幸せが始まる日

長月瓦礫

幸せが始まる日


「間鹿島くん。そのほうれん草のやつ、美味しそうだね!」


「はあ?」


ほうれん草を適当に茹でただけの名前のない料理を見る。

いや、本当に茹でただけなんだけど。

おかずとしてカウントしてもいいのかどうかも微妙なところだ。


「隣のきんぴらごぼうっぽいのもいいね! 

いろいろ細々としてるのが何か間鹿島くんっぽい感じ!」


白米に夕飯の残りを適当に詰め込んだだけの弁当を見て、美味しそうと申すあなたは何者か。少し遠い席の鳥井さんだ。


いつもおしゃれで友達が多くて、なんか遠い世界の人だ。

駅前のドーナツ屋でバイトしてるのをよく見かける。

生きている速度が違いすぎて、本当に同じ世界で生きる人間なのかとたまに疑ってしまう。


ドーナツなんてめったに食べなくなってしまった。

最後に食べたのはいつだったか。それすら思い出せない。


弁当を褒めているのかどうかは置いておこう。

仮に馬鹿にされていたとしても、自分で食べるんだからどうでもいい。


「何か用か、鳥井さん。人の弁当をわざわざ見にきたのか?」


「見に来たっていうか、いつも美味しそうだなって思って! 

自分で作ってるの?」


「……まあ、そうだな。みんな忙しいし、分担してるんだ」


適当にごまかすだけで心がつぶれそうだ。俺の言うみんなの中には兄貴しかいない。

そうとしか言えない。知らなくても別にいいだろう。


どこかのゲームで見た光の子という単語を思い出した。本当にその通りだ。

頭を叩き割ったら金平糖みたいなキラキラした欠片が出てくるに違いない。


言いたいことを言いすぎてたまに喧嘩になっているけど、いい人だと思う。

いい人すぎて、こっちに来ないでほしい。


どうか闇を知らないまま生きていてくれ、お願いだから。

俺はついていけない。


「そうなんだ。いろいろおかずあるし、器用なんだね! 

なんかレシピとか見てるの?」


「最初は見てたけど、面倒だからやめた。

似たようなのしか作らないから感覚も覚えちゃったし」


肉と野菜を適当に炒めたヤツ、調味料をフィーリングで入れて肉と野菜を煮込んだヤツ、材料を適当にぶち込んだカレー、名前すらない料理ばかりだ。

レパートリーが少なくても成り立つのは、男二人で生活しているからか。


とりあえず、ご飯を炊いとけば大体何とかなると思っている。

兄貴も夕飯に文句を言わないし、食べられれば何でもいいから考えたこともない。


「レジを打つのは得意なんだけど、キッチンの作業は苦手なんだ。

練習してるんだけど、なかなかうまくいかなくてさ。なんかコツとかあるの?」


太陽みたいな笑顔だ。眩しくて目も合わせられない。


「俺はバイトしたことないから分からないんだけど。

数学と同じなんじゃないか? 何回も繰り返して覚えるしかないと思う」


「そっか! 頑張ってみる! じゃーね!」


手を振って友達のところへ行った。本当に忙しい人だ。

ていうか、まだお昼ご飯を食べていなかったのか。


じゃあ、本当に通りがかったついでに褒めに来たのか? そんなことあるのか?


「……意味が分からない」


いくら考えても分からない。こんな地味な弁当に褒めるところなんてあるのか。

光でできた人の考えていることは分からない。


教科書を読んで数式を解くのとレシピを見ながら料理を作るのはまた違うらしい。

何が違うのか、俺にはよく分からない。


ただ、ひさしぶりに味を感じた。思っている以上に不味かった。



メモを取る。ただひたすらに、手を動かしながら書く。

傍らに野菜と肉と調味料、いつもどうやって料理をしているのか、自分でもよく分かっていない。だから、記録を取ろうと思った。


とりあえず、今日の弁当を再現する。

誰も文句を言わないから、気づかなかった。


味がロシアンルーレットみたいになっている。

適当にやりすぎて安定していないことに、今更ながら気づいた。


食べられればいいから味は関係ないと思っていたし、昼食を文字通り消化するだけで終わっていた。ただ、あんなふうに誰かに聞かれることもなかった。


とりあえず、作りやすいものから答えたほうがいいだろう。

後ろを振り向くと、兄貴が壁に隠れ、のぞいていた。


「ただいま、久」


「おかえり。そんなところで何やってるんだ、アンタは」


兄貴も自分のエプロンを身につける。


「お前、勉強しながら料理やってるのか? 

せめて、どっちかにしたほうがいいんじゃないか? それじゃ落ち着かないだろ」


「違う。いつも適当だからちゃんと記録を取ろうと思って……」


兄貴はなるほどと呟き、メモ帳を取り出した。


「じゃあ、俺が書記をやろう。そうすれば、作業に集中できるだろ」


「別にやらなくていいよ、帰ってきたばっかりなんだろ?」


「そういえば、互いに作業しているところを見たことがないから、差異があってもおかしくないな。すり合わせができていない部分があるかもしれない。

まあ、その辺はまた今度でいいか。とりあえず、作ってからだな」


「ちょっと待て、アンタは何を作ろうとしてるんだ?」


「今日のメニューは何だ? お前、結構色々と作るだろ。

いい感じに晩酌ができるから、非常に助かってるんだが」


「だから、勝手に話を進めるな」


兄貴は早口でまくし立てる。てか、晩酌しているのか。

家でもめったに会わないから、そんなの知らなかった。


「さて、本当にそれだけか? 学校で何かあったか?」


「頼むから最初からそう言ってくれ、心臓に悪いんだよ。

弁当がクソまずかったから、どうにかしようと思っただけだ」


「そうか? 俺はそんなことなかったんだが。

本当にそれだけか? 喧嘩でもしたか?」


「してないよ。あまりにも不味くて、自分でもびっくりした」


「なら、いいんだが。それじゃ、やるぞ」


何で兄貴が仕切っているんだ。

こういうところが本当に嫌になる。


「はい、先生。それじゃあ、今日は何を作るんですか?」


「昨日の夕飯を再現します」


「了解、作業を始めてくれ」


本当に意味が分からない。

考える暇もないまま昨日の夕飯を再現し、兄貴は記録を取り続けた。

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