終章 涸れ水

 事件の後、少女たちは都の祖父が呼んだ救急車で病院に搬送された。

 勝手な行動をしたことがバレて怒られるのではないかとビクついていたマキだったが、幸いなことに到着した先は学校の生徒たちが集団検査を受けていた病院だった。クラスメイトの列にしれっと合流したマキと七尾は、何事もなかったかのように検査を受け、目立った怪我もないと言うことで即日帰宅することになったのだが、都だけは衰弱が著しいと判断され、一人入院を余儀なくされた。

 学校は、嵐で滅茶苦茶になった教室の修繕や死んでしまった栢森先生のこともあって、しばらく休校することが決まった。マキたちの教室だけが被害に遭ったことや、異常な姿で亡くなった栢森について様々な噂が流れたが、そのどれもが根拠のない憶測でしかないものだった。

 最も、あの時に何が起こったのかを知っているマキでさえ、その根拠を説明することはできないのだが。

 そして一週間が過ぎた頃、休校が解かれることとなった。

 都も退院が決まったらしく、週明けには登校してくると連絡があった。

 しかし、教室に現れた都の右目には、相変わらず眼帯が貼られたままだった。

「ほとんど見えないんです」

 白い眼帯を指で押さえる都は、ただ事実を伝えるように言った。

「大丈夫です、もうこの生活にも慣れちゃいましたから」

 呟く横顔に小さな名残惜しさを感じさせながら。

 マキも七尾も何も言わなかった。過剰な気遣いはきっと都も望まないと思ったから。

 結局、あの黒い水がどういうものだったのかはマキには分からない。そしてそれは、わらわも同じようだった。

「あれは人の理屈や道理の外に位置するものじゃ。その意識も意図も決して理解できるようなものではない」

 わらわはマキの疑問にそう答えた。

「宇宙人の感覚が分からんように、あれの感覚を理解できることもないであろうよ」

「でも、あれはもういなくなったんだよな?」

 七尾の言葉に、わらわは不服そうな顔をする。

「いや、都の中に封じ込めただけじゃ。都自身を仮の社として、あの水は残り続けるであろう。あんなものを取り込んだのじゃ……今後どのような影響があるのか、わらわにも見当がつかん」

 その言葉にマキは、あの井戸で見たわらわの躊躇いと真幸に対する怒りの表情の意味を知った。

「すまぬ都、あの状況を収めるにはそうするしかなかった」

「…………」

 顔を伏せて悔悟するわらわに、都は光の残る左目を細かく動かして考える。そして、頭に浮かんだわらわを気遣う言葉をいくつか選ぼうとして、そのどれもが適切でないと判断し、正直に伝えることにした。

「これが最善でした。いいんですよ、それで」

 素直な気持ちだった。

 どうせあの状況で自分に出来ることなど何もなかったのだ。どう転んでもおかしくない中、自分の体と目玉ひとつで収拾がついたのなら安いものだ。故意ではなかったにしろ、自分が原因で起きたことで友達が傷つかずに済んだのならそれでよかった。

「だから気にしないでください」

 そう言って都は微笑みかけた。

 しょげた顔をしていたわらわが、少し元気を取り戻したように小さく笑う。それを見て机に頬杖をついた七尾も、マキに目配せをしながら笑みを浮かべる。

 そしてそのうち誰ともなく声を出して、くすくすと笑いあった。

 いつも通りの日常が戻ってきた。マキはそう感じながら、都に視線を向ける。眼帯の奥の、失われてしまった光を思う。

 都の中にいる黒い水は今どうしているのだろう。新たな社に納まったことで満足しているのだろうか、それとも虎視眈々と外に飛び出す機会を窺っているのだろうか。どちらにしろ、あんな凄まじい力を持ったものがいつまでも黙っている保証はどこにもない。

 それでもマキは思う。

 これ以上、都から何も奪わないでほしいと。

 失われた光を冥途の土産に、どうか眠り続けていてほしいと。

 そう、願っていた。


         *


「あ、あ、あー。マイクの調子はどうかな?」

 携帯電話から声がする。中性的な、若い男の声だ。

 古い折りたたみ式の携帯電話から流れる声は、旧式のスピーカーとは思えないほどクリアで、声の主がおっとりとした雰囲気の人物であることさえも正確に伝えてくる。

 そんな、どこか気の抜けるような声色のする携帯電話に耳を当て、圁圖真幸は返事をする。

「いいですね、この調子なら端末をアップグレードしてもよさそうです」

「りょーかい、それじゃあそっちからよろしく~」

 真幸は一度頷いて通話を切り、新たに取り出したスマートフォンに手早く番号を打ち込んだ。数回のコールの後、空気を擦るようなホワイトノイズが通信の接続を知らせてくる。

「まさかこんな古い機械から繋げていくことになるなんてね~。おかげで手間取っちゃったよ~」

「一気に進めると影響が大きいですから。それにしても時間がかかりすぎなようですが」

「ぼくだって気付かれないように頑張ってるんだよ~」

 真幸の言い草に、じたばたと椅子を軋ませる音がする。それを聞きながら真幸は、ふ、と息を吐く。

「確かに今回はかなり表だって行動したので、しばらくはわたしも大人しくしておいた方がよさそうです。この機会にこちらの休暇を満喫させていただきます」

「いいないいな、ぼくだけ忙しいまんまだよ~」

「あなたにはあなたの仕事があるでしょう。その間にわたしも備えておくのでよろしく頼みますよ」

「ぶー」

 不満を漏らす声。電話の向こうのふくれっ面が見えるようだ。

 しかしそんな態度はすぐに消える。今までの茶番がまるで嘘のように、電話の先からは静穏とした気配が漂っていた。

 男は落ち着いた声で静かに言った。


「今回は『みやげさん』が統合されたね。サルベージはまだでいいのかな?」


 電話越しの無機質な声に、すうっと空気が冷たくなる。まるでスピーカーから冷気でも漏れ出しているかのようだ。

 だが真幸はそんな異様な変化に眉一つ動かさない。

「ええ、まだイレギュラーの可能性がありますから」

 そして言う。

「今のところは順調ですが、状況は依然不安定です。いつ想定外の事態が起こるか分かりません」

「それって『わらわさん』のこと?」

「それだけではありませんが、正直言って、わらわさんが一番厄介です。狐というのはどうして毎度ああなんでしょうか」

 無表情のまま苛立ちを交える真幸に、電話の相手は嬉しそうに笑う。

「でも今回は上手く誘導できたみたいじゃない?」

「かなり危ういところでしたが、なんとかなりましたね。みやげさんの統合は我々には不可能でしたから」

「取りあえずはひと段落だね~。あれ、いち段落なんだっけ?」

「いち段落です。話し言葉ならどちらも使うそうですが」

 検索画面を表示するスマートフォンの白い光が、眼鏡越しの瞳を無機質に照らす。

 これ以上は言うこともないと判断した真幸は、まとめに入る。

「では、ほとぼりが冷めるまではお互い表立った行動は控えるということで。細かい問題はその間に解決することにしましょう」

「はーい、それまでなんにもないといいんだけどね~」

「……妙なフラグを建てるのはやめてください」

 通話が終了し、誰の声もしなくなった。

 気付けば人の気配もなくなり、ここには誰もいなくなっていた。


 後には朽ち果てた井戸だけが残っていた。



<終>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪来怪去 二 ゆーき @chonbokki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ