第2話 この婚約待った!

「お父様、ちょっとご相談が」

 パプリコット侯爵はでっぷりと張り出した腹に手を置きながら、来客に挨拶中だった。

「これは調度良い。メリア、ご挨拶なさい」

 侯爵の巨体に隠れていた人物がスっと前に立つ。

 決して低くは無いメリアの頭1つ分高い位置にある顔は、まだ少年ぽさが残っていた。

 あ、これが王子だわ。

 直感で分かる、中性的で柔らかな表情は顔のパーツがどれもきれいに整って配置されている。

「メリル嬢、お初にお目にかかる、私の名はアレクシス。アレクシス・ブルーボン」

 挨拶は下位から先が礼儀であれども、この場合はレディーファーストとして先にしてくれたのだろう。

 見事なボウアンドスクレープに、咄嗟に取ってしまうカーテシー。

 哀しきかな徹底された貴族マナー。

「メリル・パプリコットにございます」

 本来ならば完璧な笑みを浮かべるべき挨拶の表情はガチガチに固まって、視線も合わせられないでいた。

「今宵は実に目出度いですな」

 腹を揺らすな、腹を!

 視界に入る腹にまで殺意を抱きながら、侯爵に目配らせをしようとしたが全然伝わらない。

「あ、あの婚約発表…なのですが…その」

 まごついてしまうメリルを、アレクシスは微笑みでもって待ってくれている。

 たぶん、だけど王道王子様キャラなら、きっと人畜無害系か正義感強い系!

 だから大丈夫!

「こ、こ、婚約を待って頂きたいのです!」

 言った!言ってやったわ!

 妙な高揚感に包まれ、さも許可されたかのような、安堵に胸を撫で下ろしていたメリルの腕が強い力で引かれる。

「何を言っているんだ、お前は!」

 ミチミチと骨まで軋むような力に、メリルの顔が歪む。

 ワナワナと唇が震え、奥歯がカチカチ音を立てる。

 これはダメなパターンだ…、メリルではなく前世の記憶が警鐘を鳴らしている。

 暴言、暴力…それは酷いトラウマを呼び覚ました。

 そしてプツンと何かがシャットアウトするような感覚に襲われる。

「痛いですわ、お父様。殿下の前です、冷静にお成りください」

 一切の感情が削ぎ落とされたかのような無表情に、先程までの怒りはどこへやら侯爵は気味の悪さに手を離した。

「殿下の婚約者が、未熟な私には務まるとも思えないのです。無礼は承知の上で申し上げます、婚約は白紙に戻して頂きたいのです」

 そこでようやくアレクシスの視線とメリルのそれが重なる。

 深い海色の瞳は、まるで櫛形に切られた果物のように笑みを表していたけれども、とても冷たく感じた。

「それは難しいお願いだね。君を婚約者とすることは既に双方の決定事項で、発表会当日で婚約の撤回は王室の威厳にも影響する」

 それはそうだろう…。

 でも諦めるには布石を投じたい。

「ならばアレクシス殿下に他に婚約するに相応しい女性が現れた際は、こちらに不利のない形で婚約を破棄して頂く旨を条件に追加して頂けますでしょうか」

「メリル!失礼だろう!」

 怒声にビクッと肩が揺れる。

「お静かに!」

 メリルは声を張り上げる。

「婚約破棄はどういう形にしろ女側に『婚約破棄された』という悪印象が残ります。まして王家相手ともなれば、婚約破棄した後の結婚は絶望的です。ならばせめて望んだ側がどちらか、分かる形での破棄を約束して貰うことは許されて然るべきかと」

「それで言えば今婚約を撤回して欲しいと望む君にも当てはまらないかい?私は婚約したくないと言われた側だ」

 口角をやや釣り上げた笑み、人が良いなんて考えが甘かったかもしれない。

「えぇ、撤回して頂けるのなら構いません。殿下の婚約者に不足と、私から辞退を申し出たと公表することに異論はございません」

 断罪ルート回避できるなら、風評被害なんて些末なこと。

「それは気にならないのだね…。まぁ、いいだろう。文の追加は了承しよう」


「この恥知らずが!」

 バシッと重い衝撃が頬を伝って脳まで揺らす。

「あわや婚約の破談、侯爵家の顔に泥を塗るところだったのだぞ」

「まぁ、あなた!顔は止めて頂戴。傷ができたら、それこそ婚約破棄されてしまうわ」

 いつもの事とはいえ、全く反吐が出る。

「御用は済んだようなので失礼します」

 腫れた頬に手を当てながら退室するメリルを、じっと見つめるのは9歳になったばかりのロデアーノだった。

「こちらへ来なさい」

 両親に見つかる前に手を伸ばし外に連れ出す。

「アンタはあんな大人になっちゃダメよ。女に手を上げたり、体面を気にしてばかりの薄っぺらな男にだけはならないでね」

 ギュッと握る手は温かい。

 ミラによるとこの弟も攻略対象だとか。

 サラッと聞かされたのは根暗で陰のある魔術師になるらしい。ちなみに断罪ルートは国外追放と。

 冗談じゃない!こちらも断罪ルート回避必須よ。

「アンタも子供らしく、私が育てなきゃね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る