死がふたりを分かつとも

 ***


 湖畔に日が沈む。ほのかな光に照らされて、草むらがくすんだ色に染まった。

「巫女としての特性を知ったのは、最初に死んだときだったよ」

 さざ波が立つ湖面の奥を見つめ、目を細める。

「私はおのれを殺した者の肉体を乗っ取り、生き長らえる宿命らしい」

 生ぬるい風が吹き、肌にまとわりつく。

 あたりが冷え込み、ペネロペは肩を縮めた。

「あなたはそれをよしとしたんですか?」

 相手は黙って首を横に振った。

「あの子が死んだとは受け入れたくなかった。すぐに魂を探して、旅に出たよ」

 だけど、ロゼの影は形も残されていなかった。

 視線を下げるとルナの横顔に影が掛かる。

 ペネロペは静かに話に耳を傾けていた。

「あの人はもう、戻らない」

「結局、救えなかったんだよ」

 胸の空白に、すとんと落ちる言葉。

 彼女の髪だけが無音で揺れていた。

「果たして本当にそうでしょうか?」

 希望はなかったのか。

 そうは思わない。

「ロゼは巫女を思い、慕っていた」

「自分から口にすると気恥ずかしいが」

 ルナは頬をかきつつも、うなずく。

「ならば彼女は大切な人のために身を捧げた。言い換えると、あなたと一体になりたいと願った。違いますか?」

 真顔で口に出し、じっと女性の目を見つめる。

 ルナは口をかすかに開けて、硬直した。

 凪いだ景色をさらりとした風が循環する。

 ひんやりとした沈黙が下り、夜の帳も降り始めた。


「ずっと、考えてたんだ。どうして攻撃をかわせなかったんだろう……って」

 虚空を見つめ、眉間にシワを寄せる。

「彼女の持つ熱があまりにも強かったものだから」

 過去の罪を吐露するように、彼女はこぼす。

「受け止め、抱きしめたかった……」


 なぜ目をそらせなかったのか。

 逃げることができなかったのか。

 ようやく全てが解ける。

 その違和感こそが真実を示していた。


「そう、ならば彼女は他者を愛せたんですね」

 なにげなく口にした言葉を拾って、女は肩を震わした。


「ずっと思い悩んでいたようだったよ。他者を犠牲にして生き残った。我が身可愛さで逃げてしまった、とね」

「それは自身のせいではないのに?」

「彼女からしてみれば、違うんだ。彼女は誰かを思うことも、優先することもできない。矮小な性根の持ち主だって、自覚していた」

「あなたは、否定したのですか?」

 温度もなく問いかける。

 相手は湖の前から動かない。

 ただまっすぐに前を見つめる。月がシャープな輝きを放っていた。

「伝えられたらよかったな。ほかでもない私の言葉で」

「あなたの、巫女としての姿で」

「それがたとえ最期だけでも」

 薄闇の中、声だけが響いた。


「それでも、私はロゼと共に生きるよ」

「あなたにできることは、それだけだから」

 ルナは張り詰めた顔で笑みを作り、うなずく。


「一緒に、彼女が見たかった景色を焼き付けると決めたんだ」

 月明かりの下で、より一層力強い目をして。


「それならば、私が出る幕はありませんね。邪魔者は退散しないと」

 もう役目は終わった。

 スタスタと歩き出したペネロペを、女性は目で追う。

「それではごゆっくり。夜の荒野であろうとも二人でなら、寂しくはないでしょう」

 簡単に挨拶をする。返事はかえって来ない。

 草原を越えて、宿のある方角へ。もう二度と会うことはないと思いながら。





 早朝。記者を乗せた馬車が遠ざかり、山の向こうへ消えた。

 巫女はこそこそと草原を渡り、湖畔に現れる。

 青く澄んだ水面は凪ぎ、ひんやりとした空気で満ちていた。

「ねえ、ロゼ。私は暗い道で君を見つけたとき、奇跡だと思ったんだ」

 淡い声音が宙に溶ける。

「完結して終わったはずの白紙のページに、続きが浮かび上がった気がして」

 頬を高くしながら、彼女は続けた。

「たとえ死がふたりを分かつとも」

 もうロゼの魂がこの世にはないとしても。

「私が歩く限り、君はそこにいる」

 目を閉じ、胸に手を当て、重ねる。


 やがて彼女はまぶたを開け、顔を上げた。桔梗色の空へ手を伸ばす。

「君の魂も同じ輝きを見ていることを祈ろう」


 さっぱりとした風が背中を押す中、彼女はもう一度、歩き出す。

 希望の光は燦々と大地を照らしていた。

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暗夜に月光が降り注ぐと、ミステリーの匂いがする 白雪花房 @snowhite

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