ラノベ批評空間

霜月夜空

古典派SFの金字塔!―『夏への扉』ロバート・A・ハインライン

 私が最初にこの小説を知ったのは、一人の尊敬するライトノベル作家、八目迷先生のインタビューを拝見した時のことであった。『時と四季シリーズ』『ミモザの告白』などの作品を生み出し、瑞々しくも心抉る緻密な文章と、独自のSF要素をちりばめた物語設定で、小学館GAGAGA文庫を牽引する、"ライト文芸"の名手である八目迷。思い出すこと半年と少し前、私は先生のデビュー作『夏へのトンネル、さよならの出口』を読んだ時、胸に押し寄せた情熱と感動を、おそらく生涯に渡って忘れることはないだろう。それくらい大好きな作品であり、作家としての私のかけがえのない動力源となった夏トンであるが、八目先生曰く、この作品のタイトルの元ネタとなったのが、まさに今回紹介する小説―アメリカ人SF作家、ロバート・A・ハインライン著の『夏への扉』である。


 私は昔から、憧れの人物のマネをする癖があった。精神分析学では、このような無意識の行動を『同一化』と呼ぶらしい。好きな有名人と同じ服を着る、口調を寄せる、価値観や考えを自分の中に取り込む…このような行為を繰り返すことで、理想のあの人に少しは近づけたのではという期待や、現在の自分に対する不満に応えるのである。あまりのバカっぷりに、今思えば笑いを禁じ得ないのだが、小学二年生の時、『ジョジョの奇妙な冒険』の第二部に出てくるシーザー・アントニオ・ツェペリに憧れて、彼のトレードマークであるバンダナのつもりで、教室の汚い床で拾った紫色の糸くずを額に巻き付けて下校した。これ以上ないドヤ顔で、肩で風を切って歩いていた。この世に生まれ落ちて八年。あの頃、私は無敵だった。


 こんな具合に、昔も今もイタい私が、胸の内で師と仰ぐ八目大先生が過去に読んだ作品、しかも人生を賭けたデビュー作のタイトル、その元ネタとなった作品を読まずにいることなど、当然できるはずがなかった。


 というわけで、私は自分の通う大学の図書館の文庫本コーナーを、血眼で探しまわり、無事『夏への扉』を拝借して読むに至った。


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 それでは本題のレビューに入っていこう。まずはじめにクッソ雑なあらすじから。ネタバレをしないよう気を付けて書く。


 主人公のダン(通称)は、ある晩自身の愛猫であるピートと共にバーで酒を飲んでいたところ、ふと冷凍睡眠コールドスリープなるものの広告を目にする。冷凍睡眠とは、人間を眠ったまま冷凍保存して、指定した未来になるその時まで、歳月をすっ飛ばせる機械とそれを利用したビジネスサービスを指す。いわば過去には行けないタイムマシンのようなものだ。これを駆使すれば、将来有効な治療法が確立されるかもしれない一縷の望みに賭けて、難病患者が未来に飛んだり、今は小さいものの数年後には上場間違いなしの会社への投資金を、待ち時間なしですぐに手元に受け取ったりが可能になる。そんな冷凍睡眠で、ダンは三十年後の未来に飛び立とうと考えついた。


 実はダンは、ほんの最近会社を解雇された技術者であった。ダンはその会社の創業者の一人であり、マイルズという男とタッグを組んで共に経営していたのである。ところが時が経つにつれ、技術者視点で製品を作るダンと、経営者視点でいかに多くの利益を得るかに拘るマイルズとの間で、頻繁に意見が対立するようになった。さらに秘書として途中から会社に加わったベルという女性に、ダンは理性を失うほどゾッコンになってしまい、二人は結婚こそしたが、マイルズとベルは残酷にもダンを裏切って、彼を会社から追い出すに至った。


 このような悲惨な仕打ちを経て、今は失業者として毎晩アルコールに溺れる生活を送るダン。そして現実に嫌気が差した彼は、冷凍睡眠を行う契約を交わしたのだ。


 現在からの逃避と未来への好奇心から冷凍睡眠を決めたダンだが、眠る前にやはり、ベルとマイルズに一泡吹かせてやることを決める。ダンは二人のアジトに乗り込み、巧みな話術で彼らを追い詰めるも、一瞬の隙を突かれ、ベルに自白強要剤入りの注射針をその背に刺されてしまう。混濁状態に陥ったダンは、ベルたちの意のままに操られ、冷凍睡眠によって三十年後に飛ばされてしまう……。



 以上が、序盤の簡単なあらすじである。ここからはネタバレ満載で批評していくので、今後読む予定がある方はブラウザバックを推奨する。




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 この小説は、最初から最後までダンの一人称視点で描かれており、文章の大半が地の文によるダンの語りだ。では、ダンは主に何を語るのかということだが、これがこの小説の大きな魅力だった。


 先述のようにダンは技術者であり、その腕は相当なものだ。マイルズに首にされるまで勤めていた会社では、文化女中器なる家事代行AIや、万能フランクなる、家事以外も含む、ありとあらゆる雑用を人間の代わりに自動で済ませてくれるAIなど、世の中を便利にする数々の発明を行っていた。この小説が発表されたのは1956年であり、当時AIは研究分野としてまだまだ開拓途中であった。それにも関わらず、筆者のハインラインは豊かな想像力を働かせ、綿密なロジックを組み立て、空想上の発明をあたかも現実に存在する便利な道具のように感じさせたのだ。物語全体を通して、ダンは技術者として自身の科学観を語る、語る、語る。これは決して虚構の垂れ流しではなく、現代の科学にも通ずる非常に興味深い談で、読んでいて非常に面白かった。また、単なる科学知識の講義というわけでもなく、ダンはあくまで発明に興じる"クリエイター"であり、彼自身の着想の得方であったり、アイデアを具現化する作業の過程など、競技は違えど同じ創作に勤しむ私としては、同胞の涙ぐましい努力を目にした思いだった。


 文章自体も非常に読みやすかった。普段ラノベを読み慣れている身として、やはり「セリフが少ないな」とは感じたが、だからといって何か不満を覚えるわけでもなく、テンポよく展開されていく地の文と、時折セリフ中に繰り出される、アメリカ人らしい皮肉な物言いであったり言葉遊びであったりが良かった。


 物語の大筋としては、全てを失った男がSF設定によって時間を行き来し、最終的にはハッピーエンドを迎えるというサクセスストーリー、アメリカンドリーム的なものであろうか。これはいわゆる"ご都合主義"に対する非難でも皮肉でもなく、実に綺麗な終わり方であったと思う。私の書く小説では、登場人物が全員笑顔で幸せの、文句のつけようのないハッピーエンドを迎えることはあまりない。意図的に避けている部分もあるし、物語を面白くするためには、最終的にそうならざるを得ないからでもある。しかし同時に、ハッピーエンドを迎えられるならば、それに越したことはない。特に今作の場合、"時間を越えた恋愛"も描かれていた。一度未来に飛ばされ、タイムマシンを使って過去に戻ってきたダンは、次にリッキイに会えるのは今から三十年後だと伝える。これを聞いたリッキイは、ひとまず十年間、大人になるまでダンのいない時間を過ごし、それでもダンに対する想いは変わらなかったため、自身も冷凍睡眠に入ってもう二十年を眠って未来に飛ぶことを決める。この時リッキイは、ダンが来るまでは何があっても蘇生措置を取らないでくれ、と頼む。彼女は自らの運命を二つに絞ったのだ。ダンが会いに来て目を覚ますか、凍てつく機械の中で永遠に眠り続けるか。結果ダンは無事に迎えに来て、長い夢から醒めたリッキイは、ダンと結婚した。


 私が"時を越えた愛"に胸を打たれる理由―それがまさに、この終盤の展開に詰まっている。恋愛において一途であるということほど、尊いものはない。人を好きになるのは簡単だが、好きで居続けることは難しいからだ。一途である、ただそれだけの事実で、そのキャラの芯の強さであったり気高さであったりが窺えるのだ。十年以上もの間、ダンへの想いを捨てずに握り締め続けたリッキイ。その強さと健気さに、私は尊敬の念すら覚える。


 さらに、誰かを想い続けることは、時が経てば経つほど、甘く幸福なものではなく、むしろ、辛く苦しく孤独なものとなるという現実がまた、私の胸を締め付けるのだ。SF要素のないラブコメや恋愛小説では、多くの場合、あまり長い時間軸を取らない。学園ラブコメだったら、大体が一年から二年の間で切り取って、その尺内で物語を描くだろう。一方、キャラの一途さを強調するにあたって、どれだけ長い時間、誰かを想い続けたかを描くのが重要であることは言うまでもない。費やした時間が膨大なものであるほど、それに伴う痛みや苦しみまで、読み手側は想像してしまう。その意味で、SFによる急速な時間経過が使えると強い。普通だったら長くても二年ほどしか取れない尺を、今作のように三十年の長さに引き延ばすことができるからだ。


 リッキイは、ダンのいない世界を、一体どんな思いで過ごしたのだろう。冷凍睡眠で意識のなかった二十年を差し引いても、思春期の多感な時期を、十年もの間、叶うかどうかも分からない恋にその身を捧げる……本作においてリッキイ視点が描かれることはなかったため、彼女の具体的な心情は想像の範疇でしかないが、それはきっと、果てしない苦悩との戦いであっただろう。こうしたストーリー展開は、夏トンの終盤とよく重なる。たった一人、ウラシマトンネルに探索に出たまま戻ってこない塔野。そんな彼のことを、花城もまた、一人で待ち続けた。幾度も幾度も四季が巡ろうと、周囲の人間が塔野を忘れようと、塔野と過ごした、幸せだったあの夏を胸に抱いて―それは心の拠り所とも、花城を過去に縛る呪いとも言える―彼女は待ち続けた。ダンと塔野。リッキイと花城。なるほどこれこそが、時をも溶かす恋心―時間を超越した、ラブ・ロマンスであった。



 どうやら私は、自らのオタク心を見誤っていたようだ。ついつい熱が入り、当初の予定よりもかなり長々と書いてしまった。それくらい、面白い小説であった。尊敬する八目先生の心象の一冊を読み、彼の作家人生の一端に、ほんの少しだけ、触れることができた気がした。その意味でも、非常に有意義な読書体験であった。


 この素晴らしい物語を世に出してくれた、故ロバート・A・ハインラインに、最大限の感謝を。そして、滅多にSFを読まない私を、『夏への扉』に巡り逢わせてくれた八目迷先生。あなたの紡ぐ物語は、たしかに誰かの背中を押しています。少なくとも、それが、今も私がここに居る理由です。いつか必ず追いつきます。


 

 2024.11/19  霜月夜空

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