フェティッシュ

京野 薫

マーキング

「本当にすいませんでした! あんなご迷惑おかけして……」


 お昼休憩のため社員食堂でサンドイッチを食べていた私の向かいの席には、深々と頭を下げる4年後輩の神木しずがいた。

 その姿……愛嬌があって可愛らしい所謂「哺乳類系女子」の彼女は職場でも、男性社員を中心に隠れファンが多いことは知っている。


「いいよ、気にしないで。困ったときはお互い様でしょ。私だって神木さんに助けてもらってるんだから」


 ニッコリと笑ってそう返すと、神木さんはホッとしたような笑顔で再度深々と頭を下げた。 なぜか憎めないんだよね……

 そんな彼女の美点を、一部の女子社員は「あざとい」と言っているようだが、私は素直に彼女の才能だと思う。

 

 容姿や愛嬌、雰囲気も知性や運動能力と同じく才能だ。

 天からのギフト。

 持てる者に持たざる者はある地点から先には届かない。


 そして、私は私が決して持つことの出来ない魅力を持つ、彼女の事が大好きだ。


「ねえ、所で今夜空いてる? 美味しいウイスキーがあるんだけど、一緒に……」


 そう言うと、神木さんは僅かに頬を赤らめて頷いた。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 仕事終わりの夜。

 毎週金曜の夜は私にとって、たまらない至福の時間。

 このために私の生活はあると言ってもいい。


 それはもちろん、隣に居る神木しずの存在のせいだ。

 マンションの駐車場からエレベーターに乗っている間、神木さんは緊張しているのか表情が僅かに強ばっている。


「緊張してる?」


「あ……大丈夫です。あの……ドキドキしてるだけで」


「ふふっ、それを緊張してるって言うんじゃ無いの?」


「あ、そうですよね。すいません」


 顔を真っ赤にしてキョロキョロ左右を見回す神木さんの頭を優しく撫でる。


「大丈夫。気持ちのままにすればいい。私もあなたも……」


 そう言ってる間にエレベーターが止まり、自宅の前に着いた。


「あの……斎木先輩。……いいんですか?」


「何が?」


「え……こういう事……先輩みたいな人に……私なんかが」


「あなたがいいの。誰がいいかは私が選ぶ。あなたは嫌なの?」


 ああ、ちょっと強引な言い方になっちゃったかな……ごめんね。

 でも、私だって胸が高鳴っている。

 ちょっとくらい許してね。


「いいえ! そんな事……先輩は憧れの方でしたから嬉しいです。でも……だから余計に」


 不安そうにしている神木さんの顔がやけに愛おしくなり、エレベーターホールだと言うのに思わず頬にキスをする。

 驚いた表情で私を見るその顔もたまらない。

 私は神木さんの手を握ってちょっとだけ強引に引っ張った。 


「行こう。ここじゃ人に見られちゃうよ」


「……はい」


 ドアを開けて中に入ると、外界から隔絶された雰囲気に我慢が出来なくなる。

 

「ねえ……ここで……いいよね」


 神木さんは少し俯いていたが、やがてゆっくりと言った。


「はい。よろしくお願いします」


 私は自分の心臓の音まで聞こえるような緊張感の中、ゆっくりと神木さんの前に跪くと彼女のパンプスにそっと手を添え脱がせた。

 そして、そのままストッキングを……と思っていると、神木さんが冷ややかな口調で言った。


「足、疲れたんだけど」


「ごめんなさい。肩……使って」


 そう言うと、神木さんは私が手を添えていた左足を私の肩に乗せた。


「早くして。あなたってそんなノロマだったっけ?」


「ごめんなさい。すぐに降ろすね」


 そう言って私は神木さんの太ももに手を伸ばし、ストッキングを下ろしていく。

 そうしている間に自分の顔が酷く熱くなっているのが分かる。

 興奮しすぎているせいだろうか、手が震えてしまう。


 ストッキングを脱がし終えた彼女の素足は信じられないほど、綺麗で生々しかった。

 そして、彼女の甘い香りが鼻腔をくすぐり、頭がクラクラするのが分かる。

 その気持ちのままに、太ももを撫でる。


「そこじゃない。こっち」


 神木さんはそう言うと、足先を私の顔に突き出す。


「ご、ごめんなさい……」


「私、こっちの方が好きなの。私の好みを優先して。太ももはこの後で」


「うん。気をつけるね」


 私は神木さんの足先を、ガラス細工のようにそっと持ちながらつま先にそっとキスをする。 親指から一本一本。

 そこから足の爪も。

 職場では決して見ることの出来ない、神木さんの場所。

 そして彼女の一面。

 

 それを私だけが独占している。

 そしてそんな彼女に支配されている。

 

 跪き、頭を下げ、尽くして、謝罪して。 

 

 それはこの上ない敗北感と共に、あり得ないような甘美さを感じさせた。

 私は犬だ。

 神木さんの犬。


 そう思うと、彼女の全てが愛おしくてたまらなくなり、足の裏までキスをする。

 すると、彼女はそんな私の顔に足の裏を押しつけてきた。

 

「ねえ、この姿動画に撮って職場の人に見せようか」


「え……それは……許して」


「ダメ。我が部署のプロジェクトリーダーが、4年も下の後輩の足にキスしまくってるなんて、みんな大喜びするんじゃない?」


「ご、ごめんなさい。何でもするから……許して」


 そう言いながら、身体の奥がたまらなく熱くなる。

 ああ……今、この子に私の人生が委ねられてる。

 この子は私を破滅させられるんだ。


 そう思うと、自分の中のずっと奥がうずく……甘く熱く。


「許してじゃないでしょ。謝るときの口の利き方も忘れたの? 先週教えたばかりなのに」


「覚えてます。また……沢山、付けて下さい」


「じゃあ行きましょ。それからは言わなくても出来るでしょ?」


「はい」


 私は室内に入るとコートを脱ぎ、神木さんの前に立つと彼女に見てもらいながら服を脱いでいく。

 そうしながら職場での、愛嬌に満ちた優しくて可愛らしい神木さんを思い浮かべる。

 あの神木さんが、冷たい視線で私を見ている。

 まるで要らなくなったお人形のように。

 

 そう、私は彼女にとって消耗品。

 彼女の快楽のために用意された「モノ」なんだ。

 そう考えると、またジワッと身体の奥が熱くなる。


「もっとゆっくり。脱ぐの早い」


「ごめんなさい……このくらいでいい?」


「うん。さっきのじゃよく見えないでしょ。……いい子ね。先週のはちゃんと消えてる」


「……だって、誰にもさせてないから」


「そうね。褒めてあげるわ」


「……嬉しい」


 そう言うと、私は下着姿のままその場に立って神木さんの居るような視線を感じる。

 彼女の視線の先……私の胸やお腹、ふとももには神木さんが着けた歯形が無数に付いている。

 1週間経つのでほとんど消えかかってるけど、彼女のモノである証。

 それをまた更新してもらう。

 

 神木さんは立ち上がると、私の手を取り乱暴にベッドに向かう。

 そして、無言で私を押し倒すと、そのまま胸に噛みついた。

 肌を通して身体の奥まで痛みと……妖しい疼きが伝わるのを感じ、思わず声を上げる。

 

 彼女はそれに構わず胸からお腹まで噛み続ける。

 私はそうされながら、全身に鳥肌が立つ。

 目の前の景色が鮮明だ。

 まるで極彩色のように……


 マーキング。

 自分が彼女にマーキングされているんだ。

 私は……この子の……


「ねえ、あなたは誰のもの?」


「神木……しずさんの物です」


 神木さんは何も言わずに今度は私の太ももに噛みついた。

 彼女の柔らかい唇と舌の感触が肌を伝い、その直後に感じる歯の固さと痛み。

 そして、焼けるように熱い吐息……

 それらは泣きたいくらい心地よくて、彼女がまた胸に噛みついたとき、思わず強く抱きしめた。


「好き……大好き。神木さん……愛してる」


「私も……好き。私だけのものだからね。一生、私の物だから」


「はい! 私は……神木しずさんの物です。いつでも……ずっと。だからもっと痕をつけて……下さい」


 神木さんは私を強く抱きしめると、肩に噛みついた。

 彼女の素肌の柔らかさと温もり、そして吐息を感じ涙が出てくる。


 大好き……大好き。

 もっと愛して。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


「すいません。肩に……大丈夫ですか」


 お互いシャワーを浴びた後、神木さんは不安そうに私の肩に付いた歯形を触る。


「大丈夫よ、絆創膏で隠すから。いよいよとなったら彼氏に着けられた、って言うし」


「えっ!? 彼……氏」


「ふふっ、いないに決まってるでしょ。嘘も方便」


「あ……」


 神木さんはホッとしたように微笑んだ。


「に、しても次からは気をつけてよ。さすがに何カ所もあったら職場で変な噂になっちゃう」


 冗談っぽくムッとした顔で睨むと、神木さんは肩をすくめてペコリと頭を下げた。


「絶対、絶対気をつけます。斎木さんに変な噂が立ったら、私生きていけない」


「大げさね、生きててよ。付き合って半年の彼女に死なれたら、洒落になんないじゃん」


「すいません……」


 私は神木さんの頭を撫でると、軽く頬にキスをして言った。


「さて、何か食べようか? と、言っても冷蔵庫にあまり入ってないんだよね……土曜日だ日、せっかくだからカフェにでも食べにいく? それから……S県にでもどうかな? あなたの行きたがってたガラス工芸の美術館。私も行きたいな、って思ってたから」

 

 そう言うと神木さんは表情をパッと輝かせた。


「はい! ぜひぜひ。うわあ……斎木さんとずっと行きたいなって思ってて……嬉しい!」


「私も嬉しいよ。じゃあ着替えよっか」


「はい!」


 私たちの愛の形。

 色々と異なるのは分かっている。

 でも、私にとっては大切な大切な形。


 世界はこんなに輝いている。

 きっと彼女とならこれからももっと輝いてくれるだろう。

 そう思いながら、胸についた彼女と私の愛の痕をそっと撫でる。


 それは軽い痛みと共に、じわじわと湧き上がる喜びをもたらしていた。


【終わり】 

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フェティッシュ 京野 薫 @kkyono

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