第4話 早すぎた再戦
切られた首から滴り落ちた血が、赤い地面に波紋を描く。
耳長の視線、少なくとも意識は、この俺を捕らえていた。
『耳長!?』
『おい、なにも見えん』
『さっきから地面しか映ってねーぞ』
スマホから流れた音声を聞いてはっとした。
いま目にしているこの光景を配信に流していたら、と。
「悪いな、見せる訳にはいかなくなった」
握り締めていたスマホを鎧の隙間へ、胸元から落として仕舞い込む。
鎧の内側でコメントが反響しているけどしようがない。
この光景を配信で流しでもしたら、死者を晒し者にしてるのと同じだ。
同じハンターとして――それはどうしても出来なかった。
「わかってんだよ。お前にはまだ勝てないって」
腰の剣を抜く。
「でもさ!」
首を刎ねられた誰かのことを俺は知らない。
名前も、趣味も、好きな花も。
それでも。
「その首は置いてってもらうぞ、耳長ァ!」
吠えるような大声と共に、再び全身の鎧の隙間から蒼白い炎が溢れ出る。
一歩、地面を踏み締めて駆け出し、瞬間自分でも思いも寄らないくらいの加速を得た。
自分が思った以上に、この鎧はヘルハルの恩恵を受けている。
勢いは止まらない。止めさせない。
続く二歩目を確実に刻み、更に加速。
瞬く間に耳長との距離を詰め、剣の一閃を叩き込む。
だが。
「これで――ビクともしないのかよ」
今までにないほどの渾身の一撃は、あっさりと受け止められた。
片手に首を持ったまま。
彼我の差は歴然。
わかり切っていたことだが、やはり現時点では耳長には到底敵わない。
「泣けてくるな」
両手に握った柄に力を込め、剣閃を振るう。
幾重にも繰り出した斬撃のすべてを耳長は軽く捌き、その隙間を縫うような突きが繰り出される。眉間を狙い撃ちにしたそれを寸前のところで回避したが、刃が鎧兜の頬を削って過ぎていく。
片手でこのあしらわれようだ。打ち合いが長引けば負けるのは必定。
耳長の両手が空いていたなら、俺はすでに二度目の死を迎えていたに違いない。
両手が空いていたら、な。
「燃えろ!」
突き出す左手、噴き出す火炎。
さしもの耳長も、不意に炎を浴びれば怯む。
たとえ少しのダメージにもならなかったとしても、火炎で視界を覆い尽くせば、奴の手から首を奪うくらいの隙は出来る。
「取ったッ!」
最初から勝とうだなんて、倒そうだなんて思っちゃいない。
俺の目的は最初から最後まで徹頭徹尾、この誰とも知れない首一つ。
それを手にした今、あとはずらかるだけだ。
「あばよ、耳長!」
火炎の熱も冷めぬ間に駆け出し、耳長からの逃走を図る。
ヘルハルの鎧兜を被って鎧自体が変化してから、走る速度がうんと速くなった。
この速度が出せて、しかも今の俺は疲れ知らず。
これなら耳長から逃げ切れる、はずだった。
「マジかよ、あいつ!」
怯みから回復した耳長が、俺と変わらない速度で追い掛けてきている。
いや、あいつのほうが若干速い。
僅かずつだが確実に、耳長との距離が縮まってきている。
これじゃ追い付かれるのは時間の問題だ。
「くそッ、どうする」
抱えた首を放り出せばこの場はなんとかなる。
耳長は絶対にそちらを確保に向かう。
だが、そうするつもりは毛頭ない。
もう一度、火炎で怯ませるか? いや、あれは不意をついてこそ。二度目はたぶん効果がない。ダメージも与えられてないんだ、あいつは火炎の中でも平気で突っ込んでくる。
「万事休すか」
もう耳長が下手を打って俺を見失うか、転ぶのを祈るくらいしか。
「――こっち」
「あ?」
いま、声がした。
鎧の内側で反響している音声じゃない。
機械的ではない、少女のような声。
「――こっちに来て」
信用していいものか、従っていいものか、迷う。
が、それも一瞬だった。
どの道、このままじゃ耳長に追い付かれる。
なら、降って湧いたこの何かに賭けたほうが生存率は高い。
「そっちだな!」
現れる分岐を、どこからか聞こえてくる声に導かれるように選び、駆け抜ける。
耳長との距離は縮まる一方。声の主は現れず、ただ焦りだけが募っていく。
信じるべきじゃなかったかも知れない。
罠だったか。
そんな疑念が胸中で渦巻く中、ふと通路の先に人影を見た。反射的にハンターの可能性が脳裏を過ぎり、足を止めそうになったが、そうじゃない。
その人影は、彼女は、まだ十代半ば程度の黒いワンピースを着た少女だった。
そんな少女が、そんな格好をして、ダンジョンにいるはずがない。
彼女こそが、声の主。
人手はない、なにか。
「ありがとう」
彼女の口が動き、あの声がした。
「信じてくれて」
次の瞬間、少女の姿が変容する。
彼女は黒く塗り潰されたかと思うと蠢き、肥大化し、人から別の姿へと成り代わる。それは一頭の逞しい黒馬になった。
「乗って!」
正直、なにがなにやらだが、とにかく地面を蹴って跳び、その黒馬に飛び乗った。
黒馬の嘶きがダンジョンに響き渡り、直後には蹄が岩肌の地面を叩く。
その速度は寸前にまで迫っていた耳長を容易く引き離すほど。
疾風の如く駆けた黒馬の背の上で風を切る。なんとか耳長から逃げ果せることが出来た。
「ふぃー……なんとかなったか」
後ろを見ても、もう耳長の姿はない。
「それで? 何者なんだ?」
「私は霊馬、名前はない。でも、人は私のことをコシュタ・バワーと呼ぶ」
「霊馬……コシュタ・バワー……聞いたことがある。デュラハンの相棒」
首無し騎士デュラハンは霊馬に乗って現れる。
彼女はそういう存在らしい。
「ありがとう。助かった」
「どういたしまして」
徐々に速度が落ちて広く空けた空間で止まる。
馬上から下りると、彼女も馬から人の姿へと変わった。
「可愛らしいもんだ」
「私、かわいい?」
「あぁ、とっても」
そんじょそこらのアイドルも顔負けって感じだ。
『おい、いい加減にしろ!』
『蒼白くなったかと思ったらまた真っ黒なんだが?』
『これ今どういう状況?』
『随分と斬新な配信ですねぇ』
『説明求む』
「おっと、そうだった」
鎧を揺らして隙間からスマホを落とし、それをキャッチ。
首は見せないように注意しつつ、自分を画面に映す。
「悪いけど、もうちょっとだけ我慢してくれ。やることがある。それが終わったら全部、話すから」
目的は達成した。
この首を遺族に返そう。
§
ダンジョンに潜るハンターには救難信号発信器の携帯が義務づけられている。
耳長は刎ねた首には執着するが、残った体のほうには頓着がないという。
その点からして待ち伏せはないと踏み、俺たちはこっそりと息を潜めながら、小脇に抱えた彼の体の元へと引き返した。
「耳長は……」
「大丈夫。この辺にはいない」
「なんでわかる?」
「私は彼女の分身だから」
「分身?」
「デュラハンは人馬一体。私は彼女と共に産まれた」
「……そんな重要なことをさらっと言いやがって」
耳長が俺と同じデュラハンだってことにも驚きだが、その分身だって?
「色々と聞きたいことが山ほどあるが、今は一つだけ聞くぞ。なんで俺を助けた?」
「彼女を止めてほしかったから」
黒髪の少女はそう言った。
そこに嘘はないように思える。
実際、俺を助けてくれたしな。
「わかった。詳しい話はまたあとだ」
身を隠すのをやめて遺体の元へ。すっかり冷え切った肉体に触れて、死体漁りをしているようで気分は良くないが、持ち物を漁った。
目当ての者はすぐに見付かり、救難信号発信器を起動。
救難信号には二種類ある。
まだ命があって自らが助けを求める場合と、すでに命がなく他者が遺体の回収を求める場合だ。
用途に応じて信号を切り替え、業者に伝える。
今回は後者だ。
「これで来てくれるはずだ」
遺体の側に首を置いて、その場から距離を取る。
回収業者が来るまですこし間が空く。
その間にほかの魔物が寄りつかないよう、遠巻きから見守ることにした。
「で、話の続きだけど」
「うん」
「お前は……あー、名前がないんだっけ? それじゃ不便だな。じゃあクロなんてどうだ?」
「クロ?」
「そ。それが名前」
「クロ……うん、それでいい。それがいい」
気に入ったなら、これでいいか。
「止めて欲しいって言ってたよな、クロは。あの耳長を」
「うん。彼女はもう正気じゃない」
遠くを見るようにして、クロは話を続けた。
「一緒にいた時は彼女もただのデュラハンだった。でも、彼女は顔を失った」
「俺と同じか。過程はどうあれ」
「顔を失ったデュラハンは正気を保っていられなくなる。自分の顔を取り戻さない限り破滅は免れない」
「な、んだと?」
つまり、俺も。
「……あれは、耳長は顔を失ってどれくらいになる?」
「一ヶ月」
「いッ――マジかよ」
耳長の噂が立つようになったのが半月くらい前なのを考えると、俺が正気を保っていられる時間は思ったよりもずっと短いことになる。
「彼女にはもう自他の境界がない。他人の顔が自分の顔に見えている。男女の違いすらも認識できていないと思う。いま彼女の首が見付かっても、もう元には戻れない」
「そうやって人の首を刎ねて、やっぱり違うとまた人を襲う、か」
「もう見ていられない。彼女を終わりにしてあげたい」
自分の分身、半身が正気を失い、すでに手遅れの状態になっている。
そうなったらたぶん、俺もクロと同じ判断を下すだろう。
これ以上、苦しまないように。
「ん? 待てよ。なら、なんで耳長は刎ねた首をコレクションなんて」
「そんなことはしてない。新しい首を手に入れたら古いほうは破棄してる」
「なにッ!? ってことはあいつの犠牲者が新しく出たら――」
「あなたの首は捨てられる」
「おいおいおい……」
正気のリミットなんかよりも、そっちのほうがずっと速いぞ。
いま、この瞬間にも。
「でも、今はまだ大丈夫。彼女はあの首に執着してる」
「……あれが無事に遺族の元に返れば、しばらくはない首を追って次の狩りはしないってことか」
「それもずっとじゃないけど、そう。そしてそれを奪ったのはあなた」
「俺が付け狙われるって訳ね。あーもう、最高だね」
でも、お陰でやることははっきりした。
耳長の標的が俺になっているのなら、いつかそう遠くない未来に、再び対峙することになる。その時までの決して長くない時間を使って、どれだけ魔物の頭蓋を、能力を、集められるかに俺の今後が掛かっている。
やってやるさ。心まで魔物に墜ちて堪るか。
「――来たな」
クロと話しているうちに、回収業者が護衛のハンターを連れて現れた。
彼らは不可解そうに遺体を眺め、護衛のハンターが即座に周囲の警戒に当たる。
綺麗に切られた首と胴体がセットで置かれていたら、誰だって不自然に思う。
なんらかの罠を想定する。
俺とクロはダンジョンの暗がりに身を潜め、作業の完了を待つ。
すこしして遺体が遺体袋に収められ、運び出す準備が整った。
護衛のハンターは未だに怪訝そうな表情をしているが、回収業者と一緒にその場を後にする。
よかった。これであの人はちゃんと遺族の元に返れた。
「俺たちも行こう」
「うん」
黒馬になったクロに乗ってダンジョンの通路を駆ける。
長らく待たせているリスナーにも、きちんと説明しないと。
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