ザトウクジラと自然の音楽 ≪戊≫

藤泉都理

ザトウクジラと自然の音楽




 ザトウクジラ。

 鯨偶蹄目ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科ナガスクジラ属ザトウクジラ。

 成体は十三から十五メートルの身長、三十から四十トンの体重。

 顎と頭部に多数のこぶ状突起があり、フジツボが付着している事もある。

 尾びれは大きく、辺縁部はギザギザしている。

 体色は濃灰色ないし黒で、喉の部分は白い。

 多くの海域で沿岸性。

 長距離を回遊する。

 二から十頭の群をつくる。

 

「和名の座頭は、背中全体の丸みが座頭法師が琵琶を背負った姿に似ている事から付けられた、か」


 魔法の箒に乗った魔女は氷の海を物ともせず悠々と泳ぐ、ザトウクジラの群を天空から見下ろしていた。


「全然音が違う」


 真っ白い息を吐き出しながら、魔女は言った。

 ブリーチ。ブロウ。スパイホップ。ペッグスラップ。テールスラップ。

 あらゆる氷の層を激しいアクションを以て突き破る音は、まるで自然の音楽だった。

 けれど、すべてのザトウクジラがあの自然の音楽を奏でられるかと問われれば、否、だ。

 一匹だけ。

 或る一匹のザトウクジラだけが、魔女のお眼鏡に合う自然の音楽を奏でられているのだ。


(私も奏でたかったけれど、)


 何かコツがあるのではないか。

 魔女は一年間あのザトウクジラに付き纏って、自然の音楽の奏で方を盗み取ろうとしたが無駄だった。

 頭を空っぽにして、楽しんで、あらゆる氷の層を突き破らなければ、あの自然の音楽は奏でられない。

 そう悟った時、魔女は氷の海から自分のテリトリーである天空へと戻った。


(私は無理)


 体勢はどうとか、速度はどうとか、角度はどうとか、周囲のザトウクジラの配置はどうとか、何たらかんたら考えてしまって、どうしても頭を空っぽにする事ができなかったのだ。


「でもまあ。あの自然の音楽が聴けるだけでも、御の字よね」


 満面の笑みを浮かべたのち、魔女は目を瞑って自然の音楽を聴き入った。





















(漸く俺様の技術を盗む事を諦めたか、小娘め)


 魔女お気に入りのザトウクジラは、氷の海中から天空を浮遊する魔女を目を細めて見上げた。

 魔女は己が頭を空っぽにして、楽しんで、あらゆる氷の層を突き破っているからこそ、あの自然の音楽を奏でられていると考えたようだが、違う。

 己もあの魔女と同じだ。

 理詰め野郎である。

 あれやこれやと考えて漸くここまでこぎつけたのだ。これからも脳漿を絞りながら、完璧な自然の音楽を奏でようと模索し続けるのだ。


(ッケ。だあれが、俺様の崇高なる自然の音楽を奏でる為の技術を盗ませるかってんだ。そこで黙って聴いているのがお似合いだぜ)


 呼吸の為に浮上しては息を吐き出し、五メートルの白い霧状を吹き上げたのであった。


(まあでも。時々。なら。デュエットしてやっても。いいが)











(2024.11.10)



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ザトウクジラと自然の音楽 ≪戊≫ 藤泉都理 @fujitori

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