ホリック

 耳に飛び込むジングルベル。

 目に飛び込むのは数え切れない光の粒とそれが織り成す海。

 真下に目を降ろすと、車のヘッドライトの光による川が暖かく美しく流れていく。

 どんなに技術が進歩しようと、芸術家の感性が磨かれようとこの景色だけは作れないだろうな……


 私は市内最大級と言われる商業ビルの26階ロビーからの景色に目を奪われながらも、何度か腕時計を確認する。

 待ち合わせは10分ほど過ぎている。

 相手は神木しず。

 私の部署の後輩で、私が指導係として日々一緒に仕事をしている。


 そして……私と彼女は人には言えない秘密を持つ。


 決して知られるわけにはいかない。

 それは舌がしびれるような甘い毒。


 クリスマスイヴの夜。

 すでに予約している、このビルの上階にあるホテルの一室で、私と神木さんはその毒を味わう。

 明日も一緒に休みを取っている。

 これからの時間を思うと心臓が心地よく高鳴り、目の前がクラクラする。

 私はそっと首のマフラーに触れる。

 何回も。


 その時、耳に聞きなれた声が飛び込んできた。


「すいません! 遅くなっちゃって」


 ロビーにヒールの音を鳴らしながら、神木さんが駆け寄ってきた。

 よほど急いできたのだろう。

 激しく息が切れているし、顔は火照って仄かに赤い。


「そんな急がなくてもいいのに。仕事、大変だったんでしょ」


 そう言いながらも、私の目は彼女の赤く染まった頬と唇から離れる事ができなかった。

 ぬめりを持ち、ぷっくりとした唇。

 それが私の肌を這い回るあの感触。

 いやおう無しに思い出され、気持ちの良い鳥肌が立つ。


「いいえ……全然です。絶対終わらせてやる、って。里見さんとの……イヴだから」


 そう言って神木さんは恥ずかしそうに微笑みながら俯く。


「いいって、夜は長いんだから。じゃあまずは夕食だね」


「はい! 所で……手……つないでもいい……ですか?」


「もちろん」


 手を出すと、神木さんは恥ずかしそうに私の手を握り、小さく滑らかな、そして冷え切った手の感触が伝わってくる。


 あんな事までしながらも、神木さんはまではこんな感じだ。

 彼女の中では驚くほど明確に……まるで二重人格であるかのごとく線引きが成されているようだ。

 元々、私のお願いから始まった事なので、それについては何も言えない。

 でも、このコインの裏表のような変化も、今では毒を楽しむ極上の砂糖。


「あの……所で、最近良くお話してる人って……」


 神木さんがおずおずと言う。

 ああ、彼女か。


「瀬川さんの事? 彼女は私の先輩。ずっと仕事を教えてくれててね。心から信頼してる人なの。今でも仕事の事をよく相談してる」


「へえ……仲、いいんですね」


「そうね。何回も一緒に旅行に行ったし、休みの前の日はお互いのマンションに泊まったりも……って、彼女、もう結婚してるから」


「やだ……大丈夫ですよ。そんなつもりじゃないです」


 それから予約したレストランでディナーのフルコースを食べ、仕事やお互いの冬の連休の過ごし方を話した後、ホテルに向かう。


 今から私はこの子に……愛する人に抱かれに行く。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 私たちの合図はホテルの、またはお互いの部屋に入りドアを閉めたときと決まっている。

 最初は私が今から、と言ってたけど最近はこういう形になった。

 こちらの方が自然にに入れるので嬉しい。


 ホテルの部屋に向かう間、神木さんはしきりに私の手を強く握ったり緩めたりする。

 手のひらが汗ばんでいるのが分かる。

 緊張しているのだ。

 彼女に無理をさせてるのでは、と思うときもあり聞いてみたことがあるが彼女ははっきりと否定した。


 この方が里見さんと心の奥まで繋がれる気がする、と。

 嬉しい。

 私もが一番自分をさらけ出せる。


 そんな事を考えていると、ドアの前に着いた。

 神木さんの手が今までで一番強く握られる。


 私はそれに気付かないふりをしてドアを開ける。

 そして、中に入りドアを閉める。


 神木さんが先に中に入り、振り向いて私を見る。

 そして、私のマフラーに手を当てる。


「おしゃれなマフラー。よく似合ってますね」


「うん、有難う」


「でも……もう巻かなくてもいいですよね? 外してください」


 丁寧だが有無を言わさぬ口調に、私はゆっくりとマフラーを外す。

 そして外し終わると、神木さんは私の首を見て薄く微笑んだ。


「よく似合ってます。ちゃんと着けて来て偉いですね……首輪」


 神木さんの視線の先、私の首には皮製の首輪が着いている。


「うん……だって、そうしろって……言われたから」


「でも、私を待ってる間も、食事の間もずっと着けてたんですよね? じゃあ自分も着けたかったんですよね?」


 その淡々とした口調に思わず俯いてつぶやいた。


「……見つかっちゃうかもって……怖かった」


 その途端、神木さんが首輪を持って自分の方に軽く引っ張った。


「でも外さなかった。里見さんは犬が着けるような首輪をして、あんな高級なレストランで食事して、こんなホテルに入って私に抱かれるんですよね? 犬みたいに鳴きながら。実は怖くなかったでしょ? 里見さん、変態ですもんね」


 その冷ややかな口調に身体がすくみあがってしまい、その場で肩をすくめる。

 でも神木さんはさらに続けた。


「入りなさい、ワンちゃん。可愛がってあげる」


 中に入ると神木さんは私の服を順に脱がせていく。


「変だよね。ワンちゃんって服なんて着ないのに。ああ、着てる子もいるか。でもこんなに沢山は着ないはずだから、ふさわしい格好にしてあげるね」


 そう言いながら産まれたままの姿になり、首輪だけをつけた私の前で室内のソファに座った神木さんはそっと言う。


「お座り」


 言われるままに彼女の足の前に正座する。


「うん、いい子」


 そう言いながら、神木さんはソファを降りて、私の首から胸元に指先を這わせていく。

 何度もそっと行き来する。

 その刺激は身体全体に津波のように広がり、思わず吐息と声が漏れる。


「犬ってそんな鳴き声したっけ?」


 そう言いながら、両手で私の身体を這い回る。

 その心地よさの波に頭がクラクラしていると、神木さんが首輪を強めに引っ張る。


「聞いてる? そんな泣き声したっけ……犬って」


「だって……無理……です」


「ふうん。飼い主の言う事聞けない犬にはしつけしないとね」


 そう言うと、神木さんの指先がさらにそっと触れた。

 身体の奥に妖しい快楽が津波のように覆いかぶさり、思わず甲高い声を上げて、その場にうずくまってしまった。

 力が入らない。

 ……お漏らししちゃった。

 でも神木さんは手を止めない。


「ワンちゃんって飼い主に忠実なんだよね? でもこのワンちゃんは他の人の方に懐いてるみたい。旅行とか……お泊りとか。厳しくしつけないと、悪さしちゃう」


 そう言いながら、手を止めない。


「ごめん……さい……もう、しま……せん。許して」


「犬は言葉なんてしゃべらないでしょ」


 そう言うと神木さんはさらに激しくしたので、また声を上げながらお漏らししてしまった。


「またそんなはしたない声出して……こんな困ったワンちゃん始めて見た。発情したメス犬」


 そんな神木さんの言葉を私は興奮でめまいがしそうな意識の中で反芻していた。

 私……ホントの犬みたい……首輪までつけて、お漏らししながら懇願している。

 許してもらうために。


 自分の尊厳をズタズタにされている。

 その事実を感じると、背筋に鳥肌が立ちどうしようもなくゾクゾクする。

 私……人間じゃない。犬よりも酷いんだ。

 

 だって、人間は好きな人の前で首輪なんてつけて、アチコチ触られて、挙句に二度もお漏らしなんてしない。

 そう言葉にして自覚すると、さらに妖しい快楽で身体の奥が熱くなる。

 

 どうしよう。

 飼い主様に冷ましてもらわなきゃ。


 私は這いつくばったまま神木さんに近づくと、太ももの奥をペロペロと舐めた。

 酷く汗ばんでいて、甘い汗の臭いが身体の奥まで入ってくる。

 その匂いにうっとりとしながら彼女の顔を見上げる。

 私の愛しい飼い主様を。


「……いい子。次は何をするか分かる?」


 私は無言で頷くと、神木さんの太ももから全身を舐め始めた。

 真っ白になる意識の中で夢中になって、彼女の匂いと汗、そして肌を味わいつくす。

 だって私は彼女の犬なんだから。

 ご主人様に甘えて、もっと可愛がってもらいたい。

 

 神木さんの甘い吐息と声が聞こえる。

 そして、激しく震えると私にグッタリと覆いかぶさり、顔を強引に持ち上げると激しくキスをした。

 何度も何度も。

 そしてそれが終わると、全身にキスをしながら繰り返し言う。


「あなたは私の物……他の人の物じゃない。絶対ダメ」


 私は何度も頷きながら、全身へのキスを懇願する。

 

 瀬川さんの事を言ってよかった。

 神木さん、こんなに激しくなるなんて……

 

 実は瀬川さんとは時々話す以外は完全に熱は冷めている。

 神木さんに出会う前は未練もあったが、今は全く興味なんかない。

 でも……ちょっとくらい……火を点けちゃってもいいよね。

 だって、こんなにお互い愛し合えてる。


 疲れきってベッドに入った私たちは、気を失うかのように眠った。

 そして目を覚ますと、隣の神木さんはすでに起きていて私の顔をやさしく見つめている。


「おはようございます」


「うん、おはよう」


「……どうします? 首輪……」


 私は恥ずかしそうに顔を逸らすと、ポツリと言った。


「お昼まで……いいかな?」


 私の言葉に反応し、神木さんは先ほどまでとはちょっとだけ違う口調で言う。

 私たちの特別な時間。

 その事を示す口調で。


「じゃあお風呂入る? ワンちゃんを綺麗にしてあげないと。お漏らしした悪い子だから、厳しくしつけもしてあげるからね」


 私は、身体がカッと熱くなるのを感じながら、無言で頷き神木さんの裸の胸に顔を埋めて頬ずりした。


 私たちの時間はまだ終わらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フェティッシュ 京野 薫 @kkyono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説