宗教や政治といったタブー話題についてふんわりと語りたい。

スイーツ阿修羅

宗教や政治といったタブー話題についてふんわりと話したい

 政治や宗教のことについて、誰かと議論してみたいという気持ちがある。

 正解は一人一人違ってもいいんだ。

 でも、話し合わなくちゃ。

 自分の考え方があっている確信も得られないし、

 自分の中にだけ思想を閉じ込めたら、どんどんと現実から乖離し過激な思想に進みかねない。


 小中学校の教育制度として、導入が難しいのは百も承知だけどさ。

 宗教や政策について議論する場を設けてもいいんじゃないかと思う。

 話合わないと、興味が生まれない。理解も得られない。

 この間の衆議院選、20代の投票率が21%?くらいだったことに衝撃を受けたのです。

 自民党の総裁が変わって、凄く重要な局面だというのに。

 私と同世代の人たちはこれほどまでに感心がないのかと、ひどく驚かされました。


 かくいう私も、忙しい生活のなか、選挙日の朝に10分ほど公約を眺めて、

(バランサーとしての自覚をもち、必ず野党から選ぶ)(与党の力が大きすぎてしまうと、与党が暴走した時に止めてくれる勢力がいないから)

 という信念のもと、与党以外から、変なことを言っていない野党を探して投票しました。


 それでも私は、自分の”判断”に自信が持てなかったんですよね。


 本当なら、10人くらいで集まって、公約を読みながら議論したかったです。

 他の人の意見も聞いてみたい。他の人の知恵を理解してみたい。

 実際、投票後に両親と色々話したりして、「あぁやっぱりコッチの党に入れておけばよかった」と、軽く後悔しちゃいましたし。

 

 小学校の時間にも、こういう議論の場を設けるべきだと思うんですよね。

 喧嘩になる可能性のある話題は、避けて、嫌悪し、押し黙る。

 そんな、臭いモノに蓋をするという教育は、無難であって危険だと思うのです。


 議論を避けるという風習は、日本教育の生んだ大きな弊害ではないかと思います。

 日本人の傾向として、自分と違う考え方に対して、避けて距離を置いて目を逸らすという事が多いように感じます。

「喧嘩しないために議論を避ける」

 それは決して間違っている訳ではありませんが。


 本来あるべき姿は……

 

 「喧嘩しないように議論する」

 小中学校ではむしろ積極的に議論をして、喧嘩しないように議論する方法を学んでいくべきではないでしょうか。


 政治や宗教について議論や意見交換すること自体は、本来何の問題もないはずなんです。

 問題なのは、議論のなかで生まれる「人格否定などの発言者に対する誹謗中傷、暴言や暴力、思想の強要、洗脳」

 などではないかと思います。


 「議論」とは本来、論破ではなく相互理解を目指すものです。


 正解を見つける。結論づけるということは、議論のほんの一部分にすぎません。


 「議論」でもっとも大切なのは、「過程」です。

 「理解を深めていく過程」こそが、議論において最も肝心なのです。


 例え、議論のはじめと議論のおわりで、意見がまったく変わらなかったとしても、

 その議論に意味がなかったのかと言われると、全くそうではありません。

 結論は変わらなくても、議題やお互いに関する「理解度」は各段に増しているはずです。


 結論なんてさほど重要ではないのです。



 日本の教育では、議論や民主主義の一環として、「多数決」という教えが広く浸透していると考えます。

 しかし、私が思うに、「多数決」というのは民主主義のなかでも最底辺。

 どうしても意見が合わない時に、しかたなく行われる最終手段であると思うのです。


 例えば、とある高校において、文化祭の催し物を決める時を想像してみてください。

 文化祭実行委員の二人が黒板の前にたち、意見のある人に挙手させて、アイデアを黒板に箇条書きしていきます。

「お化け屋敷」「射的」「サバゲ」「クレープ屋さん」「ボウリング」……

 そして、15個ほどのアイデアが出て、誰も手を上げなくなったとします。

 沈黙を破るように、文化祭実行委員の一人が言います。


「さて、ではこの中から多数決を取ろうと思います」


 ……こういう事って、学校生活でめちゃくちゃ多いと思うんです。

 もちろん、「多数決」は結論を出すことだけを目的とするなら、最強最速の手段なんですよ。

 しかし、議論を深めることを完全に放棄し、数の暴力で決定づける行為。

 これを民主主義といっていいのか?とも思います。


 「さて、では今までに出た案のそれぞれに対して、アピールポイントがある人や、具体的、発展的なアイデアがある人はいますか?」


 こんな風に、さらに議論を深掘りしていく試みが大切なのではないかと思います。

 各意見に対して、情熱的な意見を持つ人、さらに面白くなりそうな画期的な案を思い付く人。

 色んな発言が生まれて、議論がなされることで。

「確かに、ピンにキャラクターを書きこんだら、ボウリングも楽しそうだな」とか、

「射的とボーリングって、一緒に出来ないかな? ボールと銃の二種類の中から、どっちで的を狙うのか、選べるといいな」とか。

「お化けやしきやるなら、和風が好きだわ」とか

「お化けやしきなら、ただ道を通り過ぎるだけじゃなくて、「宝を探す」みたいなミッションも加えると面白いんじゃないか」とか

「キーワードとかでもいいかもね。色んな場所にキーワードを書いておいて、お化け屋敷を出た時に見つけたキーワードの数だけ得点とか」


 色んな意見への理解を深めていく事が大切なのです。

 自分の意見が変わるかどうか、人の意見が変わるかどうかは関係ありません。

 ちゃんと議論した上で、最後に多数決を取るんです。


 そうすれば、自分の意見が通らなかった人も、きちんと多数決の結果に納得できるはずです。


 議論とは本来こうあるべきなのです。

 「ひとりひとりが意見を発言する」「互いに質問や意見を交わして理解を深め合う」「最後は多数決などで結論をだす」

 この中で最も大切なのは、意見を交わし合うフェーズです。


 しかしどうでしょう。学校で勉強してきた議論は、

 意見を出す、即、多数決。

 議論するフェーズがあまりに軽視されすぎているんじゃないかと思います。


 それだけではなく、最初に自分の意見を言わない人が多い。

 自分の意見ではなく、全体の顔色を伺った。全体の正解を最初から探り当てようとする。


 最初の自分の意見なんて、間違ってても正解でもどうでもいいんです。

 これから正解を探るために議論するんですから、最初は間違っていても良いんです。


 むしろ、自分の考え方が間違っているかどうか確認するために、人前で聞いてもらうのです。



 

 小学校や中学校で、宗教や政治を話題にすることは、非常に問題になりやすく導入が難しいことは良く分かっています。

 しかし、政治や宗教(そして野球?)の話題が、これほどまでにタブーとされている社会は、はたして健全な状態なのかと疑問に思うのです。

 

 だって、政治というのは、私達の生活の根幹に関わる話題ですよね。

 私は、誰かに自分の意見を聞いて、どう思うか聞いてみたいのです。

 私一人で政治を勉強して、考えてみても、よく分からないことばかりで、自分の考えに自信が持てないんです。


 宗教についても、軽く触れておきます。

 宗教という単語を聞くと、私の日本に生まれたからなのでしょうね……「洗脳」や「危険思想」というイメージをずっと持って生きてきたように思います。

 しかし、よく勉強して実態を知ってみると、宗教には二種類あることに気がつきました。


①「五大宗教を代表とする人間をしての生き方を語った道徳の教え」

 と、

②「新興宗教や五大宗教を曲解した過激派、排他思想、洗脳による搾取やテロリズムを目的とした危険思想」

 です。


 後者は論外です。

 この世に存在してはいけない種類の宗教です。


 しかし前者は、本質的には「道徳」であると思うのです。

「人に親切にしましょう。殺しや盗みはいけません。生まれてきたことに感謝しましょう。人類はみな平等です」

 多少の違いはあるものの、1000年以上に渡り多くの人々から支持を集めてきた宗教は、基本的にはかなりまっとうな道徳を語っています。

 非常にためになる教訓も多いです。

 神様とか仏様は、道徳を学ぶ上での、あくまで補助的なキャラクターであると私は認識しています。


 宗教の中から、どんな「道徳」を見出すのかが、大切だと思うのです。


 もちろん、五大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教)も規模が大きく、色々な勢力がいますから、

 曲解したり悪事に利用したり、道徳ではなくなってしまったものも無数に存在しています。


 私の見解としては、宗教の教えを参考にするときは、

 あくまで「現実の人生を生きる上での、道徳として利用する」

 ことにとどめるべきだと思います。

「死後の世界、前世、輪廻転生」など、現世から乖離してしまう教えは、危険な可能性が高いです。

 現実の自分を不幸にしてしまう可能性が高いと思います。


 こんな事を話すと、絶対に一部の人は、強い反発心や苛立ちを覚えてしまうと思います。


???「宗教が道徳だと!? そんなくだらないものじゃないぞ。私の信じる宗教は他の教えとは違うんだ。真の幸せに導いてくれる教えなんだ」

 とか、私に叫びたくなっている人が、いるのではないでしょうか?


 そんな人には……(私も昔そんな風に危険な思想に染まりそうになった経験があるのですが)

 ……心の底からの親切心で言わせてもらいます。

 

「あなたは今、幸せですか?」

 今です。来世とか神様とかじゃなくて。

 「誰かにお金や時間をお布施してはしていませんか? 時間とお金を搾取されてはいませんか?」

「あなたは巧妙なやり方で洗脳されているかもしれません。幸せになるには《この方法》しかないと思いこまされているかもしれません」

 自分が洗脳されていることに気づくのは、かなり難しいことです。

 私も、半年間ほど家族や祖父母と話しながら、奇跡的に洗脳が解けました。(かなりのアハ体験だった)


 今の私の言葉が、誰かが目を覚ます魔法となることを信じて。


 閉話休題。


 ながくなりました。もう12時!? 勉強します!


 タブーになりがちな宗教や政治のことについて語ってみました。

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