第3話:おそろい
「これは、そんなに昔の話ではない。
ある所に、子供時代から蝶が大好きな男がいた。彼は蝶を捕り、熱心に蝶の本を読み、蝶について学び、やがて蝶を専門とする立派な昆虫学者になった。
学者になった男は、やがて世界で一番数多くの多彩な蝶が生息している、南国の巨大なジャングルに移住する事を決意した。
調査の為には何度も訪れていたが、それでは蝶の全てを知る事は出来ない。男は、大学での地位など全てを捨てて南国に移住し、ジャングルの入り口にある小屋に居を構えた。
そして毎日ジャングルで蝶を追い、最も基礎的な研究として、蝶の標本を作った。そんな彼を学者仲間は心配したが嘲笑した。標本による研究など、完全に時代遅れで無意味と考えられていたからだ。
男はやがて故国からも忘れられ、資金も乏しく生活は苦しくなったが、それでも黙々と蝶の標本を作り続けた。現地の人々は彼を変わり者だが、子供たちに勉強などを教えてくれる良い人だと食料品などを届けて助けてやった。
そして長い年月が経った。
世界は大きく変わり、ある分野で幾つもの新たな発見がなされ、新技術が華々しく登場しようとしていた。その技術を独占できれば長期間にわたる莫大な利益が見込める。世界中の巨大企業が開発研究に投資を始め、大勢の研究者が集まった。
だがそこで問題が起こった。その研究にはどうしても昆虫、特に蝶の標本が必要だった。
その標本が無いのだ。
既に世界からは、正確に分類されきちんと保管された蝶の標本が不要と見なされ、ほとんど姿を消してしまっていた。博物館にあるような標本は古すぎて役に立たない。巨大企業はそれこそ血眼になって世界中に調査員を派遣し、蝶の標本を探した。
やがて、一人の調査員がジャングルに住み着いた変わり者の噂を聞きつけ、蝶の標本を作っている男を見つけた。居場所を探して訪問してみると、小屋いっぱいに分類され保管されている大量の蝶の標本があった……調査員はその場でどこかに連絡を入れた。
翌日、男と現地の人々は度肝を抜かれた。
ジャングルの上空に突然ヘリコプターが飛来し、空き地に着陸した。そして機内から高級なスーツを着込んだ男たちが何人も降り立ち、男に面会を求めた。
彼らは巨大企業の社長と重役たちだった。社長は、男の蝶の標本をぜひ研究に使わせて欲しいと申し出た。巨額の報酬と最新の研究施設の地位が男に提示された。巨大企業にすれば、男のために研究所を建てることなど安いものだった。男は驚き、少し考えさせてくれと言ったので社長たちは一旦引き上げたが、その後毎日のように重役が訪問してきた。
男の蝶の標本の話題はあっという間に広まり、戸惑っている男の元に報道陣もやってきて、長い間知られていなかった男の業績を報道した。
やがて男は、巨大企業と契約を結んだ。しかし彼はジャングルを離れなかった。
代わりに小屋のあった場所に立派な研究施設が建てられ、世界中から学者が集まってきた。男は研究所の責任者となり、大勢の弟子が出来て忙しくなった。それでも毎日、彼は人生の最期までジャングルで蝶を追い、蝶の標本を作り続けたのだ」
話し終わった生首は満足そうだったが、私はフォークを片手に大欠伸をしてしまった。
「ふーわー。ああ今日の話は、いつもと毛色の違う、ちょっといい話でしたね」
「ちょっとどころではないぞ。たまには、女史に教訓に満ちた話をせねばと思ってな」
今夜、私はいささか酔っぱらっていた。
病気で入院していた友人が無事に退院したので、友人一同で『完治おめでとうパーティー』という名の飲み会を開催していたのだ。退院したばかりの友人を引っ張り回す訳にはいかないので早い目に解散したけど、帰宅途中で空腹を覚えたので、酔った勢いでポメリウム亭の扉を開け、カウンターの椅子に座り込んだのであった。
龍之介マスターに「ソーセージを多い目に入れてくださいね」と図々しく要求した熱々のポトフのソーセージを齧り、ほくほく煮込まれたジャガイモを味わいつつ、気が付いたら生首の長話を聞いていた。
「教訓ですか? 教訓ねえ。それにしても、なんで蝶の標本を作る人の話になったんですか」
「始めたのは女史だ。友人の病が治ったという話から、医者や学者の話題になったのだが」
「そうでしたっけ? まあいいですよ、めでたいですから。ふーん、その蝶の学者さんは生首さんの知り合いですか」
「直接の知人では無い。その学者に世話になった探検家に聞いた話だ」
探検家とはまた怪しげな。私はポトフを食べ終わり、頭をはっきりさせようと注文したコーヒーにクリームを注ぎながら、ふと疑問に思って生首に聞いてみた。
「ところで、さっきの話のどこに教訓があったんですか? 真面目に研究しろですか?」
「まだ酔っているのか。もっときちんと理解しろ。『苦難と名誉はおそろいの衣装を着ている』という話だ」
なんだか良くわからない例えである。おそろいの衣装?
「つまり、ただの年寄りのお説教じゃないですかー」
年寄り扱いをされてさすがにむっとしたようで、生首は不貞腐れたような表情になった。私は酔って口が軽くなり、少し言い過ぎたかなと反省した……古代から生きていると主張しているんだから、年寄りだと思うけど。
「あーえーとそういえば、生首さんはジャングルに行ったことがあるんですか?」
その途端、生首は機嫌が良くなり目を輝かせた。
「行ったどころでは無い。さっき言った探検家と共に、ジャングル奥地の忘れられた古代都市にダイヤモンドの秘宝を探しに赴いた。虎に襲われ巨大なワニと格闘したが、あの時は危なかった」
何だ別に反省する必要は無かったなと思いつつ、私はコーヒーを飲みながら生首のジャングル探検のホラ話を聞いてやる事にした。
生首奇譚〜ポメリウム亭にて 高橋志歩 @sasacat11
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