3-3 絶望への階段

 私は流れるM市の町並みを見ながら、ぼんやりと昔のことを思い出していました。

 タクシーが目的地に到着すると共に、私の思考は遮断されます。

 私はM市に来ていました。

 受賞パーティに潜入するためです。太郎を貶めたあの一次選考委員は受賞パーティに出席する予定だ、と書いてありました。今回も、選考委員をしていたとしたら、今年もここへ現れる可能性は高いはずです。

 太郎と約束したとおり、私はその選考委員の身元を押えて、太郎の元へ連れて行かねばなりません。

 タクシーを降りた私の目の前に現れたのは煉瓦造りの大きな建物。M市の中央図書館でした。

 それは二階建ての、とても立派な建物でした。一階フロアは壁面がガラス張りになっていて、それは図書館というよりもモダンな美術館のように見えました。

 Mミスのホームページを見ると、二十名ほど一般参加者を募っていました。ですが、私はこの方法を使っては参加できません。参加者の名簿に名前が載り、私がここにいたことが後々、わかると困るからです。記録に残らぬよう、潜入するのが理想でした。

 一階が図書館になっていて、受賞パーティは二階で行われるようでした。入口に受賞パーティの案内看板が立っています。

 階段で二階に上がります。早めについて会場の状況を把握する必要がありました。人の姿はぽつりぽつりとしか見えません。まだ受付開始時刻の一時間前でした。

 二階にはいくつも部屋があり、美術品の展示スペースなどがあります。

 受賞パーティの会場は一番奥の部屋でした。二階に上がってすぐのところにあった見取図を見ると、会場とされる部屋は二階の中では一番大きく、小ホールといった感じの会場でした。

 会場のドアは閉じられていました。ドアの前には受付となるであろう長テーブルだけが、一つ寂しげに置かれています。会場に通じるドアはこの一つだけのようです。これでは人に紛れて、会場に入り込むのは難しそうです。

 ですが、それは最初からわかっていたことです。私には、人知れずパーティに潜入するための方法があるのです。これも賭けになるのですが、協力出版社の名前を見て思いつきました。

 私は一度、会場から離れることにしました。ここで一人、待っている姿を誰かに見られるわけにいきません。私は一階の図書館へ移動しました。

 一階は多くの人で賑わっていました。大きくて新しく、設備も充実しているので、市民の憩いの場になっているのでしょう。勉強目的の学生の姿や、子供連れの家族も多く見られます。

 入口近くの展示スペースにはMミス受賞作の特設コーナーがありました。賑やかなPOPと共に、歴代の受賞作が並べられていました。

 残念ながら太郎には一生縁がないのかもしれません。

 私は奥にあるソファに座り、本を読んでいる振りをしながら入口を観察することにしました。

 これだけ人がいれば、私のことを怪しむ人はいないはずです。

 受付開始三十分前くらいになると、階段を使って、二階へ上がっていく人々がちらほら現れはじめました。

 私には、件の選考委員の他に、探している人がいたのです。

 その人物もこの会場に現れる可能性は、かなり高いと踏んでいました。

 ソファから立ち上がり、私は入口へ向かって移動しました。

 スーツの一団が入って来たのに気づき、私は身を隠しました。

 その中に目的の人間はいました。以前と変わりなく、一目でわかりました。

 数人の集団で、目的の男は一団から少し遅れて歩いています。

 階段を上る彼らを追いかけました。

 上り切った辺りで、私は素早く目的の男に近づき、声を掛けました。男は振り返り、一瞬、怪訝そうな顔をしましたが、すぐに驚きの表情に変わりました。

 どうやら気づいてくれたようでした。

 私は唇に一本、指を当て、通路の隅に男を誘導しました。

 男は、私がなぜ、ここに、という表情をしていました。

 私は、それには構わず、再会の挨拶を手早く済ませ、率直に、受賞パーティに参加したい旨を告げました。できれば誰にも気づかれずに、という話もしました。

 しばらく何か考えている様子でしたが、私の事情を知っている彼は神妙に頷きました。

 すぐに受付にいる、Mミスのスタッフと思われる男性に、私のことを紹介してくれました。

 スタッフの男性は私をちらりと見ました。彼も驚いている様子でした。私はすかさず近づき、その初対面のスタッフに挨拶し、握手をしました。

 私はそのスタッフと暫く話した後、会場に入ることを許されました。

 話をした二人には私が来ていることを、他言しないようお願いしました。スタッフの男性は席を用意すると言ってくれましたが、私は丁重にお断りしました。

 会場内は丸テーブルが複数置かれており、テーブル毎に参加者のグループ分けがされているようでした。

 演台のある方を正面とすると、一番前のテーブルは、大賞受賞者並びに過去の受賞者、ゲストの作家の席だと思われました。その後ろのテーブルは、Mミスは市が運営していますから、政治家や市の関係者が座っているのかもしれません。他に区分けするとしたら、出版関係者、それとホームページを見たところ、最終候補まで残った投稿者も招待されているようでした。そう考えると、一般参加者および一次選考委員の席は半分より後ろの方だと、思われます。テーブルの中央には、アルファベットのカードが置かれていました。おそらく前のテーブルを【A】として、順番にアルファベットが割り当てられているのでしょう。最後尾の窓側のテーブルを見ると【J】窓側が【I】になっていました。テーブルの数を数えると案の定、全部で十脚ありました。応募数から計算すると今回の選考委員の数は十五人前後というところでしょうか。

 招待されたとしても、選考委員全員が参加するとは思えません。半分以上参加すればテーブルを二つ使うことになるでしょう。大きな丸テーブルなのですが、一つのテーブルにはせいぜい七、八人しか座れそうもないからです。

 開始時間が近づき、徐々に人が埋まってゆきます。五分前になると、ほぼすべての席が埋まりました。

 私は、おそらく、一番後ろの【I】もしくは、【J】のテーブルのどちらか、もしくはその両方が、一次選考委員のテーブルと、目星をつけました。

 私は【I】のテーブルの近く、通路側の壁際に立っていました。立っているのは、Mミスのスタッフなのか、図書館の人間なのか、判断つきませんが、私の他にも数名いるので、目立ってはいないはずです。

【I】のテーブルには八人の男女が座っていました。男性三人に対して女性は五人いました。

 テーブルで交わされる会話の内容から例の一次選考委員を特定しようと考えていました。

 しかし、パーティの開始直前の緊張感が漂い、しかもお互い見知った者同士ではないので、隣同士が気軽に会話をする、という様子ではなさそうでした。

 私は、ブログの名称、『てるりんの読書日記』という名前から考えて、おそらく選考委員は男性だと考えていました。

 もしもこのテーブルが一次選考委員のテーブルであれば、この三人のうちの誰かが、私のターゲットになるはずです。

 気がつくと授賞パーティは始まろうとしていました。演台にはスーツを着た女性が立っています。マイクを持ち、良く通る声で話し出します。滑舌も良く、人前で話慣れている様子でした。地元の放送局のアナウンサーのようです。

 大きな拍手があり、一番前のテーブルから男性が一人立ち上がり、演台にのぼりました。

 大郷院貞麿でした。大郷院貞麿は背が高く長髪で、顔の彫が外国人のように深く、正に作家らしい風貌をしていました。

 もう六十を過ぎているとのことです。しかし、世俗とはかけ離れた生活をしているせいか、若々しく、圧倒的なオーラを発しているように感じました。彼は、低音の良く響きわたる声で話しはじめました。

 私は複雑な思いで、彼の姿を見ていました。

 思い出されるのは兄のことでした。

 兄が小説家になろう、と確固たる決意を示したのは、大郷院貞麿の作品を読んだからなのです。

 江戸川乱歩を読んでも横溝正史を読んでも、エラリークイーンを読んでも、兄はそれまで純粋に読むことだけを楽しんでいました。

 ただ大郷院貞麿の作品を読みえ終えたときの兄は違っていました。

 直後、兄は『僕にも書けるかな……』と呟いたのです。

 大郷院貞麿の作品こそが、実力はどうあれ、兄の眠っていた創作意欲を掘り起こしてしまったのです。

 そうなれば、もしもこのゴッドオブミステリーと言われる作家が存在していなければ、兄は小説家になりたいなどと言いださなかったのかもしれません。そして、私は、今もまだ、兄と一緒に暮らしていたでしょう──。

 何も無ければ、私は、兄の願いを叶え続けて死ぬまで一緒にいたいと、心の底から思っていたのですから──。

 だけど、それが幸せなのか──と問われると、私にはわかりません。

 気がつくと大郷院貞麿のスピーチは終わっていました。

 続いて特別ゲストである作家のスピーチ、M市市長の挨拶、受賞者の紹介および挨拶と、式は続いてゆきます。

 今回の受賞者は三十台半ばの青年でした。本職は内科医で、本格テイストの医療ミステリーという受賞作の触れ込みでした。

 受賞者のスピーチを聞いていると、言葉の端々から自信が窺えました。

 新人賞を受賞し、作家としてこれから歩んでいくその道には、必ず輝かしい未来が待っている。そう確信して止まない表情でした。

 私は初めてこういう場に来ました。小説を書き、本を出すということが、これほど、人から期待され、祝福され、羨望の眼差しで見られることをはじめて知りました。

 受賞者の言葉の後、司会の女性アナウンサーが三十分ほどの歓談タイムを取ると言いました。

 私はここで我に返りました。私は、この三十分のうちに、結果を出さなければならないのです。終夜を選考した選考委員を見つけ出さなければなりません。

 皆、テーブルを立ち、思い思いに動いています。

 前の方では人だかりができていました。皆、本を持ち、並んでいます。作家のサインが目当てなのでしょう。

 今なら、目当てのテーブルにもっと近づいても不自然ではないでしょう。

 私が目星をつけていた【I】のテーブルの人たちもほとんどが、サインを貰いに前のテーブルの方へ行ってしまいました。

 【I】のテーブルに残っているのは一人だけでした。短髪の男性でした。年は三十台半ば位でしょうか──。

 周りには誰もいません。私は背後から警戒されないよう気をつけて、声を掛けました。


「サイン、貰いに行かれないんですか……」


 私はできるだけ、ソフトに言ったのですが、男は少し驚いたようでした。


「え、ええ……ひどだかりは苦手でして……それに去年、お目当ての作家さんのは頂いていたので……」


「去年も、ではもしかして一次選考委員の方ですか……?」


 いきなり当たりを引いたかもしれない、という胸の内を悟られるよう、私は努めて、冷静に聞きました。


「はい……二回目なんですよ。去年は受賞作を読めたのですが……。知ってます? 昨年の優秀賞を獲った『義兄弟』。あれを読むことができたんです。でも、今年は残念でした……。私が選んだ作品は最終選考には残らなかったみたいで……」


 私は顔に出さぬよう、この僥倖を喜びました。

 太郎を審査したの間違いなくこの男です。

 あのブログには『てるりん』という、男性だということを想起させる情報の他に、もう一つ、この男を特定するヒントが隠されていました。

 それは第三回の優秀作である『義兄弟』を読んでいる、ということでした。


「それは素晴らしいですね。自分の選んだ作品が受賞して、出版されて世に出るだなんて……ミステリー文壇に大きく貢献したみたいで……」


 私の言葉に男の表情は、ぱっ、と明るくなりました。


「そうなんですよ。実際は、ただ読んで、単純に面白かったのを選んでいるだけなんですけどね……もし、私が違う作品を選んでいたら……なんて思うと責任重大ですが、この選考委員の仕事にすごくやりがいを感じるんですよ……あなたも選考委員ですか?」


「いえ、ちがうんです。今回は一般参加でたまたま当選したんです。でも選考委員のお仕事にも興味があってやってみたいな、と思っていて……でも大変じゃないですか? 正直、審査するすべての作品が面白い、というわけじゃないんでしょう?」


 男は苦笑いをして、あたりの状況を窺っているようでした。

 まだ前のほうに人は溜まっています。こちらへ戻ってくる様子はありません。


「こちらの席、少しの間、座っても大丈夫かしら……」


 私は前を見やりながら不安そうに言いました。


「大丈夫だと思いますよ。まだ皆、作家の方々に夢中なようですから」


 男がそう言ってくれたので、私は礼を言って、男の隣の席に座りました。

 不自然にならぬ程度に、男の方に体を寄せます。


「一回の選考に何作品くらい読まれるんですか?」


「今回は五作品ですね……前回も五作品でした。でも選考委員によっては四作品というのもあるみたいです」


「長編を五作品もですか……。皆、一生懸命書いたものでしょうから、読む方も責任重大ですし、大変ですねえ……ちなみに前回と、今回で『義兄弟』以外に面白い作品はありましたか?」


 男は私の問いに困った顔をして見せた。


「うーん……残念ながら……私が審査した中では『義兄弟』以外は突出した作品はなかったですね……」


「では反対にとんでもなく酷い作品てありました……?」


「うーん……まあ……」


 男は言葉を窮していました。

「どんな作品なんですか……?」


 この男が太郎の作品を選考したのは明白です。しかし、あえて私は質問を重ねました。


「素晴らしい作品を褒めるのは良いのですが、このような場所で、批判めいたことはあまり言いたくないですね……皆さん、一生懸命書いているわけですから……」


 私には、この言葉が本音のように聞こえました。短期間で、ブログから例の記事が消えたことを考えると、自らの浅はかな行動だった、と本当に反省しているのかもしれません。


「そうですよね……私ったら……変なこと聞いてしまって……ごめんなさい……」


 私はできるだけしおらしくみえるよう言いました。


「いえいえ……ここでは困りますが、ご連絡を頂ければ場所を移して、色々お教えしますよ」


 そういうと男は慣れた手つきで、名刺を差し出しました。


「ごめんなさい……そういうつもりでは……でも、ありがとうございます」


 私は気持ちを悟られぬよう、はやる気持ちを押えて、あえてゆっくりとした動作で名刺を受け取りました。

 男なんてこんなものです。あっさりと私は、選考委員を特定し、身元まで押えることができたのです。

 すると前方の人だかりも徐々に少なくなり、後方のテーブルに、皆、戻りはじめました。


「そろそろ時間ですね……話を聞いていただいてありがとうございました。すごく参考になりました」


 私は立ち上がり礼を言いました。


「いえいえ、こちらこそ、連絡お待ちしてます」


 男はどこか名残惜しそうに言いました。

 私は笑顔のまま、男に背を向け、そのままパーティ会場を出ました。

 廊下では誰にもすれ違うことなく、階段を下り、外に出ることができました。

 図書館の前の通りを少し歩き、タクシーを拾いました。

 タクシーの後部座席に体をもたせ掛けて、ようやく緊張が解け、一息つけました。

 首尾は上々と言って良いでしょう。

 私は受け取った名刺を確認しました。どうやら男が勤めている会社の名刺のようです。


『補聴器販売 株式会社イヤーサプライ 係長 青山輝道【アオヤマテルミチ】』


 名刺を見る限り、男は補聴器販売を仕事にしているようでした。名刺には会社の住所と電話番号、そして青山の携帯電話の番号も記されていました。青山は札幌市内の会社に勤めていました。ということは住まいも札幌市内、もしくはその近郊だと思われます。

 私は駅へ着くまでの間、どのような方法で、あの男を、太郎の元へ、連れてこようかと考えていました。

 ブログで浅はかな行動を取ったとはいえ、今日の様子だと、自分なりにポリシーを持って選考に臨んでいるようです。

 事情を話し、正攻法で挑んでも、太郎の前で青山に謝罪させるのは、かなり難しいように思えました。ああいう人間はよほどのことがないかぎり自分を曲げないのです。面白くないものを面白かった、と言わせ、心にもない、謝罪をさせるなど不可能にしか思えませんでした。とりあえず、身元を掴んだのです。身辺を調査すれば弱みの一つや、二つは見えてくるでしょう。

 さしあたり、ということであれば、やはりブログのネタでしょうか──。

 投稿作の選評を無断でブログにアップしたこと──。ですが、正直、これはそれほど強力な弱みだと思えませんでした。

 選考委員はあくまでもヴォランティアです。メインの仕事があり、この業界の人間、というわけではないのです。この事実を私がMミスに報告したとしても、青山はMミスから注意を受けて、選考委員を降ろされるかもしれませんが、ただ、それだけです。失うものがあるわけではないのです。

 やはり、相手が男だということを利用するしかないのでしょうか。

 初対面の女性に名刺を渡して、理由はどうあれ、二人で会おう、と誘い出してくるような男です。恋仲に陥れてしまえば、どうにでもなります。

 とにかく私は太郎に小説を書くことを諦めさせてはならないのです。そのためならば、私はどんなことも苦になりません。

 とりあえず今日は、家に帰り、この結果を終夜に伝えることにしました。

 少しはこれで納得してくれるはずです。

 M駅に着き、タクシーを降りました。

 すでに夕方の五時を回ろうとしていました。

 茜空でした。オレンジ色の太陽が遠くに見えるイキタン浜に沈もうとしています。

 私は、その光景を美しいと感じました。

 そのとき、ほんの少しだけ、気持ちが晴れやかになっているのに気づきました。

 

 

 







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小説家志望 ほのぼの太郎 @honobonotaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ