・4-8 第32話:「今日はこれまで」

 兵士たちの喜びが伝わって来る。


 敵を打ち倒した。

 それも、ほとんど一方的に。


 その、劇的な勝利の興奮が従軍した者たちを高揚させ、身体の芯から声をあげさせている。


 熱狂をより強いモノとしているのは、恐怖から解放されたことの反動だった。

 ———二十年ぶりに起こった、[大噴火]。

 ベルトラン伯爵が気にかけていたことだったが、やはり、将兵の多くはそのことに違和感を覚え、言い表しようのない不安を感じていたのだろう。


 だが、自分たちはこうして、勝利することができた。

 戦いを生き延びることができた。


 それはきっと、この戦争全体にも当てはまるのに違いない。

 勝利の栄光と褒賞ほうしょうを得て、故郷に帰ることができるだろう。


 この勝利は、ベルトラン伯爵が意図していた通り、将兵の不安を吹き飛ばし、自信を取り戻させたようだった。


 その、嵐のよう感情のうねりの中で。

 エリアスは一人、静かだった。


「あの……、エリアス様?

 大丈夫でございますか? 」


 様子に気づき、馬を隣に並ばせてきた旗持の従者、アルフォンソ・カバリオが心配そうにたずねて来る。


「……ああ、いや。

 大丈夫、大丈夫だから」


 エリアスは冷や汗の浮かぶ作り笑いを浮かべるのが精いっぱいだった。


 なぜなら、———吐き気をこらえていたから。


 伯爵家を継ぐ者として、少女として生まれながら、少年として生きて来た。

 いつかこういう日が来るのだと想定し、覚悟して日々を積み重ねた。


 だが、実際に体験してみるのと、想像は違う。


 同じ人間にしか見えない相手に、騎槍ランスを突き刺した感触。

 剣を振り下ろした、手ごたえ。


 その生々しい実感が、エリアスに耐えがたい衝撃ショックを与え、強い不快感を招き寄せていた。


「お預かりします」


 表面的には「大丈夫」と取りつくろっていても、実際にはかなり我慢をしている。

 そういう気持ちを察してくれたのか、あるいは単純に従者として気を利かせてくれただけなのか、エリアスの手から剣を強引に奪い取ったアルは、片手に旗竿はたざおを持ったまま器用に自身の服で剣についていた血糊ちのりきとってくれた。


「ありがとう」


 彼の気づかいに少しだけ心が軽くなったような心地がし、ようやく、本当の笑みをわずかにだが浮かべることができる。


「いやぁ、お見事っ!

 実に見事な戦いぶりでしたぞ、エリアス殿っ! 」


 そこへ、敵と戦っていたベルトランが戻ってきて、惜しみない賞賛を浴びせてくれた。


「正直申しまして、今回の戦、我らだけで手柄を独り占めにしてやろうかとも思っておったのですがな。

 それが、それが、大間違い!

 リンセ伯爵家のみなみな様のお力添えが無ければ、とんだ不覚を取るところでござった!

 いやぁ、実にありがたい!

 これは、こたびの戦の一番手柄はワシではなく、エリアス殿が受けるべきでしょうな! 」

「ボルカン殿……、いえ、それは……」

「いやいや、まことにございまするぞ!

 リンセ伯爵の初陣は、見事な大勝利!

 これほどめでたいことはございますまい!

 うはははっ! 」


 ベルトラン伯爵はやたらと上機嫌に笑っている。


 それは、どうやら彼の思惑が当たり、火の民の先鋒軍をうまく撃破できたことだけが理由ではないらしかった。


 今回が初陣となる、エリアスが無事に手柄を立てることができたから。

 立派に指揮をとり、敵を打ち破ることができたから。

 そのことを特に喜んでいるらしい。


 その証拠は、「一番手柄はエリアス殿に」と申し出て来ている点だった。


 どう考えても、それはおかしい。

 今回の戦いではみっつの火の民の集団を撃破したが、その内のふたつまでは、ボルカン伯爵とその手勢が単独で倒したようなものなのだ。

 エリアスたちは確かに勝利を得たが、あげた功績の質と量で言えば、明らかにベルトランの方が大きい。


 それなのに、一番手柄は譲ってくれるという。

 おそらくは若いリンセ伯爵の初陣に華を添えてやりたい、ということなのだろう。


(断れそうもないな……)


 隣に馬を並べてばしんばしんと勢いよくエリアスの肩を叩きながら愉快そうに笑い続けているベルトランの姿を目の当たりにしては、苦笑するしかない。

 こちらがなにを言っても勢いのまま押し切ろうとするのに違いなく、今回の戦闘の一番手柄という栄誉は、こちらがもらい受ける以外にはなさそうだったからだ。


「ところで、ベルトラン殿。

 放置して来た東側の敵が残っているはずですが、いかがするおつもりでしょうか? 」

「……うむ!

 そうよの、まだ、二千ほどは残っておるはずであったな! 」


 諦めたエリアスが話を切り替えると、ベルトランは表情を引き締め東の方向を睨みつける。


 こちらが得ている情報によれば、火の民の先鋒軍はおよそ五千。

 それに対し、これまでに撃破したのは三千ほど。

 まだ二千程度の集団が無傷で残っている。


 こちらは三度の戦闘を経ていたが、各個撃破に成功したため受けた損害は非常に少なく、まだ五千の兵力を保っている。

 このまま戦えば間違いなく勝利できるはずだった。


「機会をつかみ、すべての敵を叩きましょうぞ!

 ……と、申したいところではあるが」


 しかし、ベルトランは首を左右に振った。


「戦いたいのは山々ではあるが、こちらは連戦のために馬が疲れてしまっておる。

 これでは、満足の行く戦いはできますまい。

 それに、ほどなく日が傾き、夜になりましょう。

 そうなれば思わぬ不覚を取る恐れもござる。

 ここは、敵の先鋒の半数以上を撃破したことを良しとし、一度後退し、兵を休ませ夜を明かしましょうぞ」


 気づけば、時刻はオヴェハ(およそ十五時くらい)を過ぎたところだった。

 八月の半ば、この世界では秋に相当する季節だったが、シアリーズ大陸の中でも南側に位置するソラーナ王国では日照時間が長く、もうしばらく明るいままだろう。


 だが、これからさらに敵を探して前進し、それから交戦する、ということを考えると、時間が心もとなかった。


 夜というのは戦わないのが基本だ。

 光の無い闇の中では敵の姿がよく見えず戦いづらいだけでなく、それどころか味方同士で攻撃してしまうことが頻繁に起こり得る。


 夜襲は戦術のひとつとしてよく知られたことだったが、これを成立させるためには、同士討ちを避けることや、暗がりの中でも敵を正確に補足して攻撃することなど、様々な条件を満たすために準備を整えなければならない。

 しかし、敵の先鋒をとにかく捕捉して撃滅しようと急いで進んで来たエリアスたちには、その備えはまったくなかった。


 ベルトランが指摘した通り、疲労も考慮しなければならない。


 戦争というのは、重労働だ。

 将兵は武具を身に着けたまま長い時間歩き続けた先で戦わなければならず、馬はフル装備の重い騎士を乗せたまま走り回らなければならない。


 すでに三度も戦った後だ。

 今は勝利の高揚感に包まれていて気づいていないが、ほどなく疲労感を自覚するだろう。


 宵闇が迫る中、疲れた兵で戦う。

 数の差から言ってまず負けはないだろうが、後方から敵の新手が出現する可能性も考えれば、無理に戦う必要は薄いかもしれない。


「そういたしましょう。

 このまま昨日野営した場所まで戻り、兵たちを休ませたいと思います」


 だからエリアスはベルトランの意見に反対しなかった。


 口元に笑みが浮かんでいる。


 それは、ひとまずのところはこれ以上戦わなくて済む、という、安心感から自然に生まれたものだった。


 ———こうして、エリアスたちの初陣は、勝利と共に終わりを迎えた。

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2025年1月10日 16:00

獅子令嬢と小指伯爵のレコンキスタ 熊吉(モノカキグマ) @whbtcats

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