ブックタワーを攻略せよ!

清瀬 六朗

第1話 グロワール・ド・サンタントワーヌ号

 島の夕方。

 島嶼とうしょ部のフランス植民地ポールマクローの海辺にはおおぜいの物見高い連中が押し寄せていた。

 フランス人もいればイギリス人もいる、チン人もアジア人も島嶼人もいる。

 この連中が見に来たものは何かといえば、ただ一つ。

 その海岸にいかりを下ろして繋留されている奇妙な乗り物、船なのに空に浮かぶ船、飛行船というものだ。

 その飛行船を横に見て、海岸を見下ろす食堂のテラスで、二人の男が杯を交わしている。

 イギリス人はウイスキーを、フランス人はブランデーを、この海域のこととて、脚つきのグラスなどではなく、何の飾りもないだだのガラスのコップで楽しんでいる。

 下の食堂では何か見世物をやっているらしく、いっぱい客がいるが、このテラスにはこの二人しかいない。

 イギリス人が聞く。

 「バンコクからここまで空に浮かんできたって言うのか?」

 「ああ」

とフランス人の冒険家マルセル・デュピレーが答える。

 目が細く、口ひげを両側にピンと伸ばした痩せぎすの男で、道化師ではないかというような風貌だ。

 「アンナンの皇帝がサイゴンの港を使わせてくれなかったもんだからな。だから、お返しに、アンナンの農夫らが野良仕事してるすぐ上をわざと低く飛んでやった」

 「逃げた?」

 「いいや」

 冒険家は笑う。

 「あんたたちといっしょで、珍しいものが出て来たって集まって見上げてた。むしろ、呼び出された役人らしいのが、しっぽ巻いて逃げてたな」

 「下から鉄砲撃たれたらどうするんだよ? その水素袋に穴があいたら終わりなんだろう?」

 「当たるかよ。下から鉄砲撃ったって」

 冒険家はまた笑う。高慢に。

 「むしろ、こっちが多銃身銃でも装備してたとしたら、やつら、空から追い立てられて狙い撃ちされて、村まるごと全滅だぞ」

 「そんな戦争は願い下げだな」

 イギリス人は苦い顔で笑ってウイスキーを少しだけ飲む。

 フランス人の冒険家が言う。

 「しかも、アンナンから海に出てからはずっと逆風だ」

 「逆風で空を飛んでくるとは、たいしたもんだ」

とイギリス人が感心すると、

「そうさ。フランス人は偉大なのさ」

とデュピレーは答えた。

 「とくに、俺様はな。だからデュピレー船長と呼びたまえ」

 「ふん」

イギリス人は微笑して鼻を鳴らす。

 「一人しか乗ってないんだから船長は船長だろうよ。それに、おまえ様より、その、ブンゼン電池と、電気モーターと、ロジェ装置ってもんが偉大なんじゃないのか?」

 「ロジェ装置を忘れなかったというところは、あんたもお目が高い」

 デュピレー船長はブランデーをめながら言う。

 「そいつのおかげで、砂袋を捨てたり、水素を捨てたりしなくても、空の高いところから地上まで高さを変えることができる」

 「しかし、水素を加熱したりして、爆発したりしないのか?」

 「水素は酸素と混じらないかぎり爆発しない」

 フランス人はいきなりきまじめに解説を始めた。

 「そのために気密にするのは相当に手間がかかった。それに、ブンゼン電池ったって電力無限じゃないからな。効率よく加熱するための仕組みは苦心したな。それで重量が大きくなると上昇性能が低下して、意味ないからな」

 「それで」

とイギリス人はまたコップのウイスキーを少し飲む。

 「その船の名が、グロワール・ド・サンタントワーヌ、だっけ?」

 「そうさ」

 「聖アントニウスの栄光。聖アントニウスってだれなんだ? だいたい、おまえカトリックの坊さんがいばってるのって、嫌いだったろ?」

 「だからって神様を信じないわけじゃない」

 こんなに反っくり返ってこう言ってもらって、神様がこの男の信仰心を信じてくださるかどうか。

 「それに、あんたの帆船の「ペルシャの猟犬」とかいう、異教的でばち当たりな名はどうなんだよ?」

 「パーシャンハウンド。地上最速の猟犬だ」

 イギリス人のジョージ・コリンス船長は誇らしげに言って。胸をはって見せた。

 「そして、いまのところ、その名のとおり、この海域ではおれのスクーナーが最速だ」

 「ま、そういうことにしとこうか」

と言うと、デュピレー船長とコリンス船長は笑い、それぞれの杯、いや、ガラスのコップを傾けた。

 そこに、どすどすと無遠慮な足音を立てて、この店の女主人がやって来た。

 現地の島嶼人なのか、どこかからやって来たアジア人なのかはわからない。でっぷりと太った、中年の、いつも幸せそうなおばさんだ。

 「船長に至急会いたいという女の子が来てるけど?」

 このおばさんにはフランス語が通用しないので、イギリス人のコリンス船長が

「船長二人いるけど、どっち?」

ときく。

 「よくわからないけどね」

とおばさんが答えているところに、またどすどすと階段の板を蹴って、体格のよい若い女が上がってきた。

 現地人、たぶん島嶼人だが、それとは違う感じもある。

 女は息を切らしている。

 その女の姿を一目見て、コリンス船長が悠然と手を上げた。

 「よお。ガートルード、どうした?」

 「船、貸してください。というか、乗せてください」

 やって来た女、ガートルードは、二人のいるテラスのテーブルにたどり着くまでにフランス語でそう言った。

 「おれの船ならいつでも乗せてやるが」

とイギリス人のコリンス船長が言うと

「いや」

と、テーブルにたどり着いたガートルードは、もう一人の船長、デュピレー船長のほうを向く。

 「船長の、グロワール・ド・サンタントワーヌ号に、です」

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