グリムさんちの青魔法

黒澤カヌレ

グリムさんちの青魔法

「また、魔法使いが歩いてやがる」


 つい、舌打ちが出てしまう。

 ヤーコプは黒いローブの男を睨みつけ、コップ一杯の水を喉に流し込む。


 目にする度、忌々しく思えて仕方ない。ああいう奴らがいなければ、今頃はこのコップの中身だって年代物のワインに変わっていたはずなのに。


「兄さん、あいつらを恨んだって仕方ないよ」

 ヴィルヘルムが肩を落とし、深々と溜め息をつく。


「この世界ではさ、魔法って言ったらああいう奴らが使うものばかりなんだ」


「ふざけてやがる」

 ヤーコプは毒づき、テーブルの上に肘をついた。


 攻撃するか回復するか。そんな単純なものしかない世界。そんなものを魔法と呼ぶことすら、正直感覚として受け入れられない。


 魔法というのは、もっと夢があるはずのものなのに。





 ヤーコプとヴィルヘルム。

 通称、グリム兄弟。

 自分たちは、気がついたらこの世界に生まれ落ちていた。


 ここは、かつて住んでいたのとは異なる世界。

 世間ではこの場所を、『ファンタジーな世界』と呼ぶこともあるそうだ。


 どうにも、気に食わない呼び方だった。

 なぜ『メルヘンな世界』と呼ばないのか。


「よくわからんが、この世界にはまだ『俺たちの本』が出版されていないらしい。だったら、すぐにでも形にしないとな」

 この世界に生まれてから二十年目に、ヤーコプは決心した。


「うん、そうだね。兄さん」

 弟のヴィルヘルムと金を出し合い、一冊の本を世に出すことにする。


 その名も『グリム童話』。

 あらゆる物語の『元祖』となり、多くの作家たちに影響を与えた偉大なる書物。


 だが、世の中の反応はおかしかった。


「この本、魔法についての解釈がデタラメですよね」

 作中に出てくる現象について、嘲笑が巻き起こった。


「キスの一つで魔法が解けるとか、何もわかってないんじゃないですか? 魔法と言ったら炎を出したり氷を出したりする『黒魔法』か、傷を癒したり毒を消したりする『白魔法』の二つが基本ですよ。お菓子で家を作るとか、意味不明なんですけど」

 本を読んだという男から、ネチネチとそんな言葉を聞かされた。


「この本に書かれていることは、完全な絵空事ですね」





 どういうことなのか、としばらく呆然としていた。

 魔法が当たり前にある世界なのに、自分たちの本が絵空事呼ばわり。


「やっぱり、ここは僕たちの住んでいていい世界じゃないのかな」

 ヴィルヘルムは頭をうなだれさせる。


 現在の年齢は、ヤーコプが二十七歳。弟のヴィルヘルムが二十六歳。体が小さくて太り気味な兄と、長身で痩せ細った弟。その二人でいつも行動を共にしてきた。


「諦めるな。俺たちならこの苦境も乗り越えられる」


 どうすれば、あの素晴らしい『グリム童話』をこの世界でも認めさせられるか。

 幸い、この世界にはまだ活路となるものは存在している。


「俺はようやく見つけたんだ。『青魔法』というものをな」





 青魔法。

 あまりにもマイナーで、この世界の大半の人間は存在を知らない。


 それは、『モンスターが使う特殊能力』を扱う魔法。

 モンスターを前に『ラーニング』という術を発動させ、特殊な力を自分のものにする。


「見ていろ、ヴィルヘルム」

 目の前を水色のスライムが蠢いている。別の個体と遭遇し、縄張りを争い合っていた。


 視線を逸らさない。そして、モンスターに全神経を集中させる。

 奴らの体を流れる生命エネルギー。それらを把握し、自身の感覚と一体化させる。


「来い!」とヤーコプは叫んだ。

 その瞬間、体の中にエネルギーの波が流れ込む。


「覚えたぞ! スライムパンチ!」

 自然と体が動き、ふんわりと右腕が宙を舞った。


「これが青魔法だ。モンスターの特殊能力を人間が使えるようにするものだ」

 隣で呆然とするヴィルヘルムに対し、ヤーコプは笑いかける。


「この青魔法を使えば、『俺たちの童話』の内容だって実現できるはずだ」





 二人で森の中を歩き回り、多様なモンスターたちを探しまわった。


「見ろ、ヴィルヘルム。あれはカーペンターアントだ」

 灰色の蟻が土の上を歩いている。人間の靴くらいの大きさがある。


「あいつの前に、このビスケットを一枚置いておく。そうするとどうなるか」

 お菓子を一枚置き、モンスターを観察する。蟻はすぐにビスケットへ引き寄せられた。


「来るぞ! 良く見ていろ」

 カーペンターアントはビスケットを宙に投げると、触覚から光線を発射する。


 たちまち、一枚のビスケットが大きな箱のような形に変化した。


「見たか。特殊能力により、ビスケットを家に変えた」

「兄さん、お菓子の家だね!」

 ヴィルヘルムが喝采し、ヤーコプは深く頷く。


「ああ。これで、『ヘンゼルとグレーテル』はリアルな話だと立証された」





 すぐさま能力をラーニングし、ケーキやマカロンでも家に改造できるのを実験した。


「他にもとにかく、青魔法のバリエーションは増やしておこう」

 翌日には、透明なライオンを発見した。


「こいつは『スリーピングライオン』だな。自分の体を透明にする力がある」


「知ってるよ。こいつ、強いモンスターだけど『死の魔法』が効きやすいとか」


「とりあえず、こいつの能力もラーニングだ」





「あいつはイミテーション・ミラー。ミミックの亜種で、鏡に化けて人間と会話する性質を持つ。人の心を読み、相手が欲しいと思う情報を提示する能力を持っている」

「これで、『白雪姫』の魔法の鏡も実在したね」


「うむ」と口にし、すぐにラーニングを実行した。


 旅を続けると、他にも次々とモンスターが見つかる。

「ディスペル・ディメンター。キスをすることで魔法の力を消す存在」

「『眠れる森の美女』は余裕だったね」


 沼沢地を訪れた際には、人型のモンスターとも遭遇した。

「デラックス・ラヴァー。髪の毛の強度を増し、それを伸ばして攻撃する魔物」

「うん。『ラプンツェル』もこれで完了」


 次は海辺に行った。

「マーメイドか。こいつが人間に変わる魔法があればいいんだが」

「兄さん。それは僕たちの書いた話じゃないよ」





 童話に出てきた魔法なら、あらかた集められたと思う。


「だが、肝心のものがまだ揃わない」

 ヤーコプは唸り、作成したメモを睨みつける。


「『シンデレラ』だ。どうしたら普通の女が王子から愛されるような存在になるか。誰もが振り向く魅力を得られるというのは、どんな魔法によるものなのか」


「兄さん、思い切ってシンデレラは外さないか。どうせペローの童話と被ってるし」


「馬鹿野郎。シンデレラはグリムの顔みたいなもんだ。これ抜きに終われるか」

 ヴィルヘルムを一喝し、ヤーコプは眉間に皺を寄せる。


「美しくなるだけじゃダメだ。それじゃ、王子がアホに見えるからな」





 この世界には、実に多様なモンスターがいる。

 おかげで、活路を見出すことができた。


「ヴィルヘルム、こいつが答えだ」


 人型のモンスターが群れをなしている。

 体に茶色い毛が生えた類人猿風の魔物で、一匹のオスが数匹のメスに囲まれている。


「奴は間違いなく、魔法を使っている。そして大勢の異性を引き寄せたんだ」


「兄さん、それってもしかして」


「ああ、『ハーレム魔法』だ。あの『リトラブル』という魔物からは強い力を感じる」

 すぐさま、ラーニングを実行した。





 まさか、こんな能力が存在するとは。


 リトラブルから手に入れた青魔法は、『運勢』に作用するものだった。

 自分自身に能力を使ってみたところ、その日から大変な『トラブル』が起こり続けた。


「きゃあ、急に風が!」

 道端で女性とすれ違ったら、突然強風が吹いてスカートがめくれ上がった。


「あ、ごめんなさい!」

 曲がり角で女性とぶつかった。反動で彼女の尻が顔面の上に乗る。


「ええ? どうしてこんなことに?」

 近くで女性が転んでしまい、支えようと思ったら顔面が彼女の服の中に侵入する。


 これは、大変な能力だ。

「この青魔法、『ラッキースケビュート』と名付けよう」


「兄さん、すごい経験だったね!」

「そうだな。だが嬉しいと思う前に、通報されないか冷や冷やするばかりだった」


「でもとりあえず、これでハーレム魔法も完了だね」

「いや、さすがにこれはダメだろう」


 シンデレラを幸せにする魔法は、もっと上品なものにしたい。





 それから一ヶ月、ひたすら『ハーレム魔法』を研究した。

 モンスターの中には、そうした力を持つ個体が他にも数種存在する。


「ゴトゥブンニャヨメと呼ばれる人型モンスター。あいつは『知識』を他者に教えることで、大勢の異性を引き付けるらしい。今も五人のメスを従えているな」

 だが、シンデレラの話とは合わない。


「あのキミダイ=ヒャッカノってのは? 目が合うと運命を感じさせるみたいだけど」

「相手の数が多すぎる。シンデレラは王子とだけ幸せにならねば」


 どうしたものか、と頭を抱えた。





「うむ。この魔法ならばいける」

 森で発見したモンスターが、ようやく答えを与えてくれた。


「『コノビス=ハコ=イシュール』というモンスター。他者のために生地を作り出し、その魔力で異性を引き付けられるようにする。まさに、シンデレラの魔女と瓜二つの能力だ」


「たしかに、フェアリー・ゴッドマザーみたいな感じだね」


「そうだな。俺たちの本の中で、そういう名称が出てきたかは微妙だが」

 とりあえず、これで青魔法は完成だ。





 ついに、世間に認めさせることができる。


 その名も、『グリム青魔法童話集』。

 各地を回り、様々なモンスター由来の魔法を採取。それによる奇跡の物語を集めたものとして出版した。


「やっと、俺たちの天下が到来するな」

「これで貧乏脱出だね、兄さん」

 ヴィルヘルムと乾杯し、ヤーコプはグラスのワインをひと息に呷った。





 だが、この世界は呪われていた。


「青魔法が犯罪に使われたそうで、少々ご協力をいただきたいのですが」

 政府の人間が訪ねてくる。


「なんでしょうか」とヤーコプは宿の戸口で応対する。


「この本に登場してきた『透明になる魔法』を使った者がいるようでしてね。先日、堂々と温泉の女湯に侵入したようなんです」

「なんと」とヴィルヘルムが声を上げる。


「女性客が不穏な気配に気づいて声を上げたところ、そいつは慌てて逃げたそうです。その時に、この靴を片方落としていったようで」

 官吏は手の平を示す。


「魔法は持続していて、今もこうして、ガラスのように透明な状態になっているんです」

 呆れた顔で溜め息をつく。


「お手数ですが、この靴が合うかどうか、お二人も試していただけませんか」





 犯人は翌日捕まった。

 温泉に侵入した男は、近隣に住む五十代の男だった。


「あの本には夢があった。どんな犯罪でもやり放題だって」

 逮捕された後も、彼は恍惚とした顔をしていたという。





「まさか、回収になってしまうとはな」

 森の中に座り込み、ヤーコプは溜め息をつく。


「兄さん、リアルになり過ぎたんだよ。僕たちの本、魔法の実用集になっちゃったんだ」

「おのれ」とヤーコプは毒づく。


 だが、まだ終わりにするつもりはない。

 自分たちグリム兄弟は、間違いなくこの世界でも偉人となる。

 人の心を大きく動かし、数えきれない創作者に影響を与える。


「寒いな」と近くの木の枝を持ち上げ、火を起こそうとする。


 その途中で、勝手に木の端に火が灯った。

 暖かい、としばらく小さな炎を見つめる。


 ぼんやりと、幻が浮かび上がった。前世で成功を収めた時の出来事や、幼い頃に両親と暮らした家での思い出。


「見ろ、ヴィルヘルム。また新しい魔法を見つけたぞ。この枝はモンスターだ」

 歓喜を覚え、弟にも火を見せる。


「こいつは、火を通して幻を見せる能力だ。『マッチ売りの少女』の話も現実にあったぞ。あれは感動間違いなしだから、きっと大勢の心を動かす」

 頰を緩め、ヤーコプはしげしげと火を眺める。


 大きく溜め息をつき、ヴィルヘルムは首を振った。


「兄さん、それは僕たちの話じゃない」

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