星に魅せられた天使

伊藤沃雪

星に魅せられた天使

 はるか先、もしくはすぐ側に迫る未来。


 地上は荒廃していた。戦争の痕だろうか、歩兵用と思われる細長い武器が地面に突き刺さり、不発に終わって信管はなく外郭だけが残った爆弾が転がり、戦闘用自律兵器が崩壊したまま放置されている。戦車や戦闘機も壊れて置き去りになっているが、操縦者の姿はない。誰一人生きている者の気配はなく、遙々続く枯れた地のうえを乾いた風だけがさらっていく。

 

「人間、滅びちゃったね〜」

「そうだねえ」

 そこへ、前触れなく二人の青年が現れ、暢気な声で喋った。

 いや、人間ではない。彼らはゆるりとした白い衣服を身に纏い、裸足で荒れた地面の上に立っている。そして、立派な六枚の羽をその華奢な背から生やしている。かつて人が文明を持っていた時代には〝天使〟と呼ばれて崇められていた種の、人ならざるものであった。

「食べ物も水も無くなっちゃったから、無理ないよね」

「だねー。そうなる前に、やめなさーい! って創造主様が天候を荒らしてたのに。気付かなかったか〜」

「もうちょっと信心深い人間が残っていたら、僕らの声も聞こえたかもしれないけどね」

「無理じゃないかなあ。彼らは進化してる、って思ってたみたいだけど、僕らに気付けないくらいには変異しちゃってたわけでしょ〜」

 天使の青年達は互いの言い分を聞き入れてうんうん、と頷き合っている。片方がくるくると巻き付けるような短い金髪を遊ばせ、白い肌、碧の瞳を持つ長身の青年。もう片方が、髪、眉毛、睫毛に至るまで白い毛を持ち、白い肌に浮くような透き通る青色の瞳を持つ、小柄な美しい青年だった。

「ね〜コア、人間達が最終戦争を始めたのは、何世紀前だっけ?」

 碧目の天使がわざとらしく首を傾げて言うと、コア、と呼ばれた白い天使はうーんと唸ってから大真面目に返答した。

「……二世紀かな! 結局、半世紀くらいで殆ど壊滅しちゃった気がする」

「そっか〜じゃあまあ、持った方なのかな」

「ねえバル、そろそろお仕事しないと怒られるよ」

 コアがこのまま続いていきそうな無駄話を断つ。バル、と呼んだ金髪の天使は、またもわざとらしく舌を出して、肩を竦めた。


「生き残りがいるかどうかでしょ? いないよ〜」

 片手を横に振りながら、軽く飛び上がってくるくると浮遊するバルに、コアは溜め息をつく。

「バルはすぐそうやって言う! この前だって僕がよく確認したら一人だけいて、もう死にかけてたから亡くなるのを見守ってたでしょ」

「そうだけどさ〜、あれは首都だったけどこんな田舎じゃ……ん? 何だろうあれ。見てコア、兵器じゃないよ」

 空中を泳ぐように漂うバルは、視界の先に入った建物を見ておどろき、指差した。コアがしかめっ面でバルの差した方を向くと、確かに見慣れない建造物が建っていた。


「半球状だね……掩体壕トーチカじゃなくて?」

 バルと同じく空中へ浮き上がったコアは、すいと浮遊して先導しながらバルへ聞いた。

「生物反応ないし、中身もなんだか……劇場みたいに座席が並んでるな〜……」 

 やや丸みのある半球状の施設をじっと見ながら、バルが困ったように顎に手を遣った。天使達は建造物の構造や詳細が透けて見えたり、生物がいるかどうかを感知することができるのだ。

 

「ええ、何それ……とにかく、見にいってみようか」

「うん〜……」

 コアとバルは、見たこともない奇妙な施設に若干怯えながらも向かっていく。既に破壊されて朽ちている扉の破片をどけると、二人がくぐり抜けられそうなほどの幅が入り口に確保できた。

「お邪魔します……」

 恐る恐るコアが言って施設内部を進む。施設内はやはり生きている者の気配はなく、あちこち崩れ落ちてしまっている。内部構造はバルが言ったとおりに座席が並んでいて、半球状の構造へ沿うようにして円を描くように椅子が設置されている。中心部には何やら球状の装置がどかりと置かれており、椅子はその装置を囲うように並んでいるのが見て取れた。

「な〜んだ、あれ……」

「起動してみよっか……」

 後からやってきて不安げに漏らしたバルの方は見ないままに答えて、コアは再び水中を泳ぐように浮遊し、中央の装置へと向かった。近付いてよく見れば、ただの球ではなくて、所々ゴツゴツと窪みのようなものが浮き出ている。余計に不気味だった。コアは中央の装置の目の前に辿り着くと、人差し指でコンコン、と小突いた。すると装置はうおん、と唸り声をあげて起動した。天使には色々な能力が創造主から与えられているが、電動機器の起動くらいなら朝飯前だ。


「起動したよ」

「え〜、本当? 確かになんかちかちか光ってるけど、暗いまんまだよ」

 コアからはばたき三回分くらい離れているところにいるバルが言った。色々な方向を眺め上げながら喋ったのだろう、声が近くなったり遠くなったりして聞こえた。

『ちかちか光っている』という表現が気になって、コアも施設内を見上げてみた。

 確かに、半球状の施設内へ重ねるようにして暗闇が映し出され、その中に無数の光点が瞬いている。コアは何となくこの映像の風景に見覚えがあって、ん? と小さく首を傾けながら考えていたが、やがて正解に思い至った。


「あ! バルこれ、星空だよ。だから暗いんだ」

「あ〜なるほど〜! わざわざ星空を映し出す装置? 顔上げればいつでも見られるのに、人間ってやっぱオッカシイの〜」

 バルは納得がいったというようにコアを指差し、目を丸くして、次いでけらけらと笑った。

 コアも同意見だ。人間は天使からすれば常に合理性のない、もしくは意味の分からないものばかりを創造しては打ち棄て、または取り合っていた。戦争をするのだってそうで、陸地なんていう狭い場所が欲しいだけで滅亡するまで争うなんて、愚昧以外の何物でもない。

「お、映像が切り替わったよ。何か音声……も聞こえるね?」

 すると先ほどまで笑っていたバルが不思議そうに言ったので、コアも耳を澄ませてみた。


『……には、……赤く輝いています。西側が……アルデバラン、東側がオリオン座のベテルギウス。……南東に輝く……シリウスは星座を形作る星の中で一番明るい星です。シリウスの東寄りに……プロキオンです。ペテルギウス、シリウス、プロキオン……この三つの星を線で結ぶと大きな三角形に……「冬の大三角」といい、冬の星座を探す目印……』

 音声データは破損してしまっているのか、ところどころ途切れている。人間達は、夜空に見えている天体を『星座』と呼んで、あれこれ名付けていたらしいとは聞いていた。この装置は『星座』を眺めながら説明を受けるためのものらしい。変な趣向だ。

 すると施設内に星空を映し出していた映像が、コアから見て右半球分だけ切り替わった。半楕円形の球体がゆっくりと回転している映像。

 

『これがシリウスです。……に近い恒星の一つで、太陽を除けば地球上から見える最も明るい……その名は焼き焦がすものという意味が……』

 コアは驚愕して息を呑んだ。人間が夜空の鑑賞や『星座』を好んでいたことは知っていたが、惑星そのものの姿形まで映像が用意されているとは思っていなかった。確かに彼らは、最終戦争が起きるより昔の時代に、宇宙開拓を行っていた歴史があったはず。思いがけない偶然に、コアは口をあんぐりと開けたまま映像に魅入った。

 天使は羽があって自由に飛行ができるが、大気圏以上に飛び出すことは出来ないし、創造主から禁止されている。それは天使達があくまで地球上で使役される存在であるべきという、創造主の意思によるものであって、コアも他の天使達も何の疑いも持っていなかった。夜空の果てには宇宙という別世界があるらしい、という知識が与えられているだけだ。コアもバルも、人類が戦争を始めてから生まれたものだから、このような事実を目にする機会がなかったのだ。


 音声と半分だけの惑星の映像、夜空の映像は穏やかに遷移していく。すっかり虜になってしまったコアを気遣ってか、やや興味の薄そうなバルも浮遊をやめて壊れていない座席のひとつに腰掛けると、施設内に輝く満点の夜空を見上げた。施設の外では陽が沈みはじめ、暗闇を照らし出す星々の映像に、崩壊した天井の隙間へ流れる黄昏が混ざり合って、幻想的ともいえる情景が広がっていた。

 

『月は地球の衛…………人類は、かつて月面に……宇宙飛行士……ール・アームストロングが月の表面を歩き……』

 やがて半分だけの映像部分が、月という天体を映し出した。これまで紹介されていたシリウスやプロキオンと違って、とても詳細な窪みや模様まで描き出されている。


「表面を歩き……?」

「あれ、コア知らないの〜? 人間って……ほああ、月面を歩いたことがあるんだよ〜」

 座席の背もたれを勝手に改造して、寝転がりながら映像を見上げていたバルが欠伸まじりに教えてきた。彼はもう夜空の映像に飽きてしまったのか、眠そうにしている。

 コアも天使の端くれだ、人類の歴史については学んでいる。ただそれが、今、この映像を見ていることで実感を伴って押し寄せてきた。彼らが普段ちらりと目にする程度の月というものは本来こんな姿をしていて、ただの光の塊というだけでなく、美しい。そして滅び去った人類はここに、月面に立ったのだ。そうした瞬間、コアの胸に途方もない感情が込み上げ、ざわめいた。あの遙か高い夜空の果てにはこれほど鮮麗なものが浮かび、煌めいているのか。そして、天使達にも届かない領域に至った人類という種は——もはや存在しない。後に残された自分達にはこれ以上の真実を知る手段も、観る方法も残されていないのだ。それがいかほどに虚しいことか。


「あれ、コア……?」

 流石に様子がおかしいと気付いたのか、バルが窺うような調子で声をかけ、座席から浮き上がった。施設内を傷つけないようにゆっくりと浮遊して、映像を凝視したまま立ち尽くしているコアのもとへ近寄る。するとコアは呆然としたように口を小さく開けたまま、青い瞳から一筋の涙を流していた。

 瞬間、バルの背筋がぞわりと鳥肌を立てる。本能的というべきか、天使の勘のようなもので、異変を悟ってしまったからだ。コアはこの星空を映し出す施設に魅了されている。天使の担うべき役割に大きく影響を与える気がしてならなくて、バルは焦った。

「コア……コア! もう駄目だ、ほら、創造主様に怒られるよ。帰ろう」

「え……? あ、うん……」

 バルがコアの肩を掴んで揺すり、もう一度声をかけると、コアはぼうっとした様子で返事をした。バルが翼を広げ、コアを引っ張って連れ帰ろうとする。翼を広げたのはコアの視界を遮るためでもあった。これが効いたのか、コアは何も言わずにバルに従って身体を浮き上がらせた。そのまま二人は崩れかけた施設から出て、創造主の待つ天界へと戻っていった。


 

 コアはその後も、一人で寂れた天体映像投映施設に通い続けた。今までだって真上に広がっていたはずなのに、夜空を見るたび宇宙空間にあの天体が実在するのだ、と考えてしまう。燃えさかるシリウス。満天に輝く星々。人間達がかつて到達した衛星、月。叶うなら自分も間近にこの目で見てみたい。コアは想像をめぐらせる。宇宙空間は暗く、冷えていて、空気がないのだと学んだ。この天使服では適応できないだろう。人間達はもこもこ膨れた気密服で活動していたが、どうにか手に入らないだろうか? いや、だめだ、羽が邪魔になる。それに彼らは宇宙開発技術をすべて戦争に転用してしまったので、残っているはずがない。何か手はないだろうか。

 半球状のドーム内に映る夜空を見ながら、座席のうえに留まって六枚の羽を遊ばせているコア。その瞳に幾千もの星々が反射してきらきらと輝いている。バルは施設の入り口まで出向いていたが、これまでになく好奇心に駆られ、心から楽しそうにしているコアの姿を見て、声を掛けることをためらった。彼はこの施設に、星の映像に取り憑かれている。創造主が禁じている宇宙という境界線に、コアはどんどん近付いていく。あの日感じた異変は間違いなかった。バルはコアに対して言い知れない恐怖を感じた。バルはコアへ声を掛けないまま、この日は天界へと戻っていった。

 


 数日か、数ヶ月か。とにかく飛ぶような速さで時間が過ぎ去っていった。

 コアは天使の務めも放り出し、この日の朝、赤道近くに位置する高い峰の天辺に立っていた。真上を見上げ、上空の彼方を見据えている。

「天候は良好、風もない、気温も問題ない……」

 独りきりで、何事かをぶつぶつと呟き続けるコア。裸足の両足は何かを待ちきれないと言うように落ち着きがなく、しきりに重心を移したり、足裏をもう片方の脚に摺り合わせたりしている。今のコアの中に迷いや葛藤はない。ただ、輝くものへ手を伸ばすだけ。コアはごくりと唾を呑み込むと、一度両脚を大きく踏ん張って、勢いよく地を蹴る。六枚の羽を羽ばたかせて、東側の天空へ向かって最高速で浮上を始めた。


 コアはこれまでになく興奮していた。身体も熱く感じる。この飛び方は人間が宇宙へ向かう際に使用したらしいロケットというものをイメージしている。何度か練習したかいがあった。飛び上がる場所は本当なら天界が適していると思ったのだが、創造主様のお膝元で堂々と掟破りをするのはリスクがありすぎる。それでも、天使の六枚の翼を持ってすれば、一〇〇㎞上空という大気圏を抜けるまでに大して時間はかからないはずだ。

 本当に宇宙に飛び出られるかは分からなかった。それでも、行ける限り近くまで飛ぶ。あの施設で星空と宇宙について鑑賞してから、コアの頭から離れなくなっていた。あんなに美しくて得体の知れないものを見たのは初めてだ。人間達が遺してくれた映像以上のことが知りたいし、この目で見たい。その願いはコアの中でどんどん大きくなり、もはや叶えなければならないこととして、確信するまでに至っていた。


 ぐんぐんと高さが増していき、地上からの距離が離れていく。天使達が過ごしている天界を通り過ぎたのも、少し前だ。厚い雲の束を抜けると、青い星と黒い宇宙の境目が見えてくる。驚いた。持ち主を失って漂う人工衛星が上方に見え、コアは自分がもうすぐ宇宙に入ろうとしていることを知った。地上にいたときよりずっと太陽が近く、眩しく感じる。瞳が焼かれそうだ。そしてコアはもう一つ、夢見ていた天体を見つけて顔を綻ばせ、喜びを現すように翼を羽ばたかせる。

「月……」

 地球で見るより遙かに大きく見えた月の輪郭を、手の平を広げて掴み取るようにし、掌中へと収めた。


 その瞬間だった。コアの背中から、ばきりという音が鳴った、その感触がした。

 

 コアは驚愕し、自らの背へと振り向く。六枚ある翼は根元から折れ、その中身が露出していた。金属、配線、精密機器、——なんだ、これは。

 順調に飛び上がっていたコアはバランスを崩し、逆さまになって地上へと落ち始めた。まるで罰を受けるため連れられるようにして、ここまでの旅程と全く逆の道程を辿っていく。折れた翼の端や、手足の先が異様な熱を発し、やがて燃え始めた。

 

 ——生存者保護用の、巡回パトロール機ですか

 ——敵国からの攻撃の的にならないよう、常に熱工学迷彩を施して人間には気付かれず……

 ——別種の生物として自認させよう。管理機を一機設けて、宇宙空間には出られないように……


 頭の中で、聞き覚えのない声がする。かけているせいなのか、天使というものを造った人々のデータが流れてくる。先端から身体が燃え上がる最中、自分が何者なのかを徐々に認識していった。

 人間が見つめた星空は、あの美しい球体の映し出した世界は、僕らの手には届かない。人間が僕らをそう造ってしまったから。そうか……もう少しだったのにな。惜しいなあ……。

 コアはとても残念に思う。ゆっくりと瞼を閉じると、頬を涙が零れていく。髪や肌、全てが白い天使の墜ちるさまは、彗星のように燃えて美しかった。




 


 バルは、今日もまた務めを淡々と終えたところだった。

 あの田舎町の、崩れかけている天体映像投映施設に向かう。施設中央の装置を起動すると、背もたれを倒したままの専用座席には座らず、その近くの畳まれた座席の上に蝶のように留まり、翼を休ませる。装置がゆっくりと動き出すと、施設内に星空と、天体の映像が映し出される。

 

 バルは、コアのような真面目で頭の良い天使が、掟を破って堕天してしまったことが信じられなかった。同時に、掟破りの天使は堕天使となって燃え死んでしまうということも、この件で初めて知るところとなった。最近はコアと距離を置いていたが、まさかこんな結末になるなんて思いもしなかったので、バルはひどく喪失感に苛まれていた。

 コアの死以降、毎日ここに通って投映映像を鑑賞している。しかし何度見ても、バルにとっては外の夜空と変わらない退屈な映像に過ぎず、コアをあれだけ惹きつけて狂わせた理由は分からない。星と天体と、宇宙。本当にあるのかどうかも判然としない存在に魅惑され、手を伸ばそうとして、墜ちた。

 

 バルは目を細め、施設内に輝く天体へと向かって手の平を開く。白い天使がそうしたように——拳を握り、映し出された星を手中に閉じ込めた。

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