浅草→月島警察署前




「晴海埠頭に着いたらどうするんだ?」



「どうしましょうか。隅田さんはどう思います?」


意地の悪い質問だ。



焦げた黒と金色の瓦礫、剥き出しの鉄骨、ネズミや虫が集る何かを、もはや棒のようになった足で跨いだ。


引きずってる足から一直線に背中が痛い。


とっくに息など上がっているが、一度でも立ち止まったら再び歩き出すのが困難になっていた。


廃墟の上を歩くとなったら尚更の事だ。


目の前には、かつて「吾妻橋」と言う名の赤くて立派な橋がかかっていた。今は、面影と呼べるものしか残っていない。


16時。陽は傾き、少し寒くなってきた。


北千住を過ぎてから浅草まで、二人とも寡黙にひたすら歩いていた。


倒壊した首都高速6号三郷線が道を塞いでいた。


瓦礫の上を、何羽ものカラスが集まっていた。


仕方ないので引き返し、半壊し、端の方を辛うじて歩ける駒形橋を渡る。


酷い匂いだ。2022年まで華やかな観光地として知られていた浅草が、見る影もない。


どこもかしこも崩れ、ひしゃげ、その瓦礫をも隅田川が東京湾に押し流していた。


少し前を歩く少女からは、緊張感に似たものを感じた。


体にまとわりつく蝿の群れを何度も何度も払い除けた。


辺りには、元を考えたくもない、不快な匂いが立ち込めていたが、その中でも僅かに、潮の匂いもする。海が、近づいていた。


少女が突然立ち止まった。


「隅田さん、あそこです」


「……ん?」


「あそこが、私の家です」


少女が無表情で指差した先に、建物はなかった。


両国国技館が近いからなのか、城壁のようなデザインのような壁に、墜落した戦闘機が突き刺さっており、


壁の向こう側に数本の鉄骨のみが、台風が通り過ぎた後のひまわりのように曲がって、立っていた。


「正確には、『家のあった場所』ですね。

 ……私と姉は、いつも、あそこの蔵前橋を渡って通学してました。

 毎朝牛乳の話をしてました」


「牛乳?」


「姉妹揃って背が低かったんです」


少女は笑って見せた。強引に笑っているようにも見えた。


「向こうに……いつもスカイツリーが見えてました」


彼女が指を刺したところには、3分の1の高さになったスカイツリーの残骸がかろうじて見てた。


「私たち背が低いから、『嫌味か!』って二人でスカイツリーに文句を言ってました。それで、それで……」


一瞬、彼女は言葉に詰まったように見えた。そして、すぐに背を向けた。


墜落した戦闘機にカラスが群がり、何かを引っ張り出しているが、それ以上は視界に入れたくはなかった。


「君は、ここに来るために隅田川を……?」


「……」


少女は一度下を向き、また川沿いを海に向かって歩き出した。


「行きますよ。隅田さん」


「もういいのか?」


俺が聞くと、彼女は立ち止まった。そして振り向かずに、


「いいんです。私ね、私……」


声が、震えている。


彼女は空を見て、深く息を吸い、呼吸を整えた。


「私、『こうなって』から……、涙が黒くなったんです。

 今そっち見たらきっと、酷い顔だと思いますよ?」


……零式の素体には、決まって少女が選別される。それは、柔軟性に長ける少女の細胞が、スムーズにエネルギーを循環できるからであるとも、


少女であれば敵も無闇に撃墜できないからであるとも言われている。


彼女の血液が黒いのは、体に埋め込んだ反物質反応装置を封じ込めるために、ナノマシンや特殊な分子構造が体液と混ざりあっているためだ。




「なんで海なんか目指すんだ?」


それに対して少女は、振り返らないで答えた。


「目的とか、いいんです。とにかく、流れていくんです」


血のように真っ赤な夕暮れに照らされ、崩壊した街を、海を目指し歩く。


もはや自分がどのあたりにいるのか、判別できそうなものはなかった。


ここは、何もかもが赤く染められ、カラスが戦闘機の影を追いかけ、蝿と砂埃を掻き分けながら、


生きている者は誰もいない瓦礫の隙間を縫って飛んていく、この世の果てだ。


この世の果てで、少女は重たい口を開いた。


「晴海埠頭に着いたら……」


「うん」


「晴海埠頭に着いたら、きっと何もなくて。私が『何もないですね』って隅田さんに言うんです」


「……うん」


「それに対して隅田さんは『そうだな』って私に言うんです。私はその、『そうだな』を聞きに行くんです」 


「……なんのために?」


「さあ、なんででしょう」


これまで、俺と彼女は立場から何までまるで違うと思っていた。


実際に違うのだと思う。今は一緒に川に流されている。瓦礫と一緒に海まで。


俺達が晴海埠頭に行って何になるだろう。


なのに、彼女の背中からは不思議と希望を感じた。確かにそう見えたのだ。残り一本のマッチの灯りのような、頼りない希望が。


「もしかしたら、海に着いたら奇跡が起きて、生まれ変われるかもしれないじゃないですか。お互い」


晴海埠頭に着いたら、そこから先に行く道はない。彼女の旅は終わる。


どんな川も最後は海にたどり着き、どんな人間もいつか死ぬ。でも、死ぬまでは生きてやる。


彼女のか細い一歩、一歩からはそんな意志が伝わってきた。……戦場から帰ってきた彼女から。


いつの間にか、『生まれ変われるかもしれない』と言う言葉に、胸の奥に、マッチ一本の明かりが灯されたように感じた。




目の前に、高いビルの群れが見えた。佃公園だ。


中央大橋には、“SUMIDA 1st Naval Bureau Garrison Base”と大きく書いてある。


17時に月島駅につき、陽はすっかり沈んでいた。


俺たちは黙って歩いた。


そして、17:25、旧月島警察署前に着いた。



そこには……


巨大なバリケードが道路を塞いでおり、立ち止まると一斉に「バチン」と野外照明が付いて、俺たちを眩しく照らした。


そして「ギョロギョロギョロ」と、今日初めて人工的な音が聞こえたと思ったら、


戦車が数台、後ろからこちらに向かってやってきた。それに続くように大勢の自衛隊員が銃を構えて俺たちを包囲した……。





……こうなるのはわかっていた。


もはや感覚のない片足を引きずり、痛む背中に堪えながら俺は両手を広げて、戦車と自衛隊員達の前に立った。


……晴海埠頭についてもどうなるわけでもない。わかってはいるがそれでも、それでも胸に灯った僅かなマッチの明かりを、もう少しだけ信じていたかった。


そして……


ピュン!!……胸を発砲された。パーカーの胸部にぽっかり穴が空いた。


……血は、流れなかった。



「隅田さん……」


そして自分の出せる精一杯の声で戦車たちに向けて叫んだ。


「撃つな!!! 自分は海軍局『零爆式』回収エージェントの『榎田(えのきだ)中尉』である!!」


ピュン! ピュン!……と、二発の銃弾が俺の胸を撃ち抜く。

衝撃に思わず咳き込む。

……やはり血は出ない。



「自分は特別任務中につき、全身に対衝撃処置を施している! お前たちの知る『榎田』と、顔と体型が違うのはそれが原因だ! 

 人質に取られているわけではない! 事態は自分の制御下にあり彼女に『起爆』の意思はない!!

 彼女をそちらに引き渡す! その前に!! せめて! せめて晴海埠頭まで二人きりにさせてはくれないだろうか!!

 もしそちらが要求を呑まないなら……」


震えながら少女の手を握った。


「自分が彼女を『起爆』させる用意がある!!

 せめて10分!! 話をさせてくれ!! 頼む!!!」




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