Case 6.【後編】踊り狂う露出狂とアナフィラキシー・ショック

 ここに、ひとりの女がいるだろ?

 魔界の端っこ、毒蛇の谷の断崖に立ち、ひとり下手くそなダンスを踊っているこの女だ。


 彼女の名はリリス。自称、魔界一の回復術師。

 その自慢の回復術で、先日、主君たる魔王を死の間際まで追い込んだ当本人だ。


 魔族たちの耳は早い。

 ウワサは瞬く間に広がり、翌日には魔界全域が彼女の愚行を知る事態になった。


「あれだけの失態を犯しておいて、よくおめおめと魔界に戻ってこれたもんだな」

「貴様のような無能を置いておくと、ダンジョンが全滅してしまう。とっととね!」


 なかには、


「惜しかったなぁ。もうちょっとで『魔王を倒した伝説の勇者』になれたのになぁ」


 と皮肉交じりに囁いてくる輩もいる。


 ――疲れた、なぁ。


 踊りながら、リリスは静かに涙を落とす。



 リリスの母は、パペット踊る人形と呼ばれる、木の魔物の一族だった。


 パペット踊る人形には肌も、毛もない。木を削って作ったような、頭、体、手足。顔には3つの穴が空いている。目の位置に2つ、口の位置に1つ。各部位のパーツをヒトの形に組み合わせて、カタカタと関節を鳴らしながら動くのが、パペット踊る人形の特性だった。


 その家系に生まれた異端児、リリス。

 彼女には浅黒い肌もあったし、つややかな髪の毛も伸びていた。目のくぼみには眼球が埋まり、口の穴には歯が生えてきた。


 明らかに、純粋なパペット踊る人形の子ではない。

 父親は誰なのか。もしかして『人間』なのではないのか。


 不明のまま噂話は広がり、母は糾弾され、疎外され、裏切り者のレッテルを貼られた。

 リリスは母とともに秘境に逃げ延び、隠れるようにして幼少期を過ごした。


 踊りは好きだった。でもどれほど練習を積んでも、母のように上手くはならなかった。

 踊りで人間どもを魅了することもできないし、攻撃することもできない。


 パペット踊る人形の子なのに、踊れない。

 魔族なのに戦えない。


 やがてその劣等感は、呪いのようにリリスにまとわりつくようになった。


 せめてもの役に立てるように、と、成人したリリスは身分を偽り、回復術を習いはじめた。

 踊りよりは適正があったようで、彼女の回復術はそれなりの効果を発揮するようになった。


 ダンジョンやフィールドに配置される雑魚モンスターの回復役として、酷使される日々。

 忙殺される彼女の心を、とある一言が揺さぶった。


「おお、なんだかラクになった気がするぞ。やるな、おヌシ。きっと魔界一の回復術師になるのであろう。期待しておるぞ」


 まだ魔界を統べる前の、魔王だった。


 その大きな背中に、リリスは憧れを抱いたのだった。

 この方のために働きたい。この方のためだけに働きたい、と。



 現実はそう簡単にいくものでもない。

 こともあろう、憎き『人間』に主治医の立場を奪われた。それどころか、自分の治療ミスを指摘され、完璧な尻拭いまで施されてしまった。


 何よりも、自分が護ろうと心に決めた大事な魔王を、死の危険に追いやってしまった。


 もういい。もう疲れた。

 リリスは踊りながら、気持ちを更に一弾落とす。

 足元を見ると、容易に死を想像させる、魔界の断崖絶壁。


「飛んじゃおうかしら――」


 リリスが体重を、断崖のほうへ傾けた、その途端。


「いけませんよ」

「ひゃあああああああああああっ⁉️」


 ニョキ、っとマテガイのように、ひとりの男が足元から飛び出してきた。

 ご存知、スーパーエリート医師の芯出しんで息郎いきろうである。


「あ、あな、あなあなな、貴方という方は、なぜ、そういつもいつも、予想もしていないところから登場するんですの⁉️」

「ナースコールが鳴ったら3秒以内に駆けつけられるよう、元の世界にいた頃から鍛えていましたので」

「診療所からこの断崖まで、どれほど距離があるとお思いで⁉️」

「調子が良いときは、東京からフロリダまで駆けつけたこともあります。3秒で」

「よく分かりませんが、なんだかとてつもないことを仰っていることだけは分かりますわ⁉️」


 その距離、11747キロメートル。

 秒速およそ4キロで移動したことになるぞ、息郎。


「どうでもいいですが、ワタクシ、別に貴方の患者ではありませんのよ。だから、お呼びじゃありませんわ。お帰りくださいまし」


 息郎に驚かされて腰を抜かしたまま、強がるリリス。

 だが、彼女は知らないのだ。息郎の洞察力は、彼女の頬に残ったわずかな涙の跡から、心の病をすべて見透かしてしまうことを。


「たった一度のミスで、すべてを諦めてしまうつもりですか」


 息郎は地面に座り込んだままの彼女と向かい合うようにして、腰を落とす。

 目線をあわせる。リリスが、逸らす。


「……その一回で、大事な方を失いかけたのです。もう生きてはいられませんわ」

「失敗は、誰にでもあるものです」

「お黙りなさいっ! あなたのようなエリートに、ワタクシの気持ちがわかってたまるものですか!」


 涙まじりに、啖呵を切るリリス。

 その言葉には、今回の件だけでない、人生の怨念がこもっていた。


「……わかりますよ」

「え?」


 ……笑っ、た? 息郎が?


 いや!

 笑ってない! これは幻覚だ!


 相変わらずの鉄面皮。典型的な三白眼。つり上がった眉毛に、一瞬たりとも緩まない口元。


 なのに、どこか優しい印象を受ける表情をかもしだしている。

 なんだ⁉️ いったい何の魔法を使っているんだ、息郎⁉️


「私もね、若い頃に同じような過ちを犯したことがあるんです」

「同じような……?」

「ええ。自分の驕りから、無茶な手術を行い、大切なひとの命を奪いかけてしまいました」

「……今のワタクシと一緒ですわね」

「そうです。その方はその後、無事に危機を乗り越えることはできたのですが……意識が戻ったとき、私にかけてくれた言葉は、今も忘れられません」

「……どんな言葉を?」


 息郎は魔界の空を仰ぎ見て、静かに一度、深呼吸した。


 ――芯出くん、君は私から2つのことを学びましたね。医者は、簡単に人の命を奪うことができるのだということ。そして医者は、その消えかけた命すら、救い出すこともできるのだということ。願わくば、君の残る医師人生が、後者の多いものでありますように。


「その後、鍛錬に鍛錬を重ね、『消えかけた命を救い出す』医師に少しずつ近づいてこれました。けれど、まだまだです。この世界に来て痛感しています。私の知らない、未知の病は、まだ山程あるのだ、と」


 いや、そりゃあ……聖なる炎だの、水の牢獄だの、喋る口の召喚だの、腐敗し続ける体だの、棒になる魔法だの……、そんなの元の世界にはあるわけがないからな……。


「……」


 ほら、リリスも黙っちゃったよ。

 どうするつもりだ、息郎。


「リリスさん。良かったらウチで働きませんか?」

「……え?」


 ……え?


「私が見たところ、妖美系の回復術師はどうやら稀なようです。スキルレベルも一定以上ありそうですし、今回のような無茶をしなければ一般診療ぐらいはお任せできるのではないかと思っています」

「で、でも! 貴方のような名医がいるのに、ワタクシの出番だなんて……」

「昨日もそうでしたが、しばしば訪問診療の依頼もありましてね。診療所を空けることも多いんです。その間、これまでは診察をお待ちいただいていたんですが……留守を任せられる、経験のある回復術師さんがいると、私も心強いです」

「ワタクシが……お役に立てる?」

「はい。ぜひ、お願いしたいです」

「魔王様の治療も、かかわらせていただける?」

「それは、もうやめてください」


 真顔で言ってのける息郎に、リリスは思わず吹き出す。


「ぷっ……あーっはは、可笑しい。貴方って面白い方ね」

「はじめて言われました」


 そりゃそうだろう。

 面白いとかいう次元を飛び越えて、バカバカしくなるほどの超ハイスペックだからな、お前。


 愉快そうに笑った後、リリスは姿勢を正し、頭を垂れた。


「リリスと申します。これから、よろしくお願い致しますわ、医師ドクター

「こちらこそ、よろしくおねがいします、術師ドクター


 こうして、息郎の診療所に新たなスタッフが増えることになった。


 ちなみに、さっき息郎が語っていた失敗談は、こいつが研修医になって2日目の出来事だったりする。

 しかも手術オペの内容も、当時前人未到とされていた難度の高いもので、一時は命が危ぶまれる事態まで陥るも、そこからリカバーして手術成功までの道筋を整えたのも、息郎自身だったりする。

 あと、『大切なひと』ってのは息郎の家族とか恋人とかじゃなくて、当時の内閣総理大臣。国家規模の『大切なひと』だったわけで。


 規格外のスーパーエリート医師は、やはり若い頃から規格外だったんだが、まあリリスには内緒にしといてやろうぜ。


 約束な?

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