才なく見つめながらも、どこか緊張しているような様子だった。
牡丹様は、やや目を細めて、軽く睨むように水無瀬様を見ている。
「道間を滅ぼしたそうだな」
千早様が訊ねると、水無瀬様が口端を軽く持ち上げた。
「ええ、まあ。と言いましても、力の落ちた道間を滅ぼすことなど、赤子の手をひねるようなものでしたよ」
水無瀬様は笑っているはずなのに、わたしの背筋がぞくりとする。
細められた青い瞳は、まるで値踏みするようにじっとわたしに注がれていた。
「腹の探り合いは好みませんので、端的に申します。……そちらの道間を、渡してください。そのものを殺せば、道間の血は途絶える。道間の血を滅ぼすことは、我らの悲願なのです」
「ユキはもう道間ではない、鬼だ。そして、俺の妻だぞ」
「そうであっても、元は道間。その身には、道間の血が流れています」
「話にならないな」
「話にならないと言いたいのはこちらの方です。暁月様、あなたは、再び道間を生もうと言うのですか。道間の起こりを、知らないわけではないでしょう」
道間には、鬼の血が流れている。
はるか昔、鬼と交わり、その子孫が道間家を起こしたと千早様から聞いた。
けれど、「道間を生む」というのはどういうことだろう。
怪訝に思っていると、水無瀬様がため息を吐きながら言う。
「遥か昔……道間の起こりは我ら鬼の裏切りでした。鬼を裏切り人に与した鬼が、やがて人と交わり道間家を起こしたのです。その過ちが、再び起こらない保証はありますか」
「それを言うのなら、鬼の中にも人の血が流れているものもいる。たった一度、遥か昔に起こった鬼同士の諍いを持ち出して、いまさら再び同じことが起こると言うのは信憑性に欠けると思わないか」
「その女は、道間です」
水無瀬様が苦々し気な顔で吐き捨てる。
それだけで、水無瀬様の中にどれほどの道間家に対する恨みがあるのか垣間見えた気がした。
水無瀬様の中で、道間は諸悪の根源なのだろう。
道間家の血を根絶やしにしなければ安心できないほどに、道間を憎んでいる。
わたしを見つめる目に宿る怨嗟に、わたしはふるりと身震いした。
いくら言葉を交わしたところで、わたしと彼はわかりあえない。水無瀬様は、わたしが何を言おうと、わたしの存在を否定するだろう。そんな気がする。
だからこそ、この場で余計な発言はできなかった。
たぶん、わたしが何か発言すれば、それだけで火薬に火を投げ入れるような結果になる。
膝の上でぎゅっと拳を握り、黙っていると、千早様がわたしのすぐ隣まで膝行してきて、わたしの肩に手を回した。
「何度も言わせるな。ユキは、俺の妻だ。鬼の棟梁の妻を殺そうと言うのならば、こちらにも考えがあるぞ。里の鬼と現世の鬼の間で戦争でもはじめるつもりか?」
わたしがびくりを肩を震わせると、千早様がなだめるように肩を撫でる。
牡丹様も、赤く紅を刷いた唇をニッと吊り上げた。
「あら面白い。この場であなたの首を取って、宣戦布告としゃれこんでもいいのよ?」
「母上‼」
青葉さんが悲鳴のような声を上げた。
水無瀬様はじっとこちらを睨んで、どう出るか考えあぐねているようだ。
「以前、あなたのところの鬼がユキを攫って殺そうとしてくれたわよねえ。そのときの借りもあるの。今この場で返してあげてもいいのよ?」
ボッと牡丹様の手のひらの上に、白い炎が宿った。
「……白炎の牡丹」
「牡丹様と呼びなさいな。あなたの顔は見たことあるわよ。和泉の息子。あの時はまだ小さかったけれど、百年も経てば変わるものね」
「かつて父が仕えた方であっても、容赦しませんよ」
「やれるものならやってごらんなさい」
好戦的に微笑む牡丹様と、それを睨む水無瀬様の視線が交錯する。
舌打ちした青葉さんが、牡丹様の側に寄りながらどうしたものかと頭を抱えていた。
そのとき、パァンと乾いた音がした。
ハッと顔を上げると、千早様が手を叩いたようだった。
「牡丹、やめろ。水無瀬も、ここで手を出せば分が悪いことくらいわかるだろう」
「千早、ここで水無瀬の首を取った方が、あとあと禍根がないかもしれないわよ」
「逆だ、馬鹿者。同族同士で争うきっかけになる。……水無瀬もだ。もしユキに手をかければ俺も牡丹も黙っていない。里の鬼は俺に従う。同族同士で争いたいのか? それこそ、昔の過ちを繰り返すことにつながると俺は思うが」
水無瀬様は険しい表情で押し黙ったけれど、しばらくして、細く息を吐き出した。
「私はてっきり、道間を監視下に置くためにそのものを娶ったと思っていましたよ」
「そんな面倒なことをするか」
「……そうですか」
水無瀬様も、千早様と牡丹様を敵に回すのは得策ではないと感じたのだろうか。
しばらく葛藤していたようだが、諦めたように首を横に振る。
「今日のところは引きましょう。ですが、覚えておいてください。もし昔と同じようなことが起こるようなら、現世の鬼は、刺し違えてでもあなたとその道間を殺します」
「道間ではない。ユキだ」
「……今日のところは、道間ではないと言うあなたの言葉を信じましょう」
「では、わたしからも一言。……もし、またユキに危害を加えるようなことがあれば、それが誰であろうと、今度はわたしが殺すわよ。あなたはともかく、他の鬼がわたしにかなうとは思わないことね」
「心に刻んでおきましょう」
もう一度息を吐き出した水無瀬様が、静かに立ち上がる。
青葉さんがお見送りのために水無瀬様と共に歩き出す。
牡丹様が白い炎を消すと、やれやれと息を吐いた。
「あーやだやだ、現世の鬼は、血の気が多くて困っちゃうわあ」
千早様はちらりと牡丹様を見て、それから疲れたようにぼそりと呟いた。
「……お前が言うな」
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