第4話:館

 クリスマス・イブの、昼間でも風が冷たくて寒い日。

 私は大きなボストンバッグを足元に置いて、ポメリウム亭のカウンターで大好物の卵焼きサンドイッチを頬張っていた。軽くトーストしたパンに挟まった分厚いふかふか卵焼き、辛子風味のマヨネーズの辛みが鼻につんと効いて最高に美味しい。あー幸せ。

 これから、荷物を抱えて年末年始休暇で実家に帰省する予定である。電車に乗って半日はかかるので面倒だけども仕方がない。アパートの部屋も簡単に大掃除を済ませたし、今夜から実家で極力のんびりするのだ。


 帰省前の腹ごしらえに立ち寄ったポメリウム亭にも、明日から来年松の内まで休みます、と入り口に貼紙がしてあった。

 龍之介マスターに、旅行にでも行くんですかと尋ねたら、別にそういう事では無いらしい。

「明日ぐらいからお客様は減りますし、食材の仕入れも面倒になります。だから店は閉めてしまった方が気楽なんですよ。自宅でルチルと一緒にのんびり骨休めをしています」

 ルチルというのは、龍之介マスターの飼い猫である。太った偉そうな三毛猫らしいけど、私はまだ見た事がない。

 龍之介マスターの自宅はポメリウム亭のカウンター奥と繋がっている。自宅の一部がポメリウム亭という訳だけど、猫は食事を出す店の方には厳重に出入りを禁止されているのだ。猫大好きなのに、残念。

 ちなみに龍之介マスターの所の怪しい居候、生首とルチルは仲が良いらしい。猫が自分を枕にして昼寝をすると、生首がぼやいていた事がある。


 食後にココアを注文して、そういえば今日は店内に生首がいないな、と思っていると龍之介マスターがふっと何かに気づいたように顔を上げてカウンター奥に姿を消し、すぐに生首を抱えて現れた。

「おや女史、来ていたのか。おはよう」

「おはようって、もう昼ですよ。ところで何ですかその妙な帽子は」

 真っ赤な毛糸の帽子をかぶった生首は、眠たそうに欠伸をした。どうやら寝起きらしい。

「私は寒さに弱いからな。今年は特に冷えるので龍之介に頼んで誂えてもらった」

 まさか龍之介マスターが生首のために編んでやったとか……器用そうだからあり得る。


「胴体が無いのに、寒さに弱いんですか? 頭だけなら気温や体温はあんまり関係なさそうですけど」

「呼吸だけで生きているせいだろう。寒い季節になると、眠気がひどく強くなる理由は自分でも良くわからんが」

「へえ。寒くなると眠くなるって、熊の冬眠みたいですね」

「まあ、そうだな……」

 面倒くさそうに生首はまた欠伸をし、私は熱くて甘いココアを飲みながら、ふと思い出した。

「そうそう、生首さん。何か怖い昔話と言うか、怪談を話してくださいよ」

「怪談? どうしたのだ唐突に。珍しいではないか」

 確かに、私から生首の昔話を聞かせてくれとお願いした事は今までに無い。大抵は逃げ腰なので、逆に生首は不審そうである。

「実はこれから実家に帰省するんですけどね。新年の挨拶にやって来る親戚のチビ達の相手をした時に、怖い怪談話でも披露してびびらせてやろうかと」


 チビ達の相手も色々大変なのだ。テレビゲームの相手は疲れるし、すぐに口答えはしてくるし、しかしお年玉は堂々と要求してくるのだ。怖がらせてやるぐらいの楽しみがないと、こちらとしても面白くない。

 私の少しばかり恨みがましい理由を聞いた生首は呆れたように言った。

「とんでもなく子供じみた事を言う。女史も幼い頃には大人に世話になって年玉を貰っていただろう? こういうのは順番ではないか」

「それはそれですよ。いいじゃないですか、チビ達はそもそも怪談話が大好きなんですし。生首さんみたいに長く生きてるなら、お化けぐらい何度か会っているでしょう?」

 私の微妙な持ち上げに、生首は眉間にしわを寄せつつちょっと得意げな表情になった。

「お化けか……そういえば、明日はクリスマスだな。クリスマスの頃に国王と共に大勢の亡霊に囲まれた事があった」

「国王? 外国の王様ですか?」

「17世紀頃のイングランドだ。私は国王に仕える騎士の元で暮らしていたが、その時の体験だ」

 そりゃまた古い怪談だな、と思う私をよそに、いつものように少し遠い目になった生首が話し始めた。


「私はその頃、今でいうヨーロッパ大陸を様々な人間と共にあちこち移動していた。

 あれはどこの国だったか。その時の世話人の元で金持ち相手のサロンでの見世物になっていた事がある。

 適当に古い歌を歌ったり、聖典の有難い言葉を喋ったりして、金持ち連中に面白がられていた。その時に私を見た一人の騎士と名乗る男が、珍しい存在である私を連れて故国に戻りたいと申し出て、世話人に大金を払って譲り受けた。

 私は飲食をしないとはいえ、人間に世話をして貰わねば生きていけない存在だ。だから見世物になるのは構わないが、金銭で露骨に売買されるのは不愉快に感じた。


 そこで私は、私を物扱いはせずに客人として扱い、珍しい風景や料理などを見せろと騎士に要求した。すると騎士は、物扱いなどとんでもないと愉快そうに笑って、思い切り珍しい光り輝く素晴らしい物を見せてやると約束し、更に私に名誉をも与えてやろうと言った。

 やがて我々は大きな船に乗り、海を渡り、賑やかな港に到着した。そこはイングランドだった。

 その港から旅が始まったが、初めて訪れた国だったので目にするもの全てが興味深かった。


 イングランドに到着した騎士は、馬上でも私を小脇に抱えて堂々していた。

 さすがに目立ち過ぎではないかと心配したが、彼は平気で、この国には不思議な存在がたくさんあるから、生首ぐらいどうってことは無いと笑っていた。確かに、そんな雰囲気ではあったが……騎士は逆に私と酒を飲みかわせないのを残念がっていた。


 やがて私と騎士は大きな城のある街に到着した。その城には、騎士が仕える当時のイングランドの国王が居た。派手な衣装に着替えた騎士に抱えられ、城内で面会した国王は太って威厳のある贅沢な雰囲気の人物だった。国王は生首の私を見て大変面白がり、私を持ち上げて話しかけたり頬に口づけをしたりした。しかし私は間近で国王の目を見て、暗い鬱屈が溜まっているような印象を受けた。後で騎士から、王位を争って内戦が続いているので国王はひどく怯え悩んでいると聞かされた。もし争いに負ければ、自分は王位を追われどうなるかわからないと。


 その後、私は何度か騎士に抱えられて国王に会い、乞われて過去の経験などを話して聞かせた。

 国王は珍しい生首を持ち帰った騎士に褒美を与え、喋る生首の私には何か位を授けてやろうと言った。私を身近に置けば、魔除けになるかもしれぬと言ってな……その時に少し妙な感じは受けたし、地位など特に興味も無かったが、騎士の為にも光栄ですと喜んで見せておいた。

 そのうちに季節は冬になった。

 ある日、国王は数人の騎士を連れて馬に乗って城を出た。その時、国王は騎士に私も一緒に連れて来いと命じた。正直、雪交じりの寒風が吹き荒れる中に出て行くのは気が進まなかったが、世話になっている騎士に対して反抗する訳にもいかず、諦めて従った。


 国王の一団は、丘を越え野を越えてひたすら走り、人里離れた谷間に建つ古びた大きな館に到着した。


 無人かと思ったが、先客がいて我々を出迎えた。服装からするにどうやら聖職者のようだった。

 すぐに巨大な暖炉のある大きな部屋に通されたが、国王だけは別の部屋に案内された。その時、なぜか国王は私を抱えて行った。騎士からも特に何も説明はされず、私も仮にも国王と一緒なのだから危険は無いだろうと思いつつ用心はした。暗殺される王なぞ幾らでも見て来たからな。

 別室は机と椅子だけの殺風景な部屋だったが、国王が着席し私を机の上に置くと、すぐに別の扉から誰かが入室してきた。私はなるべく無表情でいたが、国王に丁重に挨拶した人物を見て驚いた。私でも顔を見知っていた、有力な大司教だったからだ。彼は聖なる方面で大変な権力を持っていた。しかし確か国王と激しく敵対していたはずでは……と不審に思ったが、やがて理解した。

 この場は国王と大司教の2人だけの秘密会議だったのだ。

 私は何も聞いてないふりはしたが、大司教はちらちらと私を気にしていた。話の内容は、大司教の裏切りとその事による見返りの要求だったのだから無理もなかったが。しかし国王は大司教の不安は無視して話を進め、やがて双方納得して聖典に手を置いて誓約し、握手をしてから大司教は部屋を出て行った。


 国王はしばらく黙ってから私に向かって呟いた。国中の人間の首を刎ねてお前のようにしてしまえば気が休まるのだがな、と。私は悟った。国王は、裏切れば大司教といえども首だけにしてやると脅すために、私を目の前に置いていたのだとな。国王のくせに小心で悪趣味なやり方だと内心呆れたが。


 秘密会議が終わる頃には、外は猛吹雪になっていた。大司教は館を去っていったが、国王一行はそのまま館に泊まる事になった。館には食料や薪が備蓄されていたので、巨大な暖炉で煮炊きをして料理を作り食べ、酒を飲むと騎士たちは暖炉の前で雑魚寝をし、国王は隣室の小部屋で休んだ。猛吹雪の中の無人の館なので特に警備などはせず、私は暖炉に一番近い場所で連れの騎士と共に外套にくるまって眠った。


 深夜、私は何かの音で目が覚めた。吹雪の音では無い。大勢の人間が歩く足音だった。


 外套の隙間から覗いてみたが、暖炉の炎でぼんやり照らされている広い部屋には誰もいない。夢だったのかと思った時、隣室から悲鳴が響いた。それは国王の叫び声だった。

 さすがに騎士たちは皆飛び起きたが、武器を持ち国王の元に駆け付けようにも体が動かない。

 しかしまた足音が響き、広い室内にいつの間にかぼんやりと明るくなり、大勢の人々が出現していた。それは貴族の男女の亡霊だった。

 どこからか優雅な音楽が流れ、亡霊の男も女も豪華な衣装をひるがえして踊り始め、笑いながら踊る彼らの中央に、蒼白になった国王が立っていた。

 一人の女が国王の腕を取り、強引に踊り始めた。国王の相手は次々変わり、男も女もまるで国王を振り回すように踊り続けた。国王は何か、多分助けてくれと叫んでいたようだが声は騎士たちには届かず、皆はただ動けず焦るだけだった。


 大皿に乗った焼いた肉料理の塊が運ばれてきて、男が国王の口に次々に突っ込んだ。

 金の杯が運ばれてきて、女が国王の口に酒を何杯も注いだ。

 国王は絶望的な表情でなすがままだったが、やがて白目になり、その場に倒れた。

 男も女も笑いながら、倒れて動かない国王を足蹴にし、指差し、嘲笑った。

 その様を見たひとりの騎士が激怒し、ようやく怒声を浴びせた。

 ――我が王に何をする! とな。

 すると、広間の亡霊たちが一斉にこちらを見た。初めて我々に気づいたように。そしてなぜか全員が大笑いしながらこちらを指差し、一人の男が叫んだ。

 ――我々の大宴会は楽しめたかね?

 次の瞬間、広間から全ての亡霊が消え、また吹雪の音が聞こえる暗闇だけになった。動けるようになった騎士たちが倒れている国王に駆け寄ったが、国王は完全に気絶していて強い酒の匂いだけが残っていた。


 翌朝、騎士たちは何とか国王を支えながら城に戻った。国王はそのまま体調が悪化し長い間寝込み、復帰した後はおそろしく陰気になり、周囲の人々を遠ざけるようになった。

 私を世話していた騎士も何事かあって、私を抱えて城のある街を出ると、遠くの自分の領地に去った。その後、随分と長い間彼と共にいたが、やがて国内で大規模な戦争が起こり、彼は私を信頼できる商人に託して国外に脱出させてくれた。港で別れた彼がどうなったかはわからない。やがて、長い長い争いの後に国王は捕まり、斬首された。皮肉にも、自分の首が刎ねられたわけだな。

 大きく変化したイングランドを騎士がどう思ったかは、ついにわからずじまいだった……」


 長い長い生首の物語が終わった。

 珍しくしんみりした表情の生首を見て、少しだけ慰めてやりたくなった。

「はあ、凄い体験でしたねえ。巻き込まれなくて良かったじゃないですか。けど、結局その館で踊っていた亡霊の集団は何だったんですか?」

 生首は疲れたように欠伸をした。

「さあなあ……もしかしたら国王が迫害した人々だったのかもしれない。反抗的な貴族たちにかなり惨い事をしたらしいからな。因果応報というやつだろう」

「なるほどねえ」


 生首を長く世話していたという騎士の話をもっと聞きたかったけど、そろそろ時間だ。私は料金を支払い、荷物を持つと生首と龍之介マスターに年末の挨拶をしてから店外に出た。

 この古めかしい怪談をどうやって盛り上げて話そうかと考えながら駅に向かって歩いていると、雪が降って来た。

 明日はホワイトクリスマスになるかもしれない。

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生首奇譚〜ポメリウム亭にて 高橋志歩 @sasacat11

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