エッセイを書きましょう2024「薮坂賞」

薮坂

「生と性を知るために風俗店に行ってきた話/霜月夜空様」


 どうもみなさん、こんばんは。めっきり秋らしくなってきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。最近、どう言う訳かピアノを始めた薮坂やぶさかです。


 秋っていいですよね。春も好きですが、次第に空気が冷えていく秋って本当に過ごしやすくて、山に登ったりキャンプをしたりと最高で、まさに毎日がきらきらしているようです。

 そしてきらきらと言えば私の頭。ちょうど夏毛から冬毛への生え替わりの季節なのでね、自分の枕に夏の名残とも言うべき髪の毛がまぁわりと落ちていることが多いのですが、冬になったらきっとフサフサになると信じて無視しています。さて、前置きも程々に本題と参りましょう!



 この度、犀川よう様が主催する自主企画「エッセイを書きましょう2024」に選者として参加させてもらっていますが、私が選ぶ「薮坂賞」が決定しましたのでここにお知らせ致します。

 約70作にものぼる力作揃いのエッセイの中で「薮坂賞」に輝いたその作品は! でけでけでけでけ……ででん!


 作者名:霜月夜空様

 作品名:生と性を知るために風俗店に行ってきた話

https://kakuyomu.jp/works/16818093085530490290


 に、決定です! おめでとうございます‼︎



 いやぁこれはね、本当に面白かったです!

 interestingとfunny、どちらをも含む「面白さ」が溢れている、そんな類稀たぐいまれな作品でした。

 烏滸がましいとは思いますが、何故この作品が薮坂賞に相応しいか(なんの箔もつかない賞で恐縮ですが)を今からアツくご説明していきたいと思いま……えぇ、わかっていますとも。確かにこの作品はですね、タイトルからもわかるとおり少々センシティブに過ぎると言うか、全年齢対象の作品ではありません。このエッセイにはいわゆる「大人向けのそう言うお店の話」が出てきますし、若さゆえのリビドーというか、とにかくアツくたぎる色んなモノがほとばしってる「内部に高エネルギー反応! 使徒です!」的な作品なんですね。

 失礼ながら当然、万人受けはしないと思われます。性風俗店のお話はキッズにはしづらいところがありますもの。


 だがしかし、そうしかし! キッズでなければ是非とも読んで頂きたいのがこの作品なのですよ! てことで、まずはザクッとあらすじをご紹介致しましょう。(その前に当エッセイを読むことを強くオススメします!)



>あらすじ的な何か


 このエッセイの主人公たる霜月夜空氏は、『彼女いない歴=年齢』を公言する方であり、思い当たる原因は数あれど主因は「恋愛潔癖症」ではなかろうかと言う考えに至ります。

 恋愛潔癖症とは即ち、


『誰かを好きになるにあたって、それが性欲を満たすことを目的とした感情であってはならない』

『好きでもない相手とセックスする輩は等しくクズである』

『自分からグイグイ異性に絡みに行くのは格好悪い』


という考え方(受賞作エッセイより抜粋)であり、つまるところ「身体の関係を排除した究極の純愛」を是とする考えです。


 誰かを好きだという気持ちに、カケラもやましい気持ちがあってはならない。そんなストイック、いやもう修行僧のような生活を続けていた氏は、氏が理想とする「カッコいい自分」であろうとし、いつかそんな自分を好きになってくれる運命の相手を待ち続けました。


 しかしそんな女性はなかなか現れません。どれだけ努力しようとも自分を知って貰わなければ恋愛は始まらないのです。しかし氏は女の子にアプローチすることを「恥ずべきこと」と捉え、もはや即身仏まっしぐらの入定にゅうじょう状態。つまるところ氏は、生きながらにして生を実感できないという不治の病に侵されていたのです。

 私もエッセイを拝読しながら涙を禁じ得ない思いでありましたが、時を経て氏はついに天啓を得ます。


 それ即ち、『エロゲー』です。


 ……何を言ってるのか読者の方にはわからないかも知れませんし、そもそもどう考えても間違えていると思いますが、若かりし頃のリビドーとは制御できるものではなく、氏はついにというToE──、つまりTheory of Everythingに到達してしまったのです。


 端的に言うと、アレです。


 セックスをすれば、現実でも生を実感できるのではと言う究極の思想。

 しかし彼女のいない氏にその相手はいない。となると──、


 果たして氏はセックスにより生を実感できるのか。そしてその衝撃の結末とは。その目でとくと御照覧あれ‼︎


 ……というのがこのエッセイのあらすじです。


 いやほんとね、こんなの大真面目に書かれたらもう、私は両手をあげてこう叫ぶしかありませんでした。


 ──まさにオトコだぜ、霜月氏ィィ‼︎

 



>エロゲーはいいもんだよ


 さてザクッとあらすじを述べましたが、まとめますと、要は「氏は恋愛潔癖症に侵され、セックスだとか自分から女の子にアプローチするだとかは唾棄すべき低俗な行為」だと信じていて、しかし一向に彼女ができないことを鑑み、「もしかして自らの行動は間違っていたのでは?」と考え、いては「生を実感できないこと」を悩むまでになったんですね。

 時同じくして、氏は心のバイブルたるエロゲーと運命的な出会いを果たし、その素晴らしき世界にずっぽりと身を沈めていくことになりました。

 そして「何故エロゲーはこんなに素晴らしいのか」と考えに考え抜いた結果、ひとつの真実に到達します。


 それが「があるからエロゲーは素晴らしいんだ!」という絶対的で究極的なトートロジー的真理。


 つまりエロを知れば──、言い換えればセックスをしさえすれば生を実感できるかも知れない、と言うことに気がつくのです。そして抑圧されし自分を解き放った氏はそのままの勢いで、スマホにて性風俗店を検索。気がつけばその日の夕方には予約を完了していたというオトコっぷりを見せてくれます。


 いやぁ、トバしてますね。最高だよほんと!

 特に私が共感したのは「エロゲこそ至高」というこの考え。常人には何を言ってるのかカケラもわからないと思いますが、優れたエロゲのシナリオは、物書きを自称する者ならば一度は体験したほうがいい、否、体験しなければならない必修科目です。

 私は普段、他人様に対して「あれをしろ、これをやれ」なんて強い言葉は使わないよう心がけてるんですが、でもこれだけは強く言わせてください。


 ──keyのエロゲだけはやっとけ! これはガチ!




>keyのゲームはいろいろヤバい


 若干話は逸れますがこのkeyというゲーム制作会社の作品群はほんっとにヤバいくらいの出来で、私が今もこうして小説を書いているキッカケを作ったと言っても過言ではありません。

 シナリオはまさに至上、加えてBGMも神がかっていてですね、この歳になってピアノを始めたのはそのゲームのBGMを弾きたいから、という理由です(これもマジ)。


 とにかくkeyのエロゲにはですね、涙なくして語れぬ友情、引き裂かれようとも一途に相手を思う愛情、不安にゆれる感情、しかしきらめく純情、そしてめくるめく艶情えんじょう──と様々な要素があるんです。このまま語れば余裕で一万字超えるんでやめときますが、とにかくスゴいんですよこのゲームはマジで!

 氏と同じエロゲかどうかはわかりませんが(氏のエッセイにエロゲの作品名表記はない)、エロゲが素晴らしいことは身をもって体験していますので、ここは諸手を挙げて氏の考えに賛成するしかないんです。


 ……え? エロなしのギャルゲでも感動できるものはあるって? なるほど確かに仰るとおり。keyの「リトルバスターズ」なんてその通りで、あれは先に「全年齢対象版」が出てから後追いで「18禁版」が出た作品ですね。

 エロなしでも感動するってことは、エロは排除すべきである──フン、そんな考えは即刻ゴミ箱にブン投げなされ。

 いいかい? エロなしを至上とするキッズたち。エロってのはなぁ……、大人になった成長の証なんだよ‼︎




>まじめに考察


 さて少々アツくなってしまいましたが、氏のエッセイの素晴らしいところをもう少し掘り下げてみましょう。

 私はかねてから、「エッセイとは発露、つまり自らをさらけ出す文章である」と語ってきました。つまるところエッセイとは誰かに向けた自分語りで、その自分の弱さや欠点など、本当は隠しておきたいセンシティブな部分を外にさらけ出す行為こそ至高のエッセイなのである、ということです。


 人間とは元来弱い存在で、自分をより強く、より良く見せようとしがちです。しかしそれは「本当の自分」なのでしょうか?

 ──否、断じて否! それは本来の自分ではなく「自分が理想とする幻影」に他なりません。


 少しくらい自分を良いように見せたい。これは人間の自然な欲求ですが、それをやらずに本来の自分をさらけ出すのは、ちょっとやそっとの勇気ではできない行為です。つまり私が言いたいのはですね、「ありのままの自分をさらけ出すことが、本当の強さなのでは?」ということです。

 ありのー、ままのー、姿見せるのよーおぉー、ってヤツですね。


 氏の自己紹介がエッセイ冒頭に書かれていますが、「僕は欠陥だらけの人間だ」と、ご自分で評されています。これ、さらりと書かれていますが中々できることではありません。まずもって、ここが強いんです。成長するにはまず今の自分──、つまり何者でもない弱い己を認めなければならない。それがすでにできていることが凄いんですよ。

 氏の心の強さ、わかっていただけましたか?




>なぜ人は、エロを恥ずかしいと思うのだろうね


 さてそんなこんなで、氏は「恋愛潔癖症」を克服し、ついには性風俗店へ予約を入れた訳でありますが、ここから氏のエッセイはセンシティブさがより先鋭化します。

 一発アウトも見えてくるくらいに性描写キツメマシマシで、事実私もBANに怯えてビクンビクンしながらこれを書いてるんですが(言い方)、そもそもどうして人はエロを恥ずかしいものだと思うのでしょうね。


 カクヨムでも、えっちぃのは「性描写有り」のセルフレイティングをしてねって書かれてます。もちろんそれは苦手な方がいるゆえの配慮であり、性描写有り作品が苦手って方が多いのもわかります。わかりますが、しかし。エロは人間の三大欲求のひとつであり、人類の種の保存を考えると切っても切れない大変崇高な行いであるとも言えます。

 では何故「食欲」や「睡眠欲」はレイティングなしでいいのに「性欲」だけレイティングしなければならないのでしょうか。


 これは私見ですが、やはり「さらけ出し」に関係しているのではなかろうか、と思うのです。前段で私は「ありのままの姿を見せることが本当の強さ」だと力説しました。セックスとは、(基本は)お互いが素っ裸になって行う訳ですから、さらけ出しオブさらけ出しと言っても過言ではない行為。つまり自分の一番弱い部分を相手にまず見せるので、そりゃあ恥ずかしさが先に立っちゃう気持ちも少なからずわかります。


 ただ何度も言いますがそれをあえて「さらけ出す」のが本当の強さな訳です。つまりですね、セックス(=エロ)は別に恥ずかしくも何ともなく、いやむしろ積極的にさらけ出していくべきと私は考えるのですが、そうできない人たちが「エロは恥ずかしいことだ、大っぴらにしてはならないことだ」と声高に言うことで、さらけ出せない自分を正当化していると思うんです。これ、わかります? つまり本当に恥ずかしいのは自身をさらけ出さまいとする、エロを忌避する世の中の風潮そのものなんですよ。


 なので私は世間に言いたいのです。

 もっとだ。もっとさらけ出せ。己の弱い部分を認め、そこを前面に押し出せ、と!


 ただうっかり肉体の一部を物理的にさらけ出すと刑法174条の「公然わいせつ」に引っかかってマジ大変なことになりますので、皆様が出すのは「エロに寛容な心意気」だけにしといてくださいね。




>大人のお店の事情と情事


 さて前段では、「エロは恥ずかしくないもん!」を語りに語ってまいりました。何度も繰り返し言っているので、そろそろ皆様も「まぁ確かに。エロもある意味必要なことではあるよね」くらいの認識になったのではないでしょうか。

 氏のエッセイに話を戻しますと、ついにメインテーマである「大人のお店」の描写が始まります。そしてここでも氏の上質な「さらけ出し」、そして相手への「リスペクト」が美しく描かれています。


 詳しくは氏のエッセイを読んで頂くとして、ここではいくつかのパワーワードを説明するだけに留めましょう。


「黒髪和風歳上美人」「海沿いの温泉街」「湿った夏風」「チアガール」「巨乳」……うーん、センシティブ‼︎


 ここのお店の描写は本当に秀抜で、もはや雰囲気は純文学のそれであり、まさに氏の文章力の高さがうかがえる一幕となっています。


 ──僕は嬢に手を引かれながら、扉の前まで歩いた。女の子の手って、こんなにすべすべなのか、という軽い驚きを胸にしまって。(エッセイから抜粋)──


 あぁもう素晴らしいですね。この胸を締め付けられるような見事な一節! 今まで知らなかったことを知り、そして知ってしまったが故に「何か」を失った寂寥感。

 氏はこの後、もうひとつ「失う」というか「卒業」する訳ですが、その描写にも目をみはる素晴らしいものがあります。ここは是非とも氏のエッセイを読み込んで下さい!


 特に自らが童貞であると嬢に告げるくだりは、己の覚悟、決意、そして変わろうとする意志が感じられるこのエッセイのパンチライン!

 エッセイ冒頭で『好きでもない相手とセックスする輩は等しくクズである』と言っていた氏の精神的成長が見て取れ、それはまさしく「物語の主人公」に他ならない。だからこそ私は、氏にこの送辞を贈りたいと思うのです。


 ──ご卒業、おめでとうございます‼︎




>検証結果について


 さてこのエッセイはですね、「女性と肌を重ねることで本当に生を実感できるのか?」という深淵なる問いについて、自らの身をもって調べた検証エッセイの側面もある素晴らしいエッセイです。

 して、実際どうだったのか? どう感じたのか? そのお店での結末は……? と言うのはこのエッセイの真髄でもありますので、実際に読んで頂くしかありません。というか烏滸がましくも講評させてもらってるだけの私には、この「真髄」を語る資格がないのです。


 とにもかくにも読んでほしい。これは「僕は欠陥だらけの人間だ」と自己評価していた男が、勇気を持って「ありのままの姿」で一歩踏み出した結果、新たな世界に到達したという「成し遂げた男」のエッセイです。

 氏のように、自分が「欠陥だらけ」と思っている方にこそ読んで頂きたい。そしてその「欠陥だらけ」とは決してマイナスではなく、むしろ「未来への伸び代」だと言うことに気がついてほしい。

 本エッセイは、読む人に「勇気」を与える素晴らしい作品です。純粋にそう思える類稀な本エッセイに、私は「薮坂賞」をお贈りすると決めました。


 作者であられる霜月夜空氏に、今一度盛大な拍手を‼︎




>まとめと結び、そしてオチ


 そんなこんなで、霜月夜空氏のエッセイと同じ、いやそれより多い文字数で語ってしまいました。長くて申し訳ありませんが、これが私の嘘偽りのない、一切の忖度なし講評です。

 このエッセイには発露がある。若々しいリビドー、滾り迸る情熱、つまりは「ありのままの自分が素晴らしいのだ」というメッセージが込められているのです。

 もちろん万人受けはしづらいでしょう。センシティブなテーマにはつきもので、というかどんな作品でも万人受けすることは難しいものです。もしかすると、性風俗店というテーマによって、少数には忌避または冷笑されるかも知れません。


 ただそれが何だって言うんだい。私みたいに、本エッセイが心の奥深くにブッ刺さる人もいる。私も作品を書くとき、「誰か一人にでも面白いと思ってもらえればいい」という思いで書いていて、それが叶った時は無上の喜びを得られるものです。一人でも賛同する者がいれば、それでいいじゃあないか!


 加えてもうひとつ。このエッセイの結び──つまりはオチなのですが、これがまた秀抜で秀逸なんですよね。

 読み手としては大笑いしながら、書き手の端くれとしては上手すぎて悔しい思いをしてしまいました。


 私みたいに関西に住む人間は、誰かに何かを話す時には「オチ」を強く意識します。これは技術的な話なのですが、オチが素晴らしければ素晴らしいほど、その話は強く印象に残るからです。

 氏のエッセイの「オチ」は悔しいくらいに完璧で、ゆえに人々の記憶に強く残り続ける。読んでよかったなぁと思わせてくれる、冗談抜きに素晴らしいエッセイでした。このオチで笑わない人がいたら、それはそれで凄いくらいのね!




>最後にひとことだけ


 最後になりましたが、長い長い講評をここまで読んで頂き本当にありがとうございました。霜月夜空氏のエッセイについてありったけの愛を叫んだだけで、正直言って講評になっているか怪しいところもありますが、ご容赦頂けると幸いです。


 この講評を読んだ方々が「ありのままの自分でいいんだ!」と少しでも思い、自らをさらけ出す良い機会になればいいなぁと感じます。

 たしかに「ありのままの姿を見せること」は勇気のいる行動です。時には周囲から理解されず、冷たい視線を投げられることもあるでしょう。

 とまどい、傷つき、誰にも打ち明けずに悩んでいると、いつしか冷たい真っ白な世界でひとり、凍えることもあるかも知れません。


 しかしそんな時にこそ氏のエッセイを再読して頂きたい。性風俗店に行った話をこんな赤裸々に語る氏を見れば「これでいいの、自分を信じて歩き出そう!」と元気を貰えるハズです。

 そして最後にさっきから出し続けてる有名な歌の一節が勇気とともに思い浮かび、あなたの背中を優しく押すことでしょう。


 素っ裸で「ありのままの姿」をさらけ出していたとしても。





 ──少しも寒くないわ。


 



(薮坂)


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