04.絵空事と厄介事
ラウレンツと名乗った(というか署名を見せた)少年は「急いでるから、移動しながらでいいかな?」と私を乗せるためにと少し馬車の荷物を整理し始めた。もともと自分が座っていた御者台には別の者をあてがい、私とヴァレンを乗せるための場所を空け、そこに自分も乗ろうと、そういうことらしい。
が、ヴァレンを乗せる? 目配せしたけれど、金の双眸は「どうでもいい」と興味なさげだった。
「……あの、すみません」
「うん? ああごめん、まだ名前も聞いてなかったね。お名前は、お嬢さん?」
「……ロザリアです」
「きれいな名前だね。そちらの犬は?」
私の足元に丸まっているヴァレンは、少々苛立たしげに片目でラウレンツ様を睨む。
「……ヴァレン、という名前です……」
「
困惑を何ととらえたのか、ラウレンツ様は構わずにヴァレンの前で屈みこみ、じっと見つめる。心なしかその目は輝き、愛らしい動物を見ているかのようだった。
「君の――ああごめん、ロザリアと呼んでいいかな」
「ええ、もちろん」
「ロザリアが自分で飼っていた犬なんだよね? 体高はそれほど高くないけれど、体格は立派だし、毛並みも随分上品だ。顔つき的にはオスかな?」
どこからツッコミを入れればいいのか、いやどこから話せばいいのか?
「……そうですね」
「凛々しい顔なわけだ。しかし賢そうだよね、こうして話しかけてると、一言一句たがわず人間と同じように理解されている気がするよ。急に喋り出しても驚かないな」
それはもちろん、一言一句違わず人間と同じように、なんなら下手な人間よりもよく理解しています。
「飼い始めてから長いの? もとは牧羊犬かな? ……ああ、ごめんごめん」
しかし、なにか一つでも話すとアラリック王子の元婚約者だと暴露する羽目になってしまうが、暴露していいものか否か――と思案していると、ラウレンツ様は嫌味なく笑った。
「商人のスイッチが入っていると、つい喋りすぎちゃうんだ。言いたくないことまで聞いていたらそう言ってくれて構わないよ」
「……そういうわけではないんですが。……あの、この子、ヴァレンというんですが、犬ではなくオオカミなんです」
その笑みが固まった。次いでぱちぱちと少年らしい目が何度も瞬き、しげしげとヴァレンを見つめる。ヴァレンはふてぶてしくそれを見つめ返した。
「……オオカミ?」
「ええ、オオカミです。ほら、この顎の筋肉をご覧ください」
今朝のアラリック殿下はヴァレンを「神獣でなくただのオオカミ」と言ったけれど、少し前には「そもそもオオカミですらなくイヌではないか」と小馬鹿にした笑みを向けたことがある。ヴァレンもいい加減王城での扱いに耐えかねていたらしく、そのときは大きく口を開けて牙を剥きながらジャンプした。王城内には断末魔のような叫び声が響き渡ったし、というかアラリック殿下は半泣きだったし、私はフォローのために「オオカミとイヌの違いを知ってほしくて」とその口を掴む羽目になった。
そのときのことを思い出しながら、いまもヴァレンの口をぐいと持ち上げる。ヴァレンは迷惑そうにしているけれど、イヌを乗せるのとオオカミを乗せるのとでは全く話が違うはずだ。これは説明する義務がある。
「犬より歯が大きいですし、目つきも鋭いです。あ、もちろんヴァレンは非常にのんびり屋で優しい子で、無暗に噛みつくことはしませんが、あくまでオオカミの特徴としてということですね。毛も長いですし、肩幅も広いですよ。ほらヴァレン、タッチ」
両手を出すと、ヴァレンはのそのそと起き上がって軽々と上半身を持ち上げ、その前足でハイタッチしてくれた。
その前足を掴んだまま、ラウレンツ様を見る。
「ね?」
「…………いやごめん、オオカミと犬の違いを直感以外で考えたことはなかったよ」
「山で遭遇したことなどございませんでしたか?」
「遭遇したとして、じっくり観察するような悠長な真似はしていられないからね?」
手をはなすと、ヴァレンは少し煩わしそうな態度で私の隣に座り込んだ。ラウレンツ様は、食いちぎられるのを心配するかのように、少しぎこちない様子でその顔を覗きこむ。
「でもそうか、オオカミだったのか……」
「あ、それでそうです、だからヴァレンを乗せていただいて大丈夫でしょうかとお訊ねしたかったのです。他の方も怖がるかもしれませんし」
「いや、少なくとも俺は驚いただけだから全然構わないよ。王城で飼っていたくらいだから、君のいうとおり無暗に他人や家畜を襲うことはないんだろうし。ただ……」
そうですよね、普通の方は怖がりますものね。きっと続く言葉は“お断り”だろう。やはり職探しは難しい、そう難しい顔をしてしまっていると。
「オオカミとなると、食事には何を与えればいいんだ?」
「え、そこですか?」
「え、他になにか問題が?」
「……いえ私はありませんが」
アラリック殿下はオオカミは肉食で金がかかるだのメイドや臣下が怖がるだの、あれこれ難癖をつけてきたのだが……さすが商人、一般の感覚にとらわれていては大成しないということか。この商人と共にいる人しかり。
「……食事という意味ではあまり問題ないと思います。この子は……基本的に食事は自分で済ませてきますし、そうでなくともなんでも食べられますから」
神獣なので、と言いかけて慌てて呑み込んだ。野生のオオカミがどうかは知らないけど、ヴァレンに言わせれば「神獣の肉体の作りを理屈で考えるな」だそうだ。人間の食事を食べたいがための方便ではないかとも思っているけれど、少なくとも食中りしているのは見たことがないので平気ではあるのだろう。
「ただしグルメです。オオカミだけが食べるようなものは措くとして、例えば私達がおいしくないと感じるような失敗料理はこの子も食べません」
「なんでも食べるけどグルメねえ……。オオカミにこう言うのは失礼かもしれないけれど、可愛がられて育ったんだね」
「可愛がったっていうか、だって可愛いじゃないですか!」
ぎゅっと、その背中から抱きかかえるようにして柔らかい頭に頬ずりした。む、と身じろぎされたけれど、喋れないふりをしているいまは気分によって文句を言われることもなく抱きしめ放題もふり放題!
「くりっとした金の目に、感情を表情の代わりに耳やしっぽであらわす仕草の愛らしさ! 銀色の長い毛はふわふわで柔らかくて、森のいい匂いまでして、抱きしめるだけでリラックス効果抜群です! たまに気分じゃないと嫌がってしまうんですけど、そうでなければいくら抱きしめても足りません。しかも私が小さい頃なんて私を包み込めるくらいのサイズでしたから、冬に一緒にいるとふわふわで柔らかくて温かくて、もう隣にいるだけで至福のときが……」
はっと我に返り、口を閉じた。王城ではヴァレンの出入りが許容されていたとはいえ、私含めて遠巻きにされていたのでうっかりはしゃいでしまった。
「……失礼しました」
「いや全然。ヴァレンのことが好きなんだね、よく分かったし、確かにその様子なら連れていっても問題なさそうだ。他の連中には俺から説明するよ」
ということは。抱きしめたままヴァレンの金の目と見つめ合った。ヴァレンを連れて働くことができるか、その第一関門はクリアだ。
「ありがとうございます!」
「お礼を言ってもらうのはまだ早いよ。俺はそこそこ厄介事を押し付けるつもりで、なおかつ君を底値で買うつもりだから」
にんまりと、ラウレンツ様は怪しい笑みを浮かべ、並び直した荷馬車を示した。
「とりあえず、移動しながら面談といこう」
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