05.傾国の皇妃と傾国の浪費
この商人に、アラリック殿下の元婚約者だ暴露していいかどうか? 荷馬車に乗る前に必死に考えていたが、その結論は出ないまま。
「どうしてクビになったの?」
荷馬車の上でで向かい合った途端、ザクリとでも聞こえてきそうな勢いで核心に切り込まれた。膝の隣で丸まったヴァレンに助けを求めたけれど、目を閉じている。眠ってしまったのだろうか。
「……アラリック殿下の反感を買ってしまったから、ですかね」
嘘ではない。元婚約者として反感を買っていたので、嘘ではない。とりあえずそれで誤魔化した。
それに対し、予想外にラウレンツ様は顔を輝かせた。
「そんなに若いのに? じゃ、優秀なんだね」
若いのに、反感を買うということは、優秀。まったくもって意味が繋がらずに首を傾げた。どういうことだ。そして私の膝の隣で丸まっているヴァレンも耳を動かした。やっぱり起きてるじゃないの、どういうことよ。
「それはどういう意味で?」
「え? だって、王子殿下の反感を直接買うくらいには近い立場にいたメイドってことだろ?」
そうか、そういえばメイドと思われてたのだった。王子の元婚約者という立場は扱いづらいし、このままメイドとしてやり過ごすのもなしではないが……。
「それに、エーデンタール国の王子殿下は若いメイドをつけていないと聞いていたし、実際に見たことはなかったから。君は特別に許容されるくらい優秀だったんだね」
いや、斜め上の善意解釈だった……。やり過ごそうとした矢先の過大評価が申し訳なくて、謎の汗が滲み始めた。
アラリック殿下の傍に若いメイドがいなかったのは正しい、でもそれはヴィオラ様がそう望んだから。そして私は確かに世話を焼かされたものの、近くにいた最も大きな理由はただ婚約者だったからであって、メイドとしての特別な技能は、残念ながらない。
「……そう……なんですかね……」
「しかし、どうしてアラリック王子殿下のもとには若いメイドがいなかったの? やはり年の功は仕事にも生きると考えていらっしゃったのかな」
「いやアラリック王子殿下はなにも考えていません。ヴィ――……」
ヴィオラ様のことを説明しようとした瞬間、脳裏には「機密情報」の四文字が過ったが、ヴィオラ様は婚約者のように振る舞って長いし、今日明日には突貫工事よろしく盛大な婚約発表もされるはずだ。問題ないだろう。
「……アラリック王子殿下の婚約者になるご予定の公爵令嬢ヴィオラ様の采配です。若い女性が若い王子殿下の傍にいるべきではないと」
「予定……?」
「ええ、年齢を考えると不自然に思えるかもしれませんが、そういったご予定です。もともとヴィオラ様はお体が弱く、婚約という形で縛りつけることを他のみなさんが躊躇なさっていたのです」
半分本当、半分嘘。ヴィオラ様が病弱であることは機密情報でもなんでもないし、非難を口にしたわけでもないし、何の問題もないだろう。
「……そうだね、確かに体が弱いという印象はあるが……」
「ヴィオラ様をご存知なのですか?」
一瞬びっくりしてしまったけれど、ラウレンツ様は王城への出入りが許可されていたのだ。きっと公爵家にも出入りし、エーデンタール国内の貴族相手に手広く商売をしていたのだろう。
「もちろん。アラリック殿下に顔立ちがよく似ていらっしゃるよね、従妹君だと聞いて納得したよ」
と思ったら、なんだか風向きが怪しくなってきた。アラリック殿下の顔も直接ご存知……。
「しかしどうにも不可解だね。アラリック殿下には婚約者がいらっしゃるだろう? それなのにヴィオラ公爵令嬢と婚約のご予定とは、その婚約者の方はどうしたんだ?」
「そちらとは婚約破棄なさいましたから、近々発表があると思います、が……あの、すみません、ラウレンツ様。ラウレンツ様はどこの商家の御令息なのですか?」
“ラウレンツ・F”……フューラー、フリッツ、フィッツジェラルド、フェンリル……頭の中で、Fから始まるファミリーネームを片っ端から挙げていく。しかしどれも商家ではない。
ラウレンツ様の素性に対し、疑惑が生じ始める。一般論として、商人であれば、王子に婚約者がいると知っているのは当然のこと。ただ、私達に関しては幾分特殊な事情がある。もちろん、私は婚約者としてアナウンスこそされたものの、対外的な場に出してもらえることはなかったし、むしろそういった場にはヴィオラ様が呼ばれ、将来の王子妃に相応しいと誉めそやされて長かった。それを見た大抵の人間は、“アラリック王子殿下は、実際の婚約者を名ばかりのものにし、ヴィオラ公爵令嬢を立てたいのだ”と忖度してきた。商人もそれは同じこと、少なくとも国内では“ヴィオラ様こそ将来の王子妃”というのを建前にしている。
それなのに、ラウレンツ様がごくフラットな声音で
見つめる先のラウレンツ様は「ああ、ごめんごめん」と屈託なく笑って。
「俺は商家の生まれでも育ちでもないんだ。こう見えてファルク家のラウレンツだよ、ラウレンツ・レヴィン・ファルク――モンドハイン帝国皇子の」
暴露されたとんでもない事実に、顎がはずれそうになった。商隊を率いてる少年、ともすればボウヤとでも呼びたくなるような可愛らしさまであるのに、帝国皇子? さすがのヴァレンもぱちっと目を開ける。
「な……なんで皇子殿下が自ら商隊を率いていらっしゃるんですか!?」
「……まあ、簡単にいうと猫の手も借りたい状態だからかな?」
少し恥ずかしそうに柳眉を寄せながら、ラウレンツ様は手短に説明してくれた。
モンドハイン帝国は大陸屈指の領土面積を誇っており、必然強国というイメージが強い――が、実は元皇妃の浪費により国が傾くほどの財政難に陥り、また一族ばかり要職につける縁故登用を繰り返した結果汚職にまみれてしまっていた。
そんな元皇妃は、現在は一族と共に既に追放されている。しかし、それによって自動的にすべてが回復するわけではない。結果、元皇妃の継子であるラウレンツ殿下は、宮殿の統治体制を刷新して取り仕切るほか、なんと自ら商人となってまで財政の立て直しに奔走する羽目になってしまったのだという。
モンドハイン帝国の元皇妃が追放された話は私も知っている。なにせ隣国だ。ただ、もう4、5年は前の話だし、なにより事情を聞くのは初めてで、「はあー……」と感心したような唖然としたような相槌を打ってしまった。
「我々に漏れ聞こえていた噂としては元皇妃殿下が不義ゆえに追放された程度でしたが、そんな事情があったとは。傾国の皇妃が浪費というわけですね」
「いや本当に。本当にそうなんだ、本当に、国が半分以上沈むほどの浪費だったんだよ」
少し茶化してしまったのだけれど、ラウレンツ様は我が意を得たりと言わんばかりに食い気味に頷いた。
しかし、ラウレンツ様の説明のうち、帝国の大事はすべて過去形だった。私も元皇妃追放以外に話を聞いたことはなかった。ということは、このラウレンツ様は、傾国レベルの内憂を対外的に漏らさず、その手で抑え、隠し通してきたということだ。明るく軽薄そうに見えて、実はとんでもなく優秀な皇子殿下なのかもしれない。
「ラウレンツ様――いえ失礼しました。ラウレンツ殿下は――」
「いいよ、そう畏まらないで。俺も色んな意味で皇子らしからぬ振る舞いも多いし、知らない者もいるし」
「……ではラウレンツ様、差し支えなければお訊ねさせていただきたいのですが、ラウレンツ様がこのように商人として奔走なさっているのは、皇帝陛下はご存知なのですか? お話を聞く限り、皇帝陛下の存在感が少々希薄に思えまして」
「……傷心が癒えなくてね」
やるせなさそうな表情に、ボソッとした気まずそうな一言に、一気に老け込んだ横顔。それだけでお察しだった。
「……それは、大変……ご苦労なさっていらっしゃいますね……」
「……まあ、俺の話はよそう。ただ、俺が君を底値で雇いたいと考えた理由は分かってもらえたと思う。宮殿で雇用していたメイドはほとんどをクビにせざるを得なくて、それなりにきちんと教養もあり、仕事ができる人を探している。ただ――」
「能力の高い人間には当然高い給金も払わなければならない。しかし、エーデンタール国の王城で雇用されていた私にはそれなりの能力が見込まれ、一方でクビになった直後で職に困窮しているのであればその給金は低く抑えられるのではないかと、そういう目論見ということですね?」
話が繋がった。ハハーンとしたり顔を向けると、「まいったね」と驚きながらもそれ以上に満足した笑みで返された。
「まったくもって、そのとおりだ。もちろん不当に買いたたくつもりはない、少なくとも食住と、働くために必要な衣類も提供するよ」
「……私、商人気質の方って結構好きなんですよ。損得勘定で動いてくれるので、こちらが得を提供できる限りで裏切られることがありませんから」
「それは契約の承諾?」
「いえそこまでは。仕事の内容とそれに対するお給金次第です」
「まあ、そうだろうね。君の仕事の出来次第とも言いたいところなんだけれど……」
暫定ということで提示されたところによれば、職場はモンドブルク宮殿、仕事は1日7時間、メイドとしての雑務全般、給金は衣食住の費用別で日当5アストラ、粗相に責任を負う限度でヴァレンを連れていることも可。底値と言いながら、なかなかにいい待遇だった。ヴァレンと一緒に暮らそうとすれば、これ以上の条件は出ないだろう。
ただ、当初の懸念が残ったままだ。暴露していいものか、そのプラコンについて頭をフル回転させ――結論が出た。
「……ぜひともお受けしたいですが、もうひとつ条件をつけさせていただいても?」
「内容次第だね。どんな条件?」
「私、アラリック王子殿下の元婚約者のロザリア・ステラ・アルブレヒトというのですが、秘密にしたうえで雇っていただけます?」
その暴露は、ラウレンツ様の顔をもう一度凍りつかせた。
「……じゃあメイドの仕事なんてできないじゃないか!」
やっぱり、この人は驚いたりショックを受けたりするところが少しズレている。同じ感想を抱いたかのように、ヴァレンもフンと鼻を鳴らして笑っていた。
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