3.音楽とわたしと、創作


 音楽を聴いて、生きることにすくわれたことが何度かある。



 わたしが思う生きることとは、人が作り出した社会の線の上を浮上している状態である。


 暗い部屋の片隅でただ単純に息をしているだけでは、誰かとのつながりを手繰たぐり寄せることができない。


 ましてや今の時代、都会の中で生きている限り、人は独りでは生きていくことなんて到底できやしない。どこかで手にしたものは、誰かが作り出した人工的なものである可能性が高い。


 けれど、人工的なものをただ掴んで消費するだけでは、まるで夏の暑い日にコンクリートの壁を触るようで、身体と精神が簡単に疲労してしまう。


 いっそのこと、深い緑が生い茂り、透明な海に囲まれた無人島で暮らそうかと思うこともある。


 もし、わたしがそうすることになったら、服のポケットには音楽プレイヤーを忍ばせるのだろう。


 だってわたしは、音楽を聴くことで世界に掬われているのだから――。




「救う」と「掬う」は意味が違う。


 わたしが言う「掬う」とは、社会とつながりを持たせてくれるために、わたしのことを誰かの目に触れる境界線の上まで運んでくれることだ。


 そこでようやくわたしは、社会が作り出した一定の波に漂いつつ、自分で泳ぐことができるようになる。



 わたしにとって、そのキッカケとなるのが音楽なのだ。



 包まれた静寂に溶けていく女性ボーカルの零す呼吸。

 五色の弦が織りなすヴァイオリンの繊細な音色。

 お腹から背骨まで貫くようなドラムシンバルの重い響き。

 拾いコンサートホールで奏でられるオーケストラの調和された音。



 ――これらのすべてが、わたしを社会のふちまで掬ってくれる。




 わたしが音楽というものに、「自分で触れたい!」と初めて思ったのは、確か中学生に入ってからだったと思う。


 小学校の頃にはいろいろな流行りの音楽が街やスーパー、カフェ、学校の中に至るまで、いつも流れていたけれど、「あ、いい歌だなぁ」と思うことはあっても、積極的に聴きたいと思うことはあまりなかった。


 中学生になって、小学校との生活のギャップに戸惑いながらも、部活や勉強に精を出している中、親が買ってくれた安物の携帯オーディオプレイヤーとイヤホンを手にして、自分でCDを購入するようになってようやく、「音楽って素晴らしい!」と思うようになった。


 冬の高校受験の時には、耳にイヤホンを詰め込みながら、心地よいバンドサウンドに気分を熱くして、ひたすらに勉強をしていた。


 高校生になってからは、通勤時間に好きなアーティストを聴いて登校。


 大学生になってついに、自分でアルバイトをして最新のウォークマンを手にした時は、感動していた。


 こんなふうに、わたしと音楽はいつも隣同士で呼吸をして、気持ちを分かち合い、生きていた。




 わたしは2年ほど前、仕事で少しトラブルがあって、うつ病を発症しかけていた。お医者さんには「うつ病の一歩手前」という診断を受けた。


 今はもうほぼ治って元気になったけれど、それが軽いダメージで済んだのは、早めに誰かと相談して仕事の調整をしてもらい(わたしの直属の上司には本当に感謝の言葉しかありません)、病院で治療をしたからだと思うし、絶対的な音楽との出逢いがあったためだ。


 もう解散してしまったけれど、わたしはBiSHというグループに、その時掬われた。


 アイナ・ジ・エンドさんが解散後も意欲的に活動しているけれど、『オーケストラ』という曲のライブ映像をYouTubeで見た時は、衝動的に「このグループの音楽をもっと聴きたい」と家を飛び出し、レンタルショップにあったCDすべてを、ぺんぺん草も生えないかの如く借りたことがあった。


 当時のわたしはいろいろなことが重なるに重なって、精神的に参っていた時期だったけれど、スマホでYouTubeを開いては、ひたすらに『オーケストラ』を聴いていた。



 オーケストラ/BiSH

 https://youtu.be/uc-q5qS6D9M


 ファーストテイクバージョン

 https://www.youtube.com/watch?v=URABwFBT8Ok



 この音楽を聴いている時だけは、嫌なこともすべて忘れられた。


 この社会で生きていたいと思えた。


 これからも自分を大事にしていきたいと思えた。




「え。どうしてBiSHのこの歌なの?」

 と思うかもしれない。いや、きっと思う。


 この楽曲は、歌詞を読んでも、落ち込んでいる人を励ますようなものでもない。

 離れていってしまった大切なひとを思い出して、夜空の下で涙の流れ星を落とすような、そんな歌だ。


 でもなぜか、どん底まで落ちていたその時のわたしの気持ちと、この楽曲の波長が、足りない感情のカケラにぴったりと合ったのだろう。


 アイナ・ジ・エンドさんだけではなく、セントチヒロ・チッチさんの透明感溢れる声も、心に深々と突き刺さった。



 この時ほど、音楽の力は絶大であると思ったことはなかった。


 もう一度、この世界で自分を信じたいと、涙を流しながら、何度も、何度も思った。





 ね。

 音楽と世界とのつながりやと出逢いなんて、そういうものなのかもしれない。




 だからこそ、音楽は誰かの人生を、より光り輝かせる。


 アーティストが想像した音楽の意味を、きちんと捉えることで、より世界が走り出す。


 創作の世界って、本当に素敵だなぁって心から思う。


 わたしは音楽に限らず、創作活動をしているすべての人たちに対して、尊敬の眼差ししかない。




 こんなふうに、わたしは人生の音楽ウタと言うものを、このエッセイでなんとなく語っていきたいと思っている。


 わたしが書くこの言葉たちが、あなたの生きている時間を少しでも輝かせることができれば、この上もなく幸いだ。

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