輝夜の焔(かぐやのほむら)

玖珂李奈

第1話 火焔の実

 火傷の刺すような痛みに耐えきれず、呻き声が湧きあがる。だがそれすらも、焼けただれた喉から吐き出すことができない。

 体が思うように動かない。離れだか物置だかの片隅に敷かれたむしろに寝かされているのだが、寝返りを打つこともままならない。このような状態で、どうやって『ほむらの山』からお屋敷に来ることができたのか自分でも謎だ。


 煤けた天井の木目が、口を歪ませて俺のことをあざわらっている。

 だが、かまうものか。誰がなんと言おうと、俺はやり遂げたのだ。


 「『焔の山』にあるという『火焔かえんの実』を採り、私のもとへ持って来た男には、我が娘カグヤを嫁にやろう」


 炎に焼かれ、感覚を失った手を伸ばして空を掴む。

 カグヤ。これで俺たちは夫婦になれる。

 身分に囚われることもなく。人目をはばかることもなく。

 やっと。




 おさ様の三女、カグヤの結婚に関する話は、村のあちこちにある高札場に貼りだされた。

 長様はこのあたり一帯の土地を取り仕切っている方で、手広く商売も行っている。そして俺たち「山の民」と呼ばれる者たちは、木で作った日用品を長様に納めることでなんとか糊口を凌いでいる立場だ。

 だから、長様や、そのお嬢様であるカグヤは、直接口をきくことはおろか目にすることも畏れ多いような方なのだ。

 本当は。


 カグヤとの出逢いは一年と少し前。長様と口論になった彼女がお屋敷を飛び出し、勢いで近くの山に入り、そして迷子になっていたところを俺が見つけたのだ。

 その時は、カグヤが長様のお嬢様だなんて知らなかったので、彼女に向かって「怒りに身を任せていたとはいえ、軽い気持ちで山に入るものではない」などと思いきり説教したものだ。

 そんな俺の言葉を、彼女は丁寧に受け止めてくれた。

 それから二人で他愛ないお喋りに興じ、気がつくと空が茜色に染まっていた。


 この時、既に俺の心の中には恋慕の火が灯っていた。

 それは、カグヤも同じだったという。


「――で、読んだよ。火焔の実を持ってくれば、っていうやつ」


 カンテラの不安定な光で、カグヤの白い頬が揺れる。

 山のふもとにある資材置き場。その傍らにある小屋での短い夜だけが、俺とカグヤに許された時間の全てだ。


「お父様、あんなことを触れ回るなんて酷いわ」

「火焔の実って、あの、火の雨が降り注ぐ山の頂上にあるやつだろ。あれくらい厳しい条件を乗り越える覚悟のある奴にしか、大事な娘はやらん、ってことなんだろうな」

「どうかしら。あの人は単に『一財産築けるくらい入手困難で貴重な実』が欲しいだけよ。そのついでに跳ねっ返り娘を押しつけられたら尚良し、みたいな」


 カンテラの灯を映した黒い瞳が怒りをたたえている。その瞳が俺をまっすぐに捕らえた。


「フジ」


 彼女の唇が俺の名を呼ぶ。


「私、お父様から『火焔の実を持ってきた男なら、誰でもいいから嫁にやる』って言われたのよ。それなのに、さっきからちょっと嬉しそうなのはなんでなのよ」

「だって嬉しいからさ。あれを見たときは、『やった!』って思ったし」


 風が強くなったようだ。木々のざわめく音が聞こえる。


「焔の山は火の雨が降る。でもずっと降りつづけているわけじゃないらしいし、過去には実の入手に成功して、『一財産築いた』人が存在する。とはいえ命がけであることには変わらない。だから苦労して手に入れた火焔の実を、売らずに長様に渡す奴なんて、なんとしてでもカグヤと結婚したい男だけだろ」


 身を乗り出し、彼女を見つめる。

 片手が触れる。彼女の小さな手が、躊躇いがちに俺の手を包む。

 少し冷たい指に、ぎゅっと力が入っている。


「俺、火焔の実を取ってくる。大丈夫。山登りなら得意だし、足も速いから、うまいこと火の雨を避けて、やりきってみせるよ。だから」


 重なった手を見、腹の奥に力を入れ、顔を上げる。


「もし火焔の実を手に入れることができたら、俺と夫婦になってくれないか」


 カグヤの目が見開かれる。

 カンテラの灯が揺れる。

 彼女は唇を噛み、俯いた。


「……嬉しい。凄く嬉しいわ。私、あなたと夫婦になりたい。だけど、いやよ。フジが火の雨に打たれたら」


 ぐっと顔を寄せる。鼻先が触れそうなほどに。


「ねえ。二人でここから逃げましょう。フジが危険な目に遭う必要なんかないわ。ね、逃げよう。私、頑張るから。煮炊きだってできるし、はたも織れるから、なんとかやっていけるわよ。だから一緒に」


 心が引きちぎれるような声で訴えてくれる彼女の唇の前に、そっと人差し指を出す。

 言葉が途切れる。俺はゆっくりと首を横に振った。


「ありがとう、そこまで言ってくれて。でも俺は逃げたくないんだ。カグヤを日陰の身にしたくない。カグヤには日の当たる世界で、堂々と『フジの妻だ』と言ってほしい」


 黒い瞳を見つめる。

 彼女が目を伏せる。はらはらと零れ落ちる涙は灯りを受けて光り、夜闇の中に吸い込まれていく。

 薄い肩が震えている。それを抱きしめたい衝動に駆られ、手を上げかけ、下ろす。

 だめだ。相想う仲とはいえ、夫婦の契りを交わす前に、これ以上触れるわけにはいかない。

 俺のかいながカグヤを抱きしめるのは、火焔の実を長様に差し出し、結婚の許しを得てからだ。




 開け放たれた窓の外から日の光が消え、物憂げな風が流れ込んでくる。

 痛い。だが、手などの酷い火傷の部分は、不思議と何も感じない。


 回らぬ頭で、火焔の実を取りに行った時のことを思い出す。


 焔の山は長様が治める土地のずっと先にあった。山の民の間ではよく知られた山だが、実際に目にしたのは勿論初めてだ。

 山に入った時は、噂に聞く火の雨は降っていなかった。にも拘わらず、周囲の空気は鋭い熱を帯びていた。

 草木も生き物もいない、岩だけの小山。時折、どこからともなく火の粉がぱらぱらと降ってきたが、岩陰に隠れたりしてどうにかやり過ごすことができた。


 火焔の実は、山の頂上から外界を睥睨へいげいするようにそびえ立つ木に実っていた。

 俺はなんとなく、「岩山の頂上にいきなり普通の木が生えていて、美味しそうな実がなっている」のだと思っていた。だが、当然そんなわけがない。

 火焔の実は、大きな木の形をした岩の先端に垂れ下がった、まばゆいばかりの光を放つ巨大な宝玉の塊だったのだ。


 岩の木は、普通の木よりもはるかに登りにくい。それでもなんとか実をもぎ取り、さて降りようかと空を見上げた。


 青空の中、丁度俺が登っている木の真上あたりに、赤黒い雲が現れる。

 それは徐々に大きくなる。雲の中を稲光のようなものが走る。

 やがてそこから、黄金色の糸のような火が一斉に降り注いできた。




 それから、俺はどうしたのだろう。

 とにかく山を駆け下りて、お屋敷に向かって歩いて歩いて。

 長様にお目通りが叶ったのは覚えている。火焔の実を見て歓声を上げていたような気がする。

 それから、なんだっけ。

 そうだ、屈強な男に担がれて、ここに転がされたんだ。

 そして、ええと――


「フジ!」


 扉が開く音と同時に声が響く。

 カグヤは駆け寄り、俺の姿を見て細い悲鳴を上げた。

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輝夜の焔(かぐやのほむら) 玖珂李奈 @mami_y

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