第5話 「煩惱が菩提となるのためしには、澁柿を見よ甘干となる」

  ここに至って万事休す。

  しかし、「殴られ強さ」が身上のこの私、礼をして頭を上げた瞬間「何をくよくよ川端柳、水の流れを見て暮らす」と、すぐに気持ちを切り替え、審査員お二人の席の後ろをゆっくりと迂回して出口へ向かおうとしました。

  するとその時、静まりかえった道場(審査会場)故、すぐ近くにいた私の耳に、こんな(小声の)会話が聞こえてきたのです。

  「Mさん、このあいだ、蒲田にいいクラブ(綺麗なお姐さんが沢山いるバー)を見つけたんです。これからどうですか。」

  「いや、今日はちょっと持ち合わせが・・・。」

  「大丈夫、先週(競)馬で当てて(軍資金は)たっぷりあるんです。タクシー飛ばして行きましょう・・・。」

  

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  翌週の火曜日、いつもは11時45分に幹部が入室するのと入れ替わりに1・2年生が防具やタオルを持って部室を出て(道場へ)いくのですが、この日に限っては、11時半頃から幹部も部室に来て、全員で主務の槇が来るのを待っています。 

 40年前は、日曜日に行われた昇段級の結果は火曜日の朝、池袋にある拳法協会の事務局の前に張り出されるので、各校のマネージャーがそれを写し取って(ノートに書き込んで)部室へ来ることになっていたのです。


  11時45分、定刻に来た槇に対し、幹部諸氏からブーイングが飛びます。「何やってんだよ、みんな結果を知りたくて待ってんだぞ !」と、小山など顔を真っ赤にして怒鳴っている。

  すると、槇君は学ランのポケットからタバコを取り出しながら「心配ないよ。全員合格だ。」なんていいながら、幹部席のひとつに座る。と、すかさず1年生がマッチを擦って火をつける。その瞬間、部室に「オーッ」という大歓声が上がる。

  キャプテンの中村が「ぜ・全員って、どういうことなんだよ? もっとちゃんと報告しろよ。」と、チラリと横目で私を見ながら問い詰める。

  深く吸ったタバコの煙をフーッと吐き出しながら、捨て鉢(やけくそ)気味に「だからだな、みんな合格 !」「ウチだけじゃない。全校・全員合格。落ちた者は誰もいないんだよ」と槇。


  すると、副将の小松が「えーッ、○○大の奴なんか、もといを3回もやってたぞ。あれも合格か?」「2級受験の○大の奴は、順番間違えてキャプテンが指示を出してたぞ! 」なんて、いっとき、部室は喧々ガクガクの態。

 (イエス・キリストは「自分たちの目の中にある丸太を取り除いてから、人の目の中のゴミをあげつらえ」と言いましたが、彼らは私という大御所のことをすっかり忘れているかのようです。)

  学ランを脱いで道着に着替えながら、「明治や立教の奴ら(マネージャー)もみんな、こんなのは前代未聞だって言ってたよ。なにしろ56名の受験者全員合格だからな」。


  何にせよ、1・2年生はみな嬉しそうな顔をして、防具やタオルの入ったバッグを抱え急いで道場へ向かう。

  残った幹部たち一同は「先輩、おめでとうございます。」なんて、みんな純真な奴らですから、(防具審査が残っているにもかかわらず)私の合格を無心に喜んでくれています。(5日後の防具審査は問題なく通りました。)

  単細胞の私も「渡る世間に鬼はなし、だ!」なんて、日曜日のどん底気分などすっかり忘れすっかり上機嫌、くわえタバコで道着に着替えたのでした。


・・・


  翌年の3月、卒業式のあと、部室で行われた私たち卒業生のための歓送会に敢えて出席しなかった私は、後輩たちに対する慚愧の念が今でも残るのですが、もしあの時、部室にいたら、そしてこの時の昇段級の話が出たら、卒業という雰囲気と酒の勢いで「あの一瞬」を、話していたかもしれません。


  あれから40数年経ちましたが「果たして、私が見聞きした光景とは夢か幻だったのか」。この思い出ばかりは、今となっては私にもよくわからないのです。


2024年11月8日

V.2.1

2024年11月11日

V.2.2

平栗雅人

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秋になれば思い出す 昇段級審査 V.2.2 @MasatoHiraguri

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