第3話 富豪の息子を救出せよ!

 「あそこのおん曹司ぞうしと言えば」

とコリンス船長がたんたんと言う。

 「そのグッドコート氏がとてもたいせつにしてる子で、名まえはグレアムとかいったかな。わざわざオーストラリアはシドニーのプレジデンシースクールってグラマースクールに留学させた子だ。プレジデンシースクールでの成績、学業も学業以外もきわめて優秀。だからオックスフォードでもケンブリッジでも進学できた。でも、けっきょく、親が本国の大学に行くことは認めないってことで、おととしの冬に帰って来た」

 「グラマースクールって文法学校だろう?」

とフランス人のデュピレー船長がきく。高慢な言いかたではなかった。

 「イギリスでは、文法だけで、そんな名門大学に進学できるのかい?」

 「イギリスのグラマースクールっていうのは、貴族や名士ではない人間が、貴族や名士に成り上がるために必要な教養を教える学校なんだ」

 「つまり」

と、デュピレー船長が

「グッドコートっていうその商人が貴族とか名士とかになりたいために、息子にそのための教育を授けた、と」

 「そういうこと」

とコリンス船長が言う。

 「とくに、そのプレジデンシースクールは、オーストラリアからイギリス本国に帰ったときに名士の仲間入りができるように、ってこともあるんだろうが、教育内容もレベルが高いうえに、生徒を、社会活動だの慈善活動だの、あとスポーツとかにも習熟させる、って方針で、救貧活動とか、アヘン中毒患者の更生活動とか、あとオーケストラも持ってるし、劇団も持ってる。どっちも休みのあいだとかオーストラリアの地方を巡業して回るんだがな、そう地方ってところは娯楽が少ないから重宝されてるって話だ。フットボールチームもレベルが高かったな」

 「イギリス人って、そういうのが好きだねぇ」

とフランス人のデュピレー船長が言うと、

「ノブレス・オブリージュとかいうあんたの国の概念をまじめに実行してるのさ」

とイギリス人のコリンス船長はこたえる。

 デュピレー船長は軽く肩をそびやかして返事に替える。

 「で、犯人の見当は?」

とコリンス船長がガートルードにきく。

 「去年から商船への襲撃を繰り返してるパーソンズ一味、ということですが。その、日に焼けた白い髭の髭もじゃの男っていうのも、その話に符合ふごうしていますし」

 「そのパーソンズって賊がいる、って話はときどき聞くが、シンガポールと香港のあいだで暴れてるって話だったよな。まさかこっちまで出て来るとは」

 コリンス船長が言った。

 ガートルードは、ちいさく、うん、とうなずいて、続ける。

 「それで、盗賊団とは、盗品は返す、人質も解放する、そのかわり犯人は全員見逃す、という条件で話をつけました。ところが」

と間を持たせてから、

「ハーディング代理領事が、そのブルックの店主のグッドコートの要請で、盗品の引き渡しが済んだところで十分な用意もないままに領事館の守備隊を突入させたんですが、賊の頭目とうもくが撃った弾が領事館守備隊の隊長のふくらはぎをかすったってだけで怖くなってさっさと逃げ出して、そのおかげで、領事館守備隊に死者は出なかったようですけど」

 「グッドコートは代理領事殿と仲がいいからな」

とコリンス船長が皮肉っぽく言う。

 「で、それで犯人が態度を硬化させた、と」

 「はい」

とガートルードはうなずく。

 「だれかがタワーに近づけば、それがだれであっても人質を無差別に殺す、とか言い出して。それで、賊の半分、十人ほどですが、それを、やつらが指定したスペインの汽船レイナ・デ・レバンテ号まで誘導しました。レイナ・デ・レバンテ号はその後すぐに出航、明朝までにはこのフランス領ポールマクローに到着すると思いますが」

 「しかし、最上階に、犯人とともにその御曹司を含む人質が残ってる、と」

 コリンス船長は無精ぶしょうひげの伸びだした顎を軽く撫でて見せた。

 「夜陰に乗じて突入とかは?」

 「タワーの内部は照明が入ってて上から丸見えですし、暗くて足場も確かめられない状態で外の構造材をよじ登るのはむちゃです。上から撃たれる前に、たぶん滑って落ちて死にます」

 「それで、おれの飛行船で、その夜陰ってやつに乗じて最上階に突入しようと」

というデュピレー船長のききかたがあいかわらず高慢だ。

 ガートルードは若い女らしくにっこりと笑った。

 「そういうことです」

 「だが、こんなでかいものが空中から接近すれば、いくら夜とはいえ、気がつかないってわけにはいくまい?」

とデュピレー船長はふんぞり返るのをやめて、テーブルに手をついて言う。

 ガートルードが答える。

 「夜の闇にまぎれて高い高度で進入して、真上から降下すれば」

 「あのタワーは、屋根が大きいせいで、真上は見通せんしな」

とコリンス船長が眉をひそめ、目を逸らして言う。

 「それに、まあ、電気モーターの音を聞き分けるやつは、セントローレンスにはおらんだろう」

 「だが」

とデュピレー船長がガートルードを横目で見て、言う。

 「たとえ飛行船からあんた一人で最上階とかに乗り込むのに成功したところで、あんたが撃たれてあっけなく終わり、ってことにはならないのか?」

 「成算はあります」

 ガートルードは自信たっぷりに言う。

 「わたしが突入したのを見届けたら、警察隊が踏み込むことになってますし、まあ、たぶん、そこまで行かずに事件は解決かと」

 で、うん、とうなずいて見せる。

 コリンス船長は、軽く笑いをたたえて、フランス人の飛行船船長を見る。

 「あとは、あんたがそのモーターとロジェ装置を操って、飛行船を上空から垂直に降下させられるか、だが」

 「垂直とか、簡単に言うが、な」

と、デュピレー船長が声を鼻にかけて、もともと鼻にかかる音の多いフランス語で言う。

 「風の向きも強さも空の高さによって大きく変わる。飛行船は風に流されるからな。しかも横風に流されたらどうにもできんから、風上に船を立てながらのややこしい操船が要求される」

 「じゃあ、無理ってこと?」

とコリンス船長がにやっと笑う。

 デュピレー船長は、ふんっ、と鼻を鳴らした。

 「やってやろうじゃないか。難しい操船を試す、いい機会だ。何せ……」

と、デュピレー船長はそのまま大見得を切るつもりだったのかも知れない。しかし、その前に、ガートルードが

「じゃあ、帰りにもお客さん一人乗せてくれません?」

と言い、コリンス船長も

「出発前に、一つ頼まれごとを片づけてくれんか? すぐすむから」

と事務的に言ったので、デュピレー船長は見得を切る機会を失った。

 そのかわり、

「なんだよ、子どもが使いに出ると知ったら、次々に出て来てものを頼む近所のおじさんおばさんみたいに」

と、高慢に、愚痴っぽく言う。

 でも、もちろん、そんなことでやる気を失うフランス人の冒険家ではなかった。

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