第15話

       *



 遊園地内にあるファーストフード店で簡単な昼食を済ませたおれたちはゆっくりと散歩するかのように歩く。そして時々目についたアトラクションに乗る。あらかじめ乗りたいアトラクションを決め、そこに向かって一直線に進んでいた午前中と違い、酷く気まぐれでゆっくりとした時間。けれどもおれの心はざわついていた。



「へー。ミラーハウスかぁ……。おもしろそうだし入ってみない?」

 ステップを踏みながらおれの前に立つ美鈴。同じように楽しげにツインテールが揺れた。

「ああ。そうだな」

 そんな楽しそうに笑う彼女を見ていると、胸のざわめきがより一層激しくなる。けれどもそんなことをおくびにもださないようにいつもと変わらない口調で答えた。



 ミラーハウス。簡単に言えば鏡の迷宮だ。建物の中に幾つもの鏡が無限の虚像を映し出す。反射によって生み出された幻の道が、本来単純であるはずの迷路を複雑に演出している。

だがしかし、視覚を使わなくても〝視る〟ことが出来るおれには無駄なことだ。


「ねぇタクト。どっちの道へ行ったらいいと思う?」

「………左だ」

 左右に別れた二つの通路。空間把握で右の道を選択すると、しばらくすると行き止まりになっているのがあらかじめわかった。

「よし! じゃ、左に行ってみよっか」

 そう言って、おれの言ったとおり左のルートを進む。おれの空間把握に間違いなどなく、終着点まで続く合わせ鏡の通路が存在していた。

「そういえば、この世界って魔法があるんだよね? だったら都市伝説みたいな怪談実際にあったりするの?」

 美鈴からの突然の質問。意図は掴めないが、興味本位である可能性が高い。脳内のデータバンクから検索の準備を始める。

「例えば?」


「そう…ねぇ。たとえば四時四四分に学校のトイレの鏡で合わせ鏡をすると、四番目の顔がその人の死に顔が映っているとかっていうようなありきたりなものなんだけど」

「……そういった怪談の類は聞いたことないが……。可能性はゼロではない。まだ遭遇したことはないが、実際に鏡を媒体とした怪奇現象のデータが存在する。その怪奇現象の詳細は知らないが。そう、だな。君の言った都市伝説のような怪談も実際にあってもおかしくない」

「ふーん。そう考えると鏡ってその人身体だけを映しているだけじゃなくて、もっと色々なものも映しているのかもね。たとえばその人の心とか」

 微妙に真剣な顔でいた美鈴は、そこまで語り終えたと同時に打って変わって楽しげな笑顔に戻る。

「さて、あたしの疑問も解決したことだし、先を急ぎましょタクト」

 その言葉通りおれをおいて先へ進む。クルンと振り返り「早く早く!」なんて手を振りながら声をかけてくる美鈴に溜息と簡素な返事を一つ送る。

 けれどもおれはすぐさま美鈴をおいかけようとはしなかった。

 さきほどから収まる気配のない胸のざわめき。何故こうも心が落ち着かないのか。その原因をさぐろうと隣にある鏡を覗きこむ。なんてことはない。鏡

は人の心を映すといった美鈴の言葉に突き動かされたにすぎない。


右手で鏡に触れる。ガラスの無機質な冷たさが過去へと誘う。




        4




 それはある日の記憶であり記録。彼が幼かった頃の思い出。



 一組の男女があるマンションの廊下を歩く。なにかを堪えるような、けれどもそれを隠すような面持ちで進む若い女。もう一人は少年。年齢は三歳かそこらだろう。女とは対照的に、初めて来る場所に好奇の目を輝かせ、キョロキョロと周囲を見渡している。

「ねぇ。今からどこへ行くの?」

 子供らしい純粋な疑問。それを聞いた瞬間女の肩が跳ね上がった。おそらく幼子独特の純真さが、女の心の琴線に触れたのだろう。心の内から溢れ出す感情を無理矢理誤魔化すような、泣き笑いの表情。そして女はしゃがみこむと少年をぎゅっと力強く抱きしめた。

「大丈夫。大丈夫よ」

 女はまるで自分に言い聞かせるように、何度も「大丈夫」を繰り返す。少年にはこの後なにが起きるか見当すらつかなかったが、そんな女の雰囲気に少年は不安にかられ、小さく、けれども力強く女の服を掴んだ。


 しばらくたって女はようやく落ち着いたのか先を進む。時間にして一分ほどだろう。ある部屋の前で立ち止まった。そして震える手で呼び鈴を鳴らす。乾いた電子音が、同じように無機質なマンションの廊下に響き渡る。

 しばらくしてガチャリとマンションの扉が開き、中から一人の男が出てきた。

健康とはとても言えない病的な細さに、爬虫類のように青白い顔。そしてまるで骨の髄までしゃぶり尽くそうとするようにギョロつかせながら少年を見つめる瞳。

そんな男の容姿に少年は思わず女の服を掴む。男はそんな少年の様子を知りながら、けれどもその値踏みするような表情を改めようとしない。せめて微笑むなりなんなりすればいいものを。

「へぇ、時間通りか。で、そのガキが?」

 男は顎で少年を指し示しながら女に聞く。

「ハ、ハイそうです」

「フーン。……オイガキ。今オレがナニ持ってるかわかるか?」

 唐突に男に話しかけられた少年は、何かに怯えるように身体を震わす。拒否を許さぬ男の雰囲気に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「て、てっぽうとナイフ」

 少年の言葉を聞いた男が、ニタァリと粘着質な笑いを浮かべる。それに対して少年は更に身体を震わせる。

 初めからわかっていた。少年が怯えていたのは何も男の容姿だけではない。少年の持つただ一つの異能、まだ未熟なそれが先ほど言葉にした二つの情報を少年に与えていた。

 いくら幼くてもわかる。この平和な日本において、懐に拳銃とナイフを忍ばせておくことの異常性。

 この男は一体何者なのか? なぜ女は少年をここへ連れて来たのか? そして自分はこれからどうなってしまうのか? いくつものクエスチョンマークが少年の頭の中で乱舞する。

「合格だ」

そんな少年の内心などまるで知らないように、男は満足げに女に告げる。そしてガサゴソとヤニ臭いスーツのポケットから分厚い封筒を取り出す。

「ほら。現金で百万ある。持ってけよ」

 大金の入っているはずなのに、ポイッなんて擬音がつくような軽い扱いで男は封筒を女に放る。それを慌てながらも女は落とすことなく受け取った。

「残りの金は指定の口座にキチンと振り込ませる。この業界信用第一でねぇ。契約したからには絶対にそれに答えるのがオレたちの流儀だ」

「ハ、ハイ。ありがとうございます」

 深々と頭を下げる女に、男は鬱陶しそうに答えた。

「礼なんていいからさっさと行けや。全くメンドクセェ」

「スイマセン!」

 そう謝罪の言葉を述べた後、女は急いでにこの場から離れるため足を動かす。少年をこの場に残して…。

 少年には女と男の遣り取りの意味を正確には理解出来なかった。けれども自分がここで女に置いてかれ、もう二度と会うことが出来ないということだけははっきりと理解することが出来た。

「待ってよ! ――――」

 少年は涙を浮かべ、必死になって手を伸ばし女の名前を呼ぼうとする。

「おっとそいつは出来ねぇ」

 少年の肩に男の手がおかれた。ただ置かれただけというのにゾワリと少年の身体に寒気が走る。その悪寒が少年の女への思いを、全てが失われる恐怖を凍りつかせた。

男が作り出した時間は僅か一分。けれども溢れ出る感情を誤魔化そうと、必死になって走る女がここを離れるには充分すぎる時間だった。



 少年の言葉は失われた。想いは永遠に届かない。その瞬間に高森拓斗は喪われ、少年はただのタクトになった。



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ESCAPE 山﨑或乃 @arumonokaki

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