旅の続き/またな!
震災の日より三か月が経った。
一般の航空機が大幅減便のうえではあっても、ようやく発着できるようになったキト国際空港ターミナルに、稀梢とレオニードが現れた。
テパネカ共和国にいた外国人は震災直後の緊急救助便で大抵は出国していたし、現在のテパネカ共和国に観光に来ようとするもの好きは少ないため、まだ国際線の人影はまばらだ。
おそらくは政府の関係者や救援組織の関係者であろう、背広姿や作業着の目立つターミナルのなかで、ジーンズ姿、ファンキーな柄のTシャツ姿の青年二人はなかなか目立っている。
震災以後、罅割れた壁を応急処置しただけ、建物内にもかかわらずいつのまにか入り込んでいる火山灰を掃きだす清掃の行き届かない空港は、どことなく煤けて見えた。
「イツコアトルさんが見送りに来てくれるんですよね?」
稀梢がスマートフォンで時間を確認しながらレオニードに問う。
「イツ……ああ、テノチカさんだね」
いつからファーストネームで呼ぶ仲になったのか謎だな、と思いつつ、レオニードが頷いた。
鳳稀梢はここのひとびとには例外なく「ホウ」のほうで呼ばれている。
名前は「シィシャオ」で、テパネカ共和国の公用語であるケチュア語でもナワトル語でもあまり馴染みのない発音のために、発音しやすい「ホウ」で呼ばれているのだ。
二ヶ月とすこしまえ、レオニード、稀梢、イツコアトルの三人は、おそらくは
二時間ほどのことだったと思われる。
おなじ日、シワトルが行方不明になった。
探し回っても見つからず、震災で騒然としているさなか、なにか良くないことが起こったのでは、と気を揉んだが、
じゃがいもの精霊たちは、消えてしまった。
おそらくは彼らが現れた原因……
だが、タワンティン連合からの緊急支援物資のじゃがいもの乾物……チューニョを見るたびに、稀梢も、レオニードも、彼らのことを思い出す。
自分たちを守ろうとしてくれた、イラストの精霊たち。
スマートフォンで時間を再び確かめ、稀梢があたりを見回したときだ。
「待たせたな」
空港の玄関口からイツコアトル・テノチカが姿を現した。
茶色のタートルネックのニットにチャコールグレーのジャケットを羽織っている。
完全にオフの日、軍服の印象のかけらもない衣装を身に着けているが、なんとなくいつもどおりに見えてしまうのは、彼の表情が堅苦しいからだろうか。
「まだ時間はいいのか?」
との問いに、
「ええ、だいぶ余裕がありますから」
と稀梢が応えた。
「ふたりともブラジルに行くんだったな」
「そうです」
と、つぎはレオニードが応える。
「僕は一度、大学に戻ります。研究をまとめていろいろ次年度の書類を提出しないと、研究費が止められてしまうんで。でも半年もしないうちに戻ってくる予定です。僕の研究の拠点はこちらにありますから」
レオニードが笑った。
「私はしばらくブラジルを観光して、あとは……考え中です。でも十年くらいしたらまたこの国に来ますよ。観光ですけど」
――ああ、これ渡しておきます。アタカウカ将軍と、ひとつずつ。
稀梢は手提げ袋をイツコアトルに手渡した。
袋の中には土を入れて細い枝を挿した使い捨ての紙コップがふたつ入っている。枝にはちいさな緑の葉が芽吹いていた。
「タモアンチャンで拾った枝に私のちからを吹き込みましてね、葉も根も付いたんで、上手くいけば咲きますよ」
イツコアトルとレオニードが目を丸くした。
「言いませんでしたか? 私は枯れ木に花を咲かせるくらいなら、出来るんですよ。これでも人外ですから」
にこりとした笑顔に、あとのふたりはなぜか
「私の国の『楽園』には、桃の木が植わっていて、桃の花が咲いているそうです。でも、現実の世界で桃の木があってもそこは桃源郷じゃないように、この木が植わってて、花が咲いたって、べつに現実世界が楽園になるわけじゃないですけど」
「感謝する」
と、イツコアトルが胸に手を当てて礼を言う。
「神さまには内緒ですよ、怒られるかどうか知りませんが」
稀梢が冗談めかして片目を瞑った。
そんなときだ。
「お~ひ~さ~し~ぶ~り~! レオ、元気してた?」
レオニードの背中に、突如、なにかおおきなものが貼り付いたように見えた。
おおきなもの、二メートル近い身長のオリエだ。
「間に合って良かった! オレ、さっき『生まれた』とこなんだよ。で、すぐに神殿に行ってさ、レオのやつどこ? って聞いたらじいさんたちが空港に行ったっていうからさ、慌てたのなんのって」
話の意味が部分的に分からないが、要するに何かの手段で復活して慌ててここに来た、ということらしい。
まだ空港の入り口のところ、すこし遅れてシワトルもいる。
シワトルはすこし疲れたように青い顔をしていた。けれど元気そうだ。
そして――素晴らしいケツァル鳥の尾羽根を髪に飾り、アステカの高貴な模様がとりどりに美しく描かれたガウン、宝玉を縫い込んだ下帯を身につけた青年が現れる。
だれしも釘付けになろうその姿に、空港にいた人々の息を呑む声がざわざわとしたさざめきになって広がって行く。
なにかの祭祀のための衣装だと思ったのだろう、無遠慮に写真を撮る者もいた。
「ケツァルコアトル神」
レオニードが呆然と呟いた。
「そういう固いの言いっこなしだよ、レオ。紹介するよ、オレのダチのカトル」
青年が胸に手をあてて、レオニードと稀梢に向かって「はじめまして」と礼儀正しく挨拶をした。
「レオニード・ハレス殿。挨拶もそこそこに非礼なこととは思うのだが、単刀直入にお尋ねする。あなたはこの国を記録していると聞く。これからもそれを続けるおつもりか?」
「ええ、そのつもりです」
めんくらいながらもレオニードは答えた。
レオニードは仕事柄、たくさんの人と会って、さまざまな話をするが、さすがに神さまに自分の仕事のことを尋ねられた経験はない。
「では、わたしもその仲間に加えて欲しい。わたしが絶望しないように、わたしが義務を果たし続けられるように」
第五世界の審判を担う神、ケツァルコアトル神。
人の世はままならない。神々が正しく導こうとしたところで、うまくゆかない。
けれども、それは神々が手ずから世界を終わらせる、そんな『おしまい』には当たらないのだ。
「僕もひとりで研究していた時はすぐに投げ出したくなりました。そんなとき、オリエが一緒にいてくれて、くだらない愚痴を聞いてくれたら、なんというか、すっきりしたものです。解決するのはすぐにはできなくても、『また明日も続きをやろう』そう思えました。みんなで、なにができるのか考えましょう。みんなで考えれば、絶望はきっと遠くなります」
「あ、オレ役に立ってた? レオ、いいこと言ってくれるじゃん」
オリエがレオニードの背中に額をこすりつけて嬉しがっている。
稀梢はシワトルにちいさな紙片を手渡した。
「もし、キラチトリのことをもっと知りたくなったり、この国でできないことをやりたくなったら、ここに電話してみてください。相談に乗ってくれますよ。彼女も……キラチトリで、いまはプロイセン公国に住んでいます。ケチュア語もナワトル語も話せるそうなので、身構える必要はないでしょう。あなたのことは簡単に伝えておきましたから」
シワトルが、紙片を握りしめて頷いた。
「いまは、震災の看護補助の仕事を頑張ります。食事も住むところもあるし、お給料もでる。それでお金を貯めて、学校に行きたいって思ってて」
看護補助とは、この震災で特別に設けられた資格だった。十時間ほどの研修で、包帯を替えたり、処方された薬を飲ませる介助をしたり、掃除をしたりといった医療施設の雑用をやる。二年間の限定措置だが、給料が出るので比較的年齢の高い震災孤児の支援措置でもあった。
「もちろんです。ただ、海の向こうにも、あなたとおなじ同胞がいるってことを忘れないでください」
シワトルがおおきく頷いた。
「シワトルちゃんにはオレもついてるからさ」
オリエが、にぱっと笑ってシワトルに手を振った。
「写真を撮りましょう」
稀梢が提案し、ケツァルコアトル神……カトルの完璧に伝統に則ったアステカの神の姿に目を見張る空港の従業員に無理を言って何枚か全員を収めた写真をスマートフォンで撮ってもらう。
稀梢とレオニードをまんなかにして、シワトルが稀梢のとなりで微笑んでいた。
シワトルのうしろにテノチカが無表情に立っている。緊張しているのだ。こんなとき、どんな顔をしていいのか分からない。
レオニードと肩を組んでオリエが親指を立てて笑っていて、そんなみんなの真後ろに、カトルが派手な衣装で微笑んでいた。
そんな写真だ。
ブラジルへ飛ぶ航空機の搭乗アナウンスが入った。
「それじゃ、また」
レオニードと稀梢が見送りの四人に別れの挨拶をする。
これからどうなるか、どんな未来が待っているか、だれも予想できない。
けれども……きっと、この別れは長い別れではない。
みな、それだけを確信して、自分たちの旅の続きを歩み始める。
凄餐の祭壇 翼ある蛇と煙る鏡 宮田秩早 @takoyakiitigo
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