Case 7. 虫になった魔王
ここにひとりの女がいるだろ?
開業前の診療所、掃除道具を放っぽりだして何やら神妙な顔つきでうろついている、この女だよ。
名前はウェンディ。看護師としての業務はほぼ完璧にこなすが、コミュニケーションスキルが方向音痴すぎるせいで、たびたびカオスを招く元風の精霊だ。
ところが、今日はいつもと違う。
真剣な眼光で天井を睨みつけ、狙いすますようにあちこち角度を変えながら、何やらぶつぶつ呟いている。
「怒りし風神よ、今この場に……あっ、また動いた、ちょこまかと……天を乱し地を轟かす烈風の担い手よ、我に……ああっ、また! もーお、うーごーかーなーいーでー!」
「おや、何しているんですか、ウェンディ」
予約患者のカルテを整理していた息郎は、いつもと違う様子で診療所をうろつく看護師に気づき、デスクから顔をあげた。
「あ、先生。でっかい虫が入ってきちゃったんですよ~」
「虫ですか。蚊とか蜘蛛とかですか?」
「いいえ、魔王さんです」
「魔王様⁉️」
ちょうど出勤したリリスが、ドアを開けると同時に驚愕の声をあげる。
「ああ、魔王ですか。繁殖すると厄介ですからね。死骸は土に埋めるか、海に捨てるかしてくださいね」
「はーい」
「いえ、違いますのよ⁉️ 魔王様なのでしょう、あの虫! ああ、その雄々しく黒々とした毛並み、禍々しく尖った羽根……虫になってもなお、麗しい……」
「怒りし風神よ、今この場に嵐の呪いを叫び……」
「やめなさいバカ娘! 魔王様を仕留めてはいけませんわ! あと、ただの虫退治にしては詠唱が仰々しすぎてよ⁉️」
スパコーンッ!
リリスは来院患者用のスリッパで、ウェンディの後頭部をはたいた。
ウェンディに1のダメージ!
効果は今ひとつのようだ。
「それで、今日はどうされましたか?」
何事もなかったかのように、問診を開始する息郎。いつの間にか白衣を着て、聴診器を首にかけている。
「ぶい~~ん、ぶ~~~ん」
魔王はそんな息郎の周りを、何か言いたげに飛び回る。
一言も言葉を発さない。喋れなくなってしまったのだろうか。
まあ、「どうされました」も何も、一目瞭然で「虫になってしまった」んだけどな。
大方また、勇者の魔法とやらのせいだろう。
「ひとまずお腹の音でも聴いてみましょうか。ちょっと羽音がうるさいですね。その羽根をもぎ取ってもいいですか?」
「ぶい⁉️ ぶい~~ん、ぶい~~~んっ」
命の危機を直感した魔王。8の字を描きながら息郎から遠のく。
「魔王様っ、お労しやそのような姿になってしまわれて……!」
突然飛び出してくる、悪魔風の青年。
「おや、ベリアル。どうされましたか?」
「魔王様の危機と伺い、馳せ参じました」
「ワタクシが魔族どうしの通信でお呼びしましたわ……あまりにも多勢に無勢でしたので……」
急激に魔力を使ったせいか、少し息が切れているリリス。
「フンッ、本来ならば裏切り者の通信などに応えたくはなかったが……魔王様のためとあっては仕方があるまい」
「……」
どうやら、先日の騒動の禍根は、まだ癒えていないらしい。
「ご家族の方が来ていただけてよかったです。こちらの同意書にサインをいただけますか?」
「む。ええっと、なになに……。処置の際、予期せぬ事態が起こる場合があります。そのときは、魔王を標本や剥製にすることに同意しますか……って、するかーっ⁉️」
「ぶい~ん! ぶい~ん!」
手渡した紙を読み上げ、即座にびりびりと破くベリアル。
抗議するようにあたりを飛び回る魔王虫。
「おや、同意いただけませんか」
「いただけませぬ! 魔王様を何だとお思いか⁉️」
「残念。ですが、みなさん気になりませんか?」
「む……何がですかな?」
「?」
「?」
「ぶい~ん?」
息郎の疑問提起に、一同は首を傾げる。
「いえ、単純に……魔王は、体の何倍までの物を持ち上げられるんだろう、とか。咆哮による地響きは、どれくらい遠くまで届くのだろう、とか。普段の巨体ではなかなか試しづらいことですが、虫になった今であれば気軽に実験できるな、と思ったので」
息郎以外の3人の視線が、診療所を飛び交う一匹の黒い虫に集まる。
なるほど、子ども用の図鑑に載っているようなウンチク情報だな。
アリは体の何十倍、何百倍のものを持ち上げることができる、とか。
ゾウは10km先の仲間と足の裏で会話ができる、とか。
「……魔王様はその昔、腕相撲大会の決勝で巨人族の猛者を瞬殺してみせたとか……果たして、その腕力はどれほど無尽蔵なものなのか……」
「魔王様はどんなお食事をお好みなのかしら……普段は振る舞うチャンスなどございませんので、この機会に……」
「魔王さんの体、どんなキノコが生えやすいかなぁ……普通のフユムシナツクサタケでいいのかなぁ……それとも、ヒトクイタケのほうがいいかなぁ……」
「ぶ、ぶい……いん?」
各々の思惑が、淀んだシナジーを生み出す。
ひとり、冬虫夏草を作ろうとしているヤツがいる気もするけど、まあ気にすまい。
こうして、三人の不敵な笑みが魔王の背筋を凍らせる中、虫化した魔王を用いた大実験が開幕した。
†‡†‡†
「はははははっ! さすが、さすが魔王様! 素晴らしい……素晴らしいお力ですぞ、はははっ、はーっはっはっはっはっ!!」
「ぶっ……ぶい~~~んっ!!!」
そう高笑いしながら地団駄を踏むベリアル。
その足を、虫になった魔王が必死の形相で受け止めている。踏み潰される直前で、ベリアルの靴の裏に六本の手足を貼り付け、力技で跳ね返す。小さな虫の体とは思えない芸当だ。
「全体重を乗せても潰れない! それどころか跳ね返してくる! どれほど全力で踏んでも! どれほど魔力を籠めても! これでもですか? これでもですか? あーっはっはっはっ、素晴らしい、素晴らしいですぞ! はーっはっはっはっ」
なんだろう。
一応、名目上は魔王の筋力テストのはずんだんけど。
日頃の鬱憤っぽいものが透けて見えるのは、気のせいだろうか。
†‡†‡†
「はい、魔王様。あ~~ん」
「ぶっ、ぶい~~ん……ぶぶぶぶぶぶぶうっ」
大型スプーンにもりもりのショートケーキを、虫になった魔王の口元……もとい、顔面全体に押し付けるリリス。クリームまみれに埋まっていく魔王。
結婚式のファーストバイトかよ。
「まだまだたくさんございますからね? ふふっ、張り切って作りすぎてしまいましたの」
そう言っておしとやかな素振りを見せるリリスの背後には、満漢全席のごとき料理の山、山、山……。怨念のような多量の食材が、魔王を睨みつけている。
とても虫の体に収まり切る量には思えない。
「ぶ、ぶい~~~~んっ、ぶぶぶぶぶっ」
魔王は逃げ出した!
しかし、生クリームが絡まって羽根が動かない!
「ご遠慮なさらず! さあ、たーんと召し上がれ?」
「ぶぶぶぶ……ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶっ!!!」
†‡†‡†
「やはり、フユムシナツクサタケでは上手く根づきませんねー。本命のヒトクイタケを試してみましょう」
「ぶいいい~~~~いいんっ、ぶいいいいいんっ!!」
ひとり、冬虫夏草を作ろうとしているウェンディ。
魔王の猛反発を受け、苦戦している。虫になったとはいえ、さすがは魔王。ウェンディが風に菌類を乗せて襲いかかるが、間一髪のところで防御魔法を展開してしのいでいる。
「遊びは……これまでです! 天を乱し雷神よ、嵐雲を統べし風神よ、その怒り我が袂に集わせ、疾風迅雷の矢を放て……グレイスドリアド!」
ウェンディが詠唱を終えた途端、稲妻を伴う凄まじい風が周囲を包み込み、魔王の退路を塞ぐ。その上、風雷の風に引き寄せられるように、ふらふらと空中を彷徨する。空気の流れを乱され、羽根による浮遊が不安定になっているのだ。
前から思っていたんだけど、なんで風の神はこの阿呆にこんだけ魔法の力を貸し続けてんだろう?
「終わりです! 喰らえ! ヒトクイタケの菌風を!」
「ぶっ! ぶいいいいいいいいんっ!」
ぼわんっ。
ウェンディのふるったヒトクイタケが魔王の体に到達したとたん、その小さな虫の体が、いつもの禍々しい魔界の王たる巨体へと戻った。
「は?」
「えええっ⁉️」
同時に仰天する、ベリアルとリリス。
「お見事です、ウェンディ。よくぞ虫化魔法の解呪方法が、キノコによる寄生であることを見抜きましたね」
当然のような顔をして、息郎。
「えへへ。こう見えても先生の一番弟子ですからっ。ちゃーんと勉強してますよ?」
本当か?
本当か、ウェンディ?
その割には、えらく本気の魔法を使ってなかったか?
「………………………………ベリアル、リリスよ」
さて、無事に元の体を取り戻した魔王。
不気味なほど静かに、口を開く。
「は、はひ……」
「な、ななな、なんでございますの……?」
震える、二人。
どうやら、気がついたようだ。滅多にない機会だからと、羽目を外しすぎたことに。
「のう。なんだか、久々にゆっくり語らいたくなった。ちょっと二人とも、付き合わんか。…………………………ゆっくりと、な」
禍々しいオーラと共に、開かれる不気味な笑顔。
鋭い牙の向こうの暗闇が、これから二人が見ることになる非業な未来を予感させた。
……が、まあ気にしないでおこうぜ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いよいよ始まったぜ、カクヨムコン10!
この作品も「異世界ライフ」部門にエントリーしています。
本作をより多くの読者に知ってもらいたいので、もし気に入っていただけましたら、作品へのフォローや★★★などで応援していただけると大変嬉しいです!!
よろしくお願いします!!
魔王の主治医~冷静すぎるスーパーエリート医師、異世界で魔王を治す~ HAL No. 炎息 @ensoku_haruno
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。魔王の主治医~冷静すぎるスーパーエリート医師、異世界で魔王を治す~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます