第4話 最上階の密談

 本来の名はブルックタワー。

 いまは、街のわっぱたちから「ブックタワー」と呼ばれている塔の最上階には、男が一人いた。

 ほかの者たちの気配はない。

 日焼けした色の頬に、ぼさぼさの髪、白い、途方もない髭。

 だが、その髭の生えているあたりの肌だけが不似合いに白い。

 塔の最上階からは、三百六十度、周囲が見渡せた。熱帯のこととて、窓ガラスなどは張っていない。

 銃を手に持って、あたりを油断なく警戒しているが、さすがに疲労の色が濃い。

 屋根の上で何かがうなる音がして、それが近づいてきたときには、男も不審に思ったのか、窓から外を見上げた。

 だが、大きな屋根が張り出していて、上には何も見えない。

 別の窓に移動してまた屋根の上を見上げた。やはり何も見えない。

 夜のことで、しかも植民地都市の夜のことで、港のほうはまだ明るいが、港以外の街区は寝しずまっている。

 その背中の後ろで、どん、と大きい音がして、続いて衝撃があった。

 振り向いた男は、そちら側の窓から、体格のいい女がこちらに尻を向けて縄ばしご伝いに入ってくるのを見た。

 縄ばしごの下の端はその窓の手すりにいかりで引っかけてある。

 女は銃を背負っていたが、いま男が発砲すれば抵抗する方法はない。射殺はできなくても、ここから地面に落ちたら確実に墜死する。

 だが、男は発砲しなかった。銃を構えることもしていない。

 女は、別に慌てることもなく、手すりを乗り越え、最上階の床に降り立った。

 服についたほこりを払ってから、言う。

 「グレアム・グッドコートさん?」

 海賊のような男は、しばらく、侵入者の顔を見ていたが、軽く首を振った。

 耳のところの頬髭に手をやり、かすれた声で

「だれ?」

と聞く。

 「昼間にお会いしましたよね? セントローレンス植民地警察隊のガートルード・グレイ三世です」

 「そうか」

というと、男は、頬髭ともじゃもじゃの頭髪に手をやり、瞬時に力を入れて引っぱった。

 かつらとつけひげを床に捨てる。

 金髪の、色白の、まだ「かわいらしい」と言っていい少年、または若い青年の顔が現れた。

 だが、頬のところを日焼けした色で塗っているのが異様だ。

 下で騒がしい音がした。ガートルードが最上階に突入したのを見届けて、植民地警察の一隊も一階に突入したのだ。

 しかし、ガートルードが

「いま犯人と交渉中だよ。そのまま動かないで」

と呼びかけると、下の警察部隊はぴたっと動きを止める。

 青年は、たぶんイギリス人の男としては小柄なほうだろうけど、ガートルードよりはまだ少しうわぜいがあった。

 青年が問う。

 「わたしが犯人なのか?」

 「そりゃそうでしょ」

とガートルードは平然と答える。

 「あなたの失敗は、お屋敷の使用人と、ここのタワーを管理してる者も含めてブルック商会の店員まではおカネをばらまいて買収したのに、わたしたち植民地警察を買収しなかったことですよね」

 人なつこく笑う。

 「もし最初に買収していてくれれば、いや、買収でなくても事情を打ち明けていてくれれば、あなたがたをすんなりスペイン船まで行かせたでしょうに」

 「代理領事は父の友人だ」

 グレアム・グッドコートが言う。

 「警察に言うなんてとんでもない」

 「それは事前調査が足りませんでしたねえ」

 ガートルードがにこやかに答える。

 「代理領事はわたしたち植民地警察を信用していません。本国からもっと優良な警官を派遣してもらって置き換えたいと、ずっとそう考えています。だから、わたしたちも代理領事にだいじな情報を流したりはしない」

 ガートルードは、軽く笑い声を漏らしてから言う。

 「じゃ、かんたんな尋問ですが、使用人を買収できるのなら、屋敷内にとらえられていた人身売買の犠牲者を逃がすのに、何も自作自演の強盗誘拐劇を演じる必要はなかったのではないですか? その、売られていくことになっていた被害者に強盗団の扮装ふんそうなんかさせずに、ひそかに逃がせば」

 「十二人もいっせいに脱走すれば父だって気がつく。父が不在でも、取り巻きの商会幹部のだれかが」

 青年は、黙って、ガートルードの両目を見据えた。

 「わたしが人質に取られているから手は出せない、ということにしておかなければいけなかったのだ」

 つまり、強盗事件は自作自演、強盗団と人質は、邸内にとらえられていた人身売買の被害者が扮装したものだった、ということだ。

 強盗団の罪魁ざいかいはグッドコートの息子自身が演じた。屋敷内からはグッドコートの息子の姿が消えたから、強盗団が息子を連れ去って人質に取ったと信じさせてしまうにはじゅうぶんだった。

 「だったら」

とガートルードが言う。

 「これから、どうなさいます? あなたの父君のところに戻って、ご自身のやったことを告白されますか?」

 「やむを得ん」

と青年は言った。

 「折檻せっかんされ、あの人たちと同じように監禁されることだろうけど、父にとってわたしの学歴は財産だ。殺されることはないだろう」

 「あら、おこころざしの低いこと」

と、ガートルードはせりふを棒読みするように言う。

 「もともと、レイナ・デ・レバンテ号で港を出られたら、どうされるつもりでした?」

 「アメリカへ……合衆国へ行くつもりだった。働いて、勉強して」

 「で、大学卒の称号を得て、名士の仲間入りを?」

 「そんなことはどうでもいい!」

 青年は乱暴に言った。

 「貧しい人間が、わが子を売ったり、人買いの手先になったり、アヘンの売人になったり、そうして、その犠牲の上に不道徳なカネ持ちがどんどん儲けて名士に成り上がる。そんな世を変えたい。まあ、五‐六年前のフランスの革命の顛末てんまつを見ても、そういう理想がそうかんたんに成就するとは思わないが、少しぐらい役に立つことはできるだろうと思った」

 「じゃあ、初志を貫徹なされば?」

とガートルードが言う。

 「しかし、レイナ・デ・レバンテ号はもう出航してしまった。この島にいるかぎり、父から身を隠すことはできんだろう」

 「スペイン船は出港しましたが」

とガートルードはいたずらっぽく言った。

 「フランス船はまだ待機していますよ」

 「港にか?」

 「いいえ」

とガートルードは上を指さす。

 「この上に、グロワール・ド・サンタントワーヌ号が。まさか、縄ばしごで飛行船に乗り移るのが怖い、などとはおっしゃいませんよね?」

 「ま、飛行船はやったことはないが」

と青年は答える。平気なようだ。

 「プレジデンシースクールの劇団でアクロバットは何度もやって、一度もセーフティーネットの世話になったことはない」

 「じゃあ、行っていらっしゃいませ」

 ガートルードは、さっきよりももっとにこやかに、いたずらっぽく笑って言った。

 「まあ、船長の性格も含めて、あんまり乗り心地のいい船ではありませんけどね」

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