心中
朝吹
心中(しんじゅう)
レストさまの「読め」を受けて。
https://kakuyomu.jp/works/16818093087950414508
※内容はまったく被りません。
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心中するために書いている。
ごく一部の上澄みの人たちのみが寵愛されて、他はただの頭数。
楽々と星の数を積み上げる人たちに比べて、下層階は何百万字書こうが誰からも読まれはしない。
『読者に寄り添った作品』
星を稼ぎたければ、これを合言葉にすることだ。
読者の為に工夫を凝らす優等生。
そうすれば面白いように星が増えていくから。
お金も入る。承認欲求も満たされる。
「皆さんに喜んでもらえるものを書いています」
彼らは毎日が楽しくてたまらないことだろう。小説を書いていて本当に良かったと、心からおのれの才能に感謝していることだろう。
それなのにその裏では過半数以上の人が、膨大な時間を費やして何作も何作も書きながら、ろくにPVもないまま日蔭にうち沈んでいる。
本当に「ごくろうさん」なことだ。
ばかじゃないの?
頭おかしくない?
『読者に寄り添わないから駄目なんだ』
この言葉が呪いのようにわたしたちを追い詰める。
読者が読みたいものを書くのが作家でしょ?
読者のリクエストに応えて書くのがあなたたちの役目でしょ?
さあ、さっさと読者を満足させなさいよ。
主体は書き手なんかじゃなくて、読み手ですよ。
好きに書けると思うな。
お前が努力して書き、手柄は、指導してやったこっちに寄こせ。
読者に寄り添わないなんて傲慢だ。
もっともっと読者を優先させなさい。
本気でそう信じている人たちよ。
わたしはあえて、それに沿わないスタンスをとっている。
非難轟々だろう。
でも、わたしは不良なので、誰からも大歓迎されるような、読者に寄り添う優等生の物書きなどには、なれはしないのだ。
ウケのいい人気者の優等生ではないから小説を書いているのだし、右に倣えが出来ないから、小説を書いているのだ。
惨めにもがきながら、何とかして良いものを。
少しでもいい作品を。
頭の中に渦巻く物語を一つでも多く、かたちにして外に出してあげたい。
最初に物語を書き始めた時から、ずっとそうだ。
書く意味とはそれなのだ。『読者に寄り添う』という、漠然とした、相手の顔の見えない平均値の満足度に向けて彼らの小腹を満たすのが作家だというのなら、わたしはそうではない。未来永劫『作家』ではない。
独りよがり。
そうだろうね。
でも優れた作品の中には、理解者皆無でボロカスに非難されたまま、独りよがりに書かれたものがある。
であればわたしたちだってそれに耐えてみせよう。
それは怖ろしく寒々しい。いつも画面の向こうに自死がちらつくほど酷いものだ。気が狂いそうになるし文字を打つ指先も冷たくなってゆく。
或る日ふと、
「ここまで荒廃した気持ちで書くのも、これはこれで間違えているな」
と気がついて方向転換したものの、根本的には底の見えない井戸の中をずっと滑り落ちているような気持ちでいる。
『読まれたければ、お前の方から他人の作品をまず読め。星を交換しあえ。愛想よく名を売り込んで営業しろ』
誰でも自社商品を買ってもらいたければ一軒一軒、頭を下げて営業して回る。そこに書き手の真剣さをみる。その熱意をかう。願望と素直に向き合っていて偉い。そんな説もある。
一理あるのだが、最初の方をちらっとだけ読んで互いに星をつける、この星のやりとり、これは『読者』といえるのだろうか。
調べようもないが、登録者の中にはカクヨムという箱の中で、絶望して、遺書もなく、実際に自殺した人もいるのかもしれない。
そこまで突き詰めて考えていると、これもおかしなもので、反動で笑い出してしまう。
日本ってなんていい国なんだろう。
今日も好きなものを好きなように書ける自由がある。言論統制されることなく、発表できる場所がある。
ここには自由がある。
叫ぶ自由がある。
誰にも愛でられないわたしの作品は可哀そうだ。
可哀そうだが、可愛いのだ。
人気者のアイドルに比べて、教室の隅っこでひっそりと息をしているその出来の悪さが可愛いのだ。
誰からも好かれない。
誰からも声をかけられない。
マニュアルどおりに書いてない、読者の指示に従わないなら書く資格がないと非難されて、ゴミ以下の評価しかもらえない。
そんな小さな小さな命を、書き手であるわたしだけが愛してあげなければ誰が愛してあげるのだ。
廊下に立たされているあなたは優等生ではないけれど、人気者でもないけれど、耳を近づければ小さな声で、ちゃんと何かを訴えている。
その小さな声を拾い上げることが出来ぬのであれば、そんな人間の書く文章など、ただのかっこつけた文字の並びでしかない。
ろくに読者もいないのに小説を書く。
これは心中のようなものだ。
自分の作品との心中。
でも誰かが一緒に死んでやらなければ、あまりにも誰からも読まれず、誰からも好かれない、わたしの作品が可哀そうではないか。生みの親であるわたしたちだけは、劣等生である彼らの傍にいてやりたいではないか。
子どもたちに大人気のやなせたかし『アンパンマン』だって、当初、顔を食べるなんて残酷だと大人たちからひどく難色を示された。
流行のマニュアルに従って書いていたら、今ごろ偉そうに他人に対して「人の云うことをきけ!」と高らかに嗤って顔面を蹴ることが出来たかもしれない。でもわたしはそんなことをやりたくない。これで人気作が簡単に書けると謳うマニュアルから逸れた、哀れな作品の側に立っていたい。
毎度のように華々しい絶賛を受けるカリスマ・トップ層の人たちの裏道で、今日も、わたしはわたしの作品の手を取り、「あっちにきっといいことがあるよ」と世界の片隅をふらふらしている。
ふらふらとこの荒涼とした世界を彷徨っている。
ゾンビのようだなと苦笑する。
泥水をすすり、通行人の脚にしがみついて「お恵みを!」とねだる者を決してばかになど出来ない。可哀そうで可愛い我が子を押し上げる為にはなりふり構わず、あのくらいやるのが生みの親の愛情なのかもしれない。しかしそうしてかき集めた偽りの星は、本物の金の星の前には瞬殺で、塵のようにかすんでしまう。
「あそこに、ごはんがあるよ」
井戸の底の水に映る星を指して、わたしは今日も、飢えた子どもをなだめすかしている。遠くにあるからこそきれいに見えるのかもしれないねと。
了
心中 朝吹 @asabuki
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