【ファンタジー短編小説】白き錬金術師と創造者の呪い(約8,700字)

藍埜佑(あいのたすく)

【ファンタジー短編小説】白き錬金術師と創造者の呪い(約8,700字)

●第1章 追放


 厳かな沈黙が、錬金術師団本部の大広間を支配していた。


 高い天井から吊り下げられた水晶のシャンデリアが、冬の陽光を受けて冷たい輝きを放っている。その光は、中央に立つ一人の少女の白銀の髪を煌々と照らしていた。


「アイリス・ヴァイスクラフト。汝に追放の宣告を言い渡す」


 壇上から響く声は、氷のように冷たかった。長身の男性が、深い皺の刻まれた額に手を当てるようにして、銀の仮面を押さえている。


 団長、レオナルド・クラウディウス。


 アイリスは静かに顔を上げ、仮面の向こうにある青灰色の瞳を見据えた。


「実験室での暴発事故により、多大な被害をもたらした責任は重い。さらに、禁忌とされる古代魔法文明の研究に手を染めていた事実も判明した。これらの行為は、我が錬金術師団の信用を著しく失墜させるものである」


 両開きの扉から吹き込む風が、アイリスの白衣の裾を揺らした。


「申し開きは?」


 副団長のマーカス・ノクターンが問う。彼の黒檀の仮面の下からは、薄い笑みが覗いていた。


「……私の研究は、決して危険なものではありません。古代文明の遺産は、正しく理解すれば現代の錬金術の発展に寄与するはず……」


「狂気の沙汰だ!」


 マーカスが声を荒げる。


「古代文明が滅びた理由を、君は理解していないのか? 彼らの力は、我々の手に余る」


 アイリスは静かに首を振った。


「いいえ、違います。古代の文献には……」


「もう十分だ」


 レオナルドが言葉を遮った。


「アイリス・ヴァイスクラフト。汝がもたらした危険を鑑み、ここに追放を言い渡す。錬金術師の称号を剥奪し、所持品はすべて没収する」


 壇上の錬金術師たちが一斉に右手を挙げ、追放の印を結ぶ。アイリスの左手の甲に、焼け付くような痛みと共に赤い印が浮かび上がった。


 追放者の印。


「これより汝は、いかなる錬金術師団にも所属することを許されない。我々の管轄下にある都市への立ち入りも禁ずる」


 アイリスは、左手の印を静かに見つめた。


(やはり、こうなってしまうのですね……)


 彼女は、懐に隠した一冊の古い手帳の感触を確かめる。表紙には、古代文字で何かが記されていた。没収を免れた、唯一の研究資料。


「退出するがよい」


 レオナルドの声に、わずかな震えが混じっているように聞こえた。


 アイリスは一礼し、かかとを返して大広間を後にした。扉が重く閉じる音が、冬の空に響き渡る。


 誰も気付かなかっただろう。

 彼女の唇が、密かな微笑みを浮かべていたことに。


●第2章 流離える白き錬金術師


 春の雨が、古びた看板を打ちつけていた。


「癒し手アイリス」


 その文字は、半年の風雨で薄れかけている。辺境の町エンデの片隅。アイリスは小さな診療所で、細々と暮らしていた。


「はい、お薬ができましたよ」


 白衣姿のアイリスが、少年に小瓶を手渡す。


「これを一日三回、水に溶かして飲んでください。お母様の熱は下がるはずです」


 透明な液体が、小瓶の中で静かに揺れる。それは錬金術で調合された良薬だった。


 追放された身でも、基本的な錬金術を使うことは禁じられていない。ならばと、彼女は治療の道を選んだのだ。


「ありがとうございます!」


 少年が駆け出していく足音が、雨音に溶けていった。


「……まだ、来ないのですね」


 アイリスは窓の外を見やる。古代文字で書かれた手帳を机の上に広げながら。


 待っているのは、ある返信だった。


 追放されて間もなく、彼女は謎の手紙を受け取っていた。差出人は「L・A」というイニシャルのみ。古代文字で書かれた内容は、アイリスの研究に深い理解を示すものだった。


 彼女は返信を送った。しかし、それきり音沙汰はない。


「お嬢さん、具合の悪い方を連れてきました」


 宿の主人が、診療所の戸を叩く。


「どうぞ、お入りください」


 入ってきたのは、ひどい咳に苦しむ青年だった。


 灰色の外套に身を包み、乱れた金髪は雨に濡れている。その腕には、何冊もの古書が抱えられていた。


「座ってください。診察いたしますから」


 アイリスが近寄ると、青年は本を取り落とした。床に散らばる古書の背表紙。それは古代魔法文明の遺跡に関する研究書だった。


「あなたは……」


 青年が顔を上げる。琥珀色の瞳が、アイリスを見つめた。


「ルーク・アッシュバーン。考古学研究会を追放された者です」


 咳き込みながら、彼は自己紹介する。


「『危険な研究』をしているという理由で、学会から追放されたんです。まさか、ここで同じような境遇の方に出会えるとは」


 アイリスは息を呑んだ。

 彼こそが「L・A」なのか?


 ルークが取り出したのは、一通の手紙。そこには古代文字で、アイリスの研究についての考察が記されていた。


「お互い、追放者同士。語り合えることがたくさんありそうですね」


 ルークが微笑む。


 しかし、その会話は唐突に遮られた。


 轟音と共に、診療所の扉が吹き飛んだのだ。


「アイリス・ヴァイスクラフト! 身柄を拘束する!」


 黒衣の錬金術師たちが、室内になだれ込んでくる。精鋭部隊、《漆黒の腕》の面々だ。


 アイリスは瞬時に状況を把握した。彼女とルークの接触を、誰かが予期していたのだ。


「申し訳ありません。あなたたちと付き合うのはここまでとさせていただきます」


 アイリスが呟く。その手から、銀色の粉末が零れ落ちる。


 次の瞬間、煙が部屋中を包み込んだ。


 黒衣の術師たちが咳き込み、目を押さえる隙に、アイリスはルークの手を取っていた。


「行きましょう。きっと、あなたにもお聞きしたいことがたくさんあるはずです」


 春雨の向こうに、二人の背が消えていく。


 追放者たちの、長い逃避行の始まりだった。


●第3章 古代遺跡にて


 白銀の迷宮は、月光の下で微かに輝いていた。


 かつての魔法文明が築いた巨大な遺跡。その正体は、地下深くに伸びる研究施設だと言われている。


「ここが、私たちの求める答えがある場所……」


 アイリスが呟く。遺跡の入り口に刻まれた古代文字が、彼女の白髪を青白く照らしていた。


「扉を開けましょう」


 ルークが古書を広げ、解読を始める。二週間の逃避行の末、彼らは遺跡にたどり着いたのだ。


「待ってください」


 アイリスが左手を翳す。追放の印が、赤く明滅していた。


「誰かが近づいています」


 月明かりの中、黒衣の影が現れる。《漆黒の腕》の精鋭部隊。そして、その先頭に立つ男。


「カイン・ヴァルター……」


 アイリスは、かつての同僚の名を呟いた。


「久しぶりだな、アイリス」


 カインが仮面を外す。切れ長の瞳に、月光が映えている。


「団長命令だ。おとなしく研究資料を渡してもらおう」


 部下たちが、二人を取り囲む。


「カイン……あなたは分かっているはずです。古代文明の遺産は、私たちの未来のために必要なもの」


「分かっているさ。だからこそ、危険な研究は止めさせる」


 カインの手から、銀の光が迸る。それは、錬金術で作られた刃だった。


「無駄な抵抗はよせ。レオナルド団長は、お前の才能を認めていた。今なら、まだ錬金術師団への復帰も……」


「お断りします」


 アイリスは静かに告げる。


「私には、確かめなければならないことがある」


 彼女の手から、銀色の粉末が舞い散る。同時に、ルークが古書を掲げた。


「《白銀の門よ、開け!》」


 古代文字の詠唱と共に、遺跡の扉が轟音を立てて開いていく。


「させない!」


 カインが駆け出した瞬間、アイリスの錬金術が発動する。


 銀の粉末が結晶となって地面から伸び、追っ手の行く手を遮った。それは美しい氷の壁のようだった。


「さすがは天才と呼ばれた錬金術師だ。だが……!」


 カインの一撃で、氷の壁に亀裂が走る。


「行きましょう!」


 アイリスがルークの手を引き、遺跡の中へと飛び込んだ。


 薄暗い通路が、二人を飲み込んでいく。


 追手の足音が、徐々に遠ざかっていった。


「大丈夫ですか?」


 ルークが、息を切らしながら問う。


「ええ。でも……」


 アイリスは、通路の壁に刻まれた文字に目を凝らした。


「これは……!」


 古代文字で記された言葉に、彼女は息を呑む。


 そこには、魔法文明が滅びを選んだ理由が記されていた。


「彼らは、何かを封印するために……」


 アイリスの言葉が、闇に吸い込まれていく。


 遺跡の最深部で、禁忌の真実が、二人を待ち受けていた。


●第4章 迫り来る危機


 遺跡の最深部で見つけた真実は、あまりにも衝撃的だった。


「これが、《創造者の呪い》……」


 アイリスは古文書を広げながら、静かに語る。彼女とルークは、とある廃村の教会に身を潜めていた。ステンドグラスを通した夕陽が、二人の影を長く伸ばしている。


「古の魔法文明は、究極の力を手に入れた。無から有を生み出す創造の魔法を」


 ルークは黙って頷く。彼の研究も、同じ結論に達していたのだ。


「でも、その力には代償があった。使えば使うほど、理性が蝕まれていく」


 アイリスは手帳を開き、走り書きを追う。


「彼らは自らの文明を、その力もろとも封印することを選んだ。そして、封印を守るために錬金術という限定的な力のみを、私たちの時代に残した」


「しかし、誰かがその封印を解こうとしている」


 ルークが窓の外を見やる。


 夕焼けに染まる空の下で、黒い影が蠢いていた。《漆黒の腕》の追っ手たち。彼らの数が、日に日に増えている。


「どうやら、私たちの推測は正しかったようですね」


 アイリスは静かに告げる。


「錬金術師団の内部に、《創造者の呪い》の力を求める一派が存在する。彼らは古代文字を解読し、各地の遺跡で封印を解こうとしているのです」


「でも、なぜ団長は……」


「レオナルド団長は知っていたのでしょう。だから私を追放した」


 アイリスは左手の追放の印を見つめる。


「古代文字を解読できる私を、組織から遠ざける必要があった。反対に、私の研究資料は組織の中に留め置かれた。これは、封印解除を阻止するための策だったのです」


 ルークが、琥珀色の瞳を細める。


「つまり、錬金術師団の内部で、既に権力争いが始まっているということですか」


「ええ。そして……」


 アイリスの言葉は、突然の轟音によって遮られた。


 教会の扉が、粉々に砕け散る。


「ここにいましたか、アイリス様」


 黒衣の男が、ゆっくりと歩み入ってくる。


「マーカス副団長!」


 アイリスが身構える中、マーカスは優雅に一礼した。


「心配はいりません。私は、あなたの才能を正当に評価しています」


 黒檀の仮面の下から、薄い笑みが覗く。


「さあ、私たちと共に来ませんか? 新しい魔法文明の扉を、共に開くために」


 その声は、蜜のように甘く、毒のように危険だった。


「お断りします」


 アイリスは即答する。


「創造の力など、人の手に余る。古の魔法使いたちは、それを理解していたのです」


「そうですか……」


 マーカスの声が、一瞬にして凍り付く。


「では、本意ではありませんが、力づくで頂くとしましょう」


 黒衣の術師たちが、一斉に教会になだれ込んでくる。


「ルーク!」


 アイリスが叫ぶ。


 ルークは古書を掲げ、詠唱を始める。それは、遺跡で見つけた防御の古代呪文。


 アイリスの錬金術が銀色の光となって放たれる。


 マーカスの放つ黒い魔法と、激しく衝突した。


 ステンドグラスが砕け散り、夕陽が血のように降り注ぐ。


 錬金術師団を二分する戦いの火蓋が、今、切って落とされたのだ。


●第5章 再会


 血に染まった夕陽が、戦場と化した教会を照らしていた。


「お見事です、アイリス」


 マーカスの黒檀の仮面に、細かな亀裂が走っている。


「古代の知識と錬金術を組み合わせるとは。さすがは天才と呼ばれた方です」


 アイリスは重傷を負いながらも、なお身構えていた。


「しかし、これで終わりです」


 マーカスが右手を翳す瞬間、轟音が響き渡った。


 教会の天井が崩れ落ち、その隙間から一団が降り立つ。


「止めるんだ、マーカス」


 銀の仮面の男が告げる。


「レオナルド団長!」


 アイリスが息を呑む。


 錬金術師団の長が、カインら《漆黒の腕》を率いて現れたのだ。


「よくぞ来てくれました、団長」


 マーカスが仮面を外す。醜く歪んだ表情が、そこにはあった。


「私が《創造者の呪い》を解放し、新たな魔法文明を築く瞬間に立ち会えます」


「狂気に囚われたか、マーカス」


 レオナルドも仮面を脱ぐ。疲れの刻まれた顔が、悲しみに歪んでいた。


「私は、すべて知っていた。君が密かに遺跡を調査し、封印を解こうとしていたことを」


 アイリスは息を呑む。


 そうか。だから私は……。


「アイリス」


 レオナルドが彼女に向き直る。


「君を追放したのは、マーカスの監視から逃れさせるためだった。古代文字を解読できる君を、自由に動ける立場に置く必要があった」


「まさか……」


「だが、もはや隠す必要はない」


 レオナルドが杖を掲げる。


「我々の真の目的は、《創造者の呪い》の完全なる封印。そして、その力に魅入られた者たちを救うことだ」


 マーカスが嘲笑う。


「救う? 何を笑わせる。我々は救われる必要などない。この力こそが、人類の進むべき道なのだ!」


 黒い魔力が渦巻き、マーカスの体が歪み始めていた。


「団長、危険です!」


 カインが叫ぶ。


 その時、アイリスは気付いた。

 

 マーカスの背後で、ルークが古書を掲げている。


「貴方を、止めます」


 アイリスはゆっくりと左手を上げた。追放の印が、まるで彼女の決意を映すように鮮やかな赤色を帯びていく。その光は次第に強さを増し、やがて彼女の手の周りに赤い光の輪を作り出した。


「これが、私たちの答えです」


 彼女の声は静かでありながら、確かな意志を宿していた。


 後方では、ルークが古書を両手で掲げている。彼の指が羊皮紙の端を強く握りしめ、節々が白く浮き上がっていた。彼の唇から紡がれる言葉は、人知の及ばない古代の響きを持っていた。


「『永き眠りの中に、すべてを封じん』」


 古代語の一音一音が、空気を震わせる。その言葉は目に見えない波紋となって広がり、教会の空間そのものが共鳴を始めたかのようだった。


 アイリスの手から放たれた錬金術の光は、純粋な銀色に輝いていた。それは月光のように清らかで、しかし刃のように鋭い光芒だった。光は渦を巻きながら上昇し、教会の天井に向かって螺旋を描いていく。


「我が錬金術よ、古の力と共鳴せよ」


 彼女の詠唱に応えるように、レオナルドが重々しく杖を掲げる。老錬金術師の手から迸る金色の魔力は、威厳に満ちていた。それは太陽の光のように眩く、しかし慈愛に満ちた温かみを持っていた。


「私たちの時代に、決着をつける時が来たのだ」


 三つの光が交差する。赤と銀と金が織りなす光の結界が、教会の空間を満たしていく。それは美しく、そして厳かな光景だった。


 しかし、その瞬間。


「愚かな!」


 マーカスの叫び声と共に、禁忌の力が解き放たれる。《創造者の呪い》の放つ虹色の光が、渦を巻きながら暴走を始めた。それは美しくも不気味な輝きを放ち、現実そのものを歪ませていく。


 光の渦は瞬く間に広がり、まるで生きているかのように教会の空間を飲み込んでいった。柱が歪み、床が波打ち、現実の法則そのものが崩れ始める。


「これで、終わりです」


 アイリスの静かな呟きが響く。


 三つの封印の力が《創造者の呪い》と激突する瞬間、世界そのものが息を呑んだかのような静寂が訪れた。


 そして――。


 眩い光が全てを包み込んでいく。それは雪のように純白で、しかし太陽よりも眩い輝きだった。光の中で、アイリスは自分の記憶が薄れていくのを感じていた。


 そして世界が、白く染まっていく……。


●第6章 魔法文明の真実


 白い光が収束していく。


 崩れた教会の残骸の中で、マーカスの姿が浮かび上がる。彼の周りには、虹色の光が渦を巻いていた。


「これが……創造の力……!」


 マーカスの声は既に人のものとは思えなかった。彼の体は歪み、光の渦と一体化しようとしている。


「見てください、この美しさを! 私たちは神になれるのです!」


 彼が両手を広げると、虚空から無数の物体が生まれては消えていく。


 幻想的な光景だった。


 だが、その代償は残酷だった。


「マーカス副団長の精神が、急速に崩壊していきます」


 ルークが古書を確認しながら告げる。


「これが《創造者の呪い》の本質なのですね」


 アイリスは、かつての魔法文明の最期を思い浮かべる。


 無限の創造力を得た彼らは、次第に理性を失っていった。そして最後には、自らの手で文明を消し去ることを選んだのだ。


「団長、私たちに方法はあります」


 アイリスが前に出る。


「古代の封印術と、現代の錬金術を組み合わせれば……」


「待ちなさい」


 レオナルドが制する。


「その方法は、使う者の記憶を代償として要求する。君は、すべてを失うことになる」


 アイリスは静かに微笑んだ。


「構いません。これが、私にしかできない役目なのですから」


 彼女は懐から古い手帳を取り出す。そこには、古代文字で書かれた封印術の詳細が記されていた。


「準備はできています」


 ルークが駆け寄る。


「僕にも手伝わせてください。考古学者として、これが最後の仕事になるかもしれない」


 アイリスは頷いた。


「カイン、《漆黒の腕》を指揮して!」


 レオナルドが号令を発する。


「マーカスを、これ以上暴走させてはいけない!」


 崩れかけた教会の残骸の中で、十二人の黒衣の錬金術師たちが、ゆっくりと円陣を形成していく。彼らの黒いローブの裾が、瓦礫の上を静かに滑るように動く。夕暮れの光の中、彼らの影が長く伸びている。


 カインの号令が、張り詰めた空気を切り裂く。


「両翼、展開!」


《漆黒の腕》の術師たちは、まるで一つの生き物のように、滑らかな動きで二手に分かれる。六人ずつの術師が、アイリスを中心とした三日月状の陣形を作り上げた。彼らの仮面の下から、緊張に満ちた吐息が漏れる。


 アイリスは古文書を広げ、両手を胸の前で組む。彼女の白銀の髪が、見えない風に揺れ始める。唇が、ゆっくりと開かれる。


「大いなる光よ、我が願いを聞き給え――」


 古代語の詠唱が始まった瞬間、空気が振動する。アイリスの周囲に、銀色の光の粒子が舞い始める。それは降り注ぐ夕陽の中で、星屑のように煌めいていた。


 その時、ルークの声が重なる。


「時を超えし封印の言葉よ、今こそ目覚めよ――」


 彼の手にした古書が淡い青い光を放つ。二つの詠唱が交差する度に、光の渦が強まっていく。それは美しくも危うい、神秘的な光景だった。


 黒衣の術師たちが同時に杖を掲げる。彼らの魔力が黒い靄となって立ち上り、アイリスとルークを守るように渦を巻く。


 そして、レオナルド団長が一歩前に出る。彼の杖から放たれた金色の魔力は、まるで液体の光のように、二人の周りを緩やかに包み込んでいく。


「これが最後の封印となる」


 レオナルドの声が、重く響く。


 アイリスの詠唱が高まる。彼女の声は、もはや人の言葉とは思えない響きを帯びていた。それは古代の魔法文明の残響のようでもあり、未来からの警鐘のようでもあった。


「おお、創造の力よ――」


 光の渦が、三重に重なり合う。銀色、青、そして金色の光が、まるで巨大な繭のように、アイリスとルークを包み込んでいく。その中で、アイリスの姿が次第に透明になっていった。


 彼女の記憶が、光となって溶けていく。


「――封印を完遂せよ」


 最後の言葉が、夕暮れの空に消えていった。


 黒衣の術師たちの陣形が、光の防壁となって、この神聖な儀式を守っている。彼らの仮面に、三色の光が映り込む。誰もが息を殺して、この歴史的瞬間を見守っていた。


 時が、光の中で、静かに流れていく――。


「何をする気だ……!」


 マーカスが叫ぶ。その姿は既に、光の渦と化していた。


 アイリスの左手から、追放の印が消えていく。

 

 代わりに、古代文字が浮かび上がる。


「さようなら、マーカス副団長」


 アイリスの声が、遠く響く。


「そして……さようなら、みなさん」


 彼女の記憶が、光となって溢れ出す。


 封印術が完成する瞬間、世界が再び、白く染まっていった……。


●第7章 新たな夜明け


 春の陽光が、錬金術師団本部の窓から差し込んでいた。


 白衣の少女が、ゆっくりと廊下を歩いていく。

 

 彼女の記憶は、あの日の光と共に失われた。


「アイリス様、おはようございます」


 すれ違う術師たちが、深々と頭を下げる。


(私は、確か……)


 記憶は断片的だ。でも、手は覚えていた。錬金術の調合を。心は覚えていた。この場所が、帰るべき場所だということを。


 広間の扉が、静かに開かれる。


「よく来てくれた、アイリス」


 レオナルド団長が、杖を突きながら迎える。銀の仮面の下から、穏やかな微笑みが覗いていた。


「今日から君は、新設された『遺跡管理局』の初代局長として着任する」


 アイリスは黙って頷く。


「記憶は、少しずつ戻ってきていますか?」


「いいえ、まだ……」


 アイリスは首を振る。


「でも、それでいいのです。私にできることは、きっと変わらない」


 窓の外では桜が舞っていた。


「マーカス副団長は?」


「封印の効果で力を失い、自らの過ちを悔いている」


 レオナルドが告げる。


「彼もまた、新しい道を歩み始めたようだ」


 その時、扉が再び開かれた。


「アイリス様、お待ちしていました」


 ルークが古書を抱えて入ってくる。琥珀色の瞳が、柔らかな光を湛えていた。


「今日の調査場所は、この遺跡です」


 彼が広げた地図には、いくつもの印が付けられている。


「私たちの仕事は、古代文明の遺産を正しく理解し、管理すること」


 アイリスは静かに告げる。


「二度と、同じ過ちを繰り返さないために」


 レオナルドが、杖を突く音が響く。


「さあ、行きましょう」


 アイリスが歩き出す。


 白銀の髪が、春風に揺れる。


 記憶は失われても、魂は覚えていた。

 

 自分が何者であるかを。

 

 そして、これから歩むべき道を。


 遠い日の追放の痛みも、今は懐かしい。


 それは全て、彼女を今ここに導くための道程だったのだから。


「新しい物語の始まりですね」


 ルークが微笑む。


「ええ」


 アイリスもまた、小さく頷いた。


 春の光の中で、白き錬金術師の新たな旅が、始まろうとしていた。


(了)

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