後編

「海がそんなに好き?」


 スリープモード。正確には自動治療がはじまってしまった彼は、ずぶ濡れだ。久々の出来事だが、軽口すら言えるようになった。


「おっもい!」


 なんとか海から引きずり出し、砂浜に横たえる。

 浅瀬でよかったと、心から思う。


「この機能があるおかげで再発しないけどさ。突然倒れるのは怖いって」


 冬だったら危なかった。主に私がだ。

 彼はアンドロイドの部分がどうにかしてくれる。それでも、沈んでゆく彼を放っておくことなんてできない。


 人間って、不便。


 彼だって同じ生き物だ。

 その証拠に、画家である彼の絵は、目覚めた後に鮮やかさを増した。生死を彷徨ったことにより、世界のすべてが輝いて見えているそうだ。


「最近さ、心を感じられれば、人間だなって思えるようになったんだ」


 まだ微かに機械音がする彼へ向かって、勝手に語りかける。


「わからない存在って、わからないから怖い。でも、わかってきたら怖さが薄れて、むしろ、知ろうとさえ思える。病気についても、治療についても」


 濡れてしまった彼の頬を撫でれば、愛おしさが心を満たす。


「それでも、昔のあなたに戻せるのなら、戻してあげたいと、願ってしまう」


 ごめんなさい。


 前を向く彼に、後ろを見せようとしてしまう自分が情けなくて、涙が出る。


「病気って、なんで存在するんだろうね」


 本人にとっても、誰かにとっても学びになる。

 当人になれば、こんなに簡単な言葉で片付けられるものではない。

 ましてや、この深い悲しみを、誰もが味わう必要などない。


「……おはよう」

「すっきりした?」


 まだ夢の中にいそうな彼が声を出す。その事実に安堵して、笑うように返事をした。


「泣いてる……」

「目が覚めないんじゃないかって、不安になるんだよ」


 他の理由もあるけれど、驚く彼には私の心配を知っていてほしい。だから素直に伝える。


「ごめ――」

「謝るのはなし!」

「じゃあ……、そうだ」


 涙を拭う私と、起き上がった彼の目が合う。


「あと何分で目が覚めます、とか、わかる機能を追加してもらおうか」

「なにそれ。目覚ましみたい」

「僕の口からタイマーが聞こえたら、生きてるって安心できるでしょ?」


 想像して吹き出す。愛する人のそんな姿はホラーであり、コメディすぎる。


「安心より、もっと心配になるよ」

「そう? 君が笑ってくれるならなんだっていいよ」


 立ち上がった彼が差し出す右手は砂まみれ。それでも構わず捕まれば、ずっと変わらない温度を感じる。


 願わくば、治せない病気がなくなりますように。


 昔と同じように微笑む彼。変わってしまった身体。それでも、私たちは共に生きていく。

 だからこそ、淡い輝きを放つ夢に、私は縋る。

 この祈りは、きっと届くと信じて。




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徒夢に縋る ソラノ ヒナ @soranohina

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