晴海埠頭
TOKYOと書いてあるオブジェクトを通り過ぎれば、目の前に見えるのは東京湾だ。
破壊されたレインボーブリッジの跡がぼんやり見える。
「着きましたね。晴海埠頭」
辺りはすっかり暗い。街灯も何もない。
遠くの方で、赤いライトが点々と灯るのみだ。
東京湾には、対空ミサイルを積んだイージス艦が所狭しと浮かんでいる。
埠頭に少女と二人きり。聞こえるのは、海の音だけである。
「何もありませんでしたね。わかってましたけど」
少女は、波打ち際の白い手すりに寄りかかって、俺を見、
「腰の刃物、まだ隠してるんですか?」
と笑って見せた。
「……」
俺は腰のナイフを取り出し、足元に落とした。
「岩淵水門で、私を刺そうとした?」
「……君みたいな存在が、許せなくてこの任務についた。……遂行できなかったけど」
少女は俺の側まで来て、ナイフを拾い上げた。
俺は、一度息を吸って、注意深く静かに、しかしはっきりと聞き取りやすく少女に話しかけた。
「逃げよう。船なら手配する。東京湾を出て、行けるところまで行けこう」
「行けるところまで?」
「晴海埠頭が君のゴールであっていいはずがない。俺にもう少しだけ、考える時間をくれ」
気付けば、少女に手を差し出していた。
「一緒に行こう」
掌をじっと少女は見て、突然、ナイフを突き立てた。
銃弾でも傷つけられなかった俺の皮膚から、電気のような痛みと共に右手から赤い血が滴る。
そして、自らの左手のガーゼを解いた。……彼女の血はまだ止まっていなかった。黒々とした血が滲んでいる。
そして、少女は左手で、俺の右手を握った。
二人の傷口が重なる。
「流れているんです。わかるでしょう?」
少女は力強く握る。か細い左手は、微かに震えている。
「最後にお願いがあるんです。隅田さん」
「最後って言うな……!」
「聞いて。……私の事を名前で呼んでくれませんか?」
少女がどこかに行ってしまわないように、強く握り返した。
「……俺は……君に……」
「ここまで一緒に歩いてくれてありがとう。隅田さん」
お互い手を離さないように、さらに強く握った。
「違う、俺は……!!」
「そこから先は、後ろを向いて喋ってくれますか?」
少女の笑顔の奥には黒い涙が浮かんでいた。
……ある塾講師がいた。彼は、義勇兵となるために故郷に帰ることに決めた。
それを聞いた教え子は自分のために後を向いて泣いてくれた。
彼女は泣いてるところを人に見られるのが、嫌なのだ。昔からそうだった……。
故郷で負傷して帰ってきた塾講師は、自分の教え子が、ろくでもないものを作った国の、ろくでもない作戦に利用される事を知り、
自分の手で引導を渡そうと思った。名前と姿を変えた塾講師と、体を改造した少女が再会したのは、北区の『岩淵水門』。
そこはなんの因果か、新河岸川が『隅田川』と名前を変える場所だった……。
文字にしてしまえば、実につまらない話だ。
ようやく手を離し、言われた通り後ろを向いた。
「歩いている間、俺は心の中で右と左を何度も往復した。君は生きるべきなのか、死ぬべきなのか、どちらが自然なのか。
俺は裁判官じゃない。ましてや神様なんかじゃ……。
でも、この時間、それについて考えられるのは俺だけだったと思う。
俺は……せめて今この瞬間は君に生きていてほしい。戦場で誰も殺さずに、隅田川まで帰ってきた君に……」
一瞬、背中越しに、波の音に混じって小さく音が聞こえた気がした。
「だから、雫(しずく)……!!」
祈るような気持ちで、ゆっくりと、振り返った。
SUMIDAの零 了
SUMIDAの雫 ー2024年、第三次世界大戦。青年と最終兵器の、終わりに至る旅の記録ー @SBTmoya
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