2.東京の空-memory of blue sky blue -
わたしが東京へ初めて行ったのは、高校の修学旅行の時だった。
その時に飛行機にも初めて乗ったのだけれど、東京上空で不運にも雷雨が轟き、この世の終わりかのようにひどく揺れたことを覚えている。「東京って怖い街だ」という言葉を違う意味で痛感し、わたしはこの街に歓迎されていないのだと思っていた。
今でこそ、仕事の関係で東京へ行くことはかなり多くなったけれど、当時、わたしにとって飛行機で北海道から出るなんてことは、文字通り雲の上の出来事であった。大地の上で足を踏ん張ることすらできない初めての空。そんな中で、あの揺れだ。最早、恐怖を通り過ぎて、おそらく死んだ魚のような目をしながら、放心状態にあったと思う。
羽田空港に降り立っても、「うわあ、大都会の東京だー」という憧れの念など沸いてくることもなく、「おええ、やっと地面に降り立った」という不安と緊張が混ざった吐き気しか沸いてこない。なにしろ、観光しようにも大雨だ。東京タワーもスカイツリーも、分厚い灰色の雲に閉ざされているし、見上げたところで生ぬるい雨粒が口へ流れ込みそうになってくるので、重力に逆らって空を見上げる気力もなかった。
そんな史上最悪の初めての東京観光は、正直、よく覚えていないし、いい思い出がない。高校生らしく、友達とお揃いの東京っぽいキーホルダーなんかを買った記憶もあるけれど、果たしてどこへ行ったやら……。
――そして時は流れ、2024年10月。
コロナ禍で身を潜めていた出張も徐々に解禁され、数か月に1度は東京へ行くことが多くなってきた。飛行機に乗ることにこなれてしまったので、東京へ行く時には何か美味しいグルメの時間を取ろうと下調べをする余裕も持つようになっていた。
今回は、巷で話題の次郎系ラーメンを1度食べてみかった。
山手線に揺られながら、スマホで食べログの写真を眺めてみると、明らかにニンニクたっぷり。これから人と逢うのに、これはいいのだろうか。まぁコンビニでブレスケアでも買えばいいか。
と言うか、量もすごく多い。もやし増し増しにしようものなら、軽く2人前はありそうな高さのラーメン。わたしの胃は果たして、次郎という東京の
などと思いながら、ちらちらと時計と目的地までの停車駅を気にする。
……。遠い。
浜松町から新宿まで、意外に遠いぞ……。
東京って、街と街の距離が近いようで意外に遠い。どこまでも都会だから、街が隣にある気がしているのに。これは、北海道と違う感覚の遠さだ。この感覚は東京へ何度行ってもいまだに慣れない。ようやく最近、渋谷と原宿、上野と秋葉原は山手線で正反対の位置にあることを覚えたくらいだ。
30分ほど電車に揺られて、ようやくたどり着いた西武新宿の次郎系ラーメン屋。
――あれ? めっちゃ混んでる?
しかも、並んでいる人の大半は、大きな荷物を持った外国人観光客だった。
うう。もどかしい。
外国人専用レーンと日本人専用レーンを分けてあったら、今すぐにでもラーメンにありつけるのに。
既にあまり時間が無かったわたしは、焦がしにんにくの匂いに鼻をひっぱられながらも背中を向け、泣く泣く次郎系ラーメンを諦め、近くの空いているラーメン屋で麺をすすることにした。
「次回の東京こそは! 次回こそはあのもやし増し増しを食べてやるぞ……! あれ? でも、ここのラーメンも結構美味しいな。美味しいぞ。濃厚なミソのスープが麺にちょうどいい感じで絡み合って、おまけにチャーシューがとても柔らかくて、ジューシーだ。舌の上でとろける。好き」
心の中で次郎系ラーメンへの誓いを立てつつも、空っぽになっていた胃とラーメンを求めていた舌は、味にとても正直だった。
ところで、わたしが好きな東京の過ごし方は、時間を気にせずに、秋葉原のブックオフへ行ったり、神保町へ古本屋巡りをすることだ。
神保町には、岩波文庫が並ぶカフェ(神保町ブックセンター)もあり、そこでアイスコーヒーを片手に読書をすると、とても心が落ち着く。
要するに、古本とコーヒーが見事のマッチした神保町は、わたしの東京における聖域だ。
「は? 東京で古本巡り? わざわざお店に足を運んで? 目当ての本を自力で探して、疲れる意味あんの? 本なんて、今の時代、アマゾンで検索すれば、簡単に手に入るじゃん」
周りの人々は口々にそう言う。確かに、絶版となりつつある古本でも、ネットで検索すれば楽に手に入る。(値段を気にしなければ)
でも、そうじゃない。
真の読書家は、そうじゃない。
店の扉をくぐった瞬間に溢れ出す古い紙の匂い。
雑多に置かれ今にも崩れそうな本の山脈。
日焼けして変色した紙のざらざらとした手触り。
他の客が古い紙を一定のリズムでめくる音。
そのすべてを、一息に、身体へ取り込む瞬間。
本に刻まれた文字の1つ1つが、本に積もった塵の1粒1粒となり、窓から差し込む太陽の光を纏って、ふわふわとした色を輝くような気がする。
おお。
神保町は、わたしを大いに歓迎してくれている……!
そう。
わたしは、五感のすべてで、本が生きている温もりを感じたいんだよ……!
何気なく視界に留まった背表紙の本。何気なく手に取った日焼けの本。タイトルと目次だけで心を躍らせる本。この本は、わたしに見つけられるのを待っていたはず。
晴れの日も雨の日も風の日も雪の日も。誰かの手に触れられながらも、ただじっとわたしを待っていたはず。
たぶん、違う人が手に取った時は、興味のないページがたまたま開き、棚に戻されていたのだ。本は気分屋だと思う。
もしくは、わたしが欲しかった本は、わたしが車で誰も届かないような棚の奥へしまいっぱなしになっていたのだ。店主も気分屋だと思う。
昨今、「若者の本離れ」が進んでいると叫ばれている。
地方の街からは本屋さんが姿を消し、2023年には<1か月に1冊も本を読まないと答えた人の割合(不読率)が6割を上回り、調査開始以来初めて半数を超えた>らしい。
※<>は引用、By『読書離れ』北海道新聞(2024年11月3日)
けれど、小学生から高校生までの読書率って、実は年々上がっている。
むしろ、本を読んでいないのは、わたしたち社会人――大人なんだよ。
理由は、時間がないから?
他にたくさんの娯楽があるから?
スマホと指1つで、簡単にたくさんの情報が手に入るこの時代。
確かに、本なんて要らない気もしてくる。
歴史を単語のように、素早く簡単に覚えてしまえる。
けれど、そんな簡単に覚えてしまえる歴史に、果たして重みはあるのだろうか? そんな軽い記憶なんて、わたしは簡単に忘れてしまう。
本は時が積み重ねた歴史を、決して忘れることがない。
何百ページにも及ぶ紙の中には、わたしのまだ知らない情報が熟れた果実のように詰まっている。
だからこそ、わたしは目の前にある本をきちんと手に取って、脳の奥へ噛み締めるように、じっくりと記憶の隅々に留めておきたいと思う。
だって。本が大好きなのだから。
買ったばかりの古本を鞄にしまい、そんなことをぼんやりと思いながら、高いビルに囲まれた青空を仰ぐ。
空は、ビルよりも遥かに高くて、遠い。
いくら手を伸ばしても、この指に掴めるのは、ビルの先から零れてくる太陽の残り火と青い空気だけ。
東京の空は狭いとか言うけれど、そんなことはない。
どんな街にいようとも、空は平等だ。
大きく息を吸う。そして、ゆっくりと吐く。
東京のビルの下へ舞い落ちた温もりを背中に浴びながら、青空が絞り出した青い空気を噛みしめて、帰りの飛行機の時間に間に合うように、わたしはゆっくりと歩き出す。
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