月夜の真相
北から出発してから数ヶ月が経った。
ガタンゴトンと馬車が通り、ヒヒンと馬が嘶き、停止する。
曇り空の下、スーツスカート姿のペネロペが降り立ち、宿に入った。
とぼとぼと廊下を渡る。薄っぺらい戸を開け払い、部屋の内側で肩を落とした。
はぁ……。ため息をついたとき、背後にひんやりとした気配が立つ。
「おかえりなさいませ。収穫はありましたか」
「うわっ、いきなり来ないでよ」
廊下に白い影が浮いていた。半透明に揺れる姿は明らかにゴーストの類。オーナーだと分かっていても、ゾクッとする。
「また振り出しよ。あの女、神出鬼没にもほどがない?」
「あら、国内一周おめでとうございます」
「人の話聞いてた?」
煽っているのだろうか。
訝しむように目を細めると、相手は白いシルエットを揺らして、笑い始める。
「聞いてますよ。だからスペシャルゲストをお呼びしました」
紹介と同時、パンプスを踏み出す誰か。足元で白いワンピースが揺れる。堂々と背筋を伸ばした立ち姿。
「久しぶり、いままでなにをしていたの?」
場違いなほど明るく気安い態度で、手を上げた。
「あなた、誰ですか?」
反射的に問いかける。ペネロペは眉をしかめ、目をつり上げた。
「ひどいな。私はロゼだよ」
「そのような関係でしたっけ?」
「細かいことは気にしないでよ。あなたに会いたかったのは事実なんだしさ」
話が噛み合わない。
目の前の女は誰だ……?
「私について知りたいんでしょう。もし、君がいいというのなら、外で会おう。まだ明るい時間にね」
よどみなく話すと、手を振って離れていく。まるで嵐のようだった。
なにがなんだか分からないが、受けて立つ。
約束の通りに外に出ると、こんもりとした森を背景に、ワンピース姿の女性が待ち構えていた。
「安心して。危害を加えることはないから」
柔らかな表情で訴えかける。相手は勝手に歩き出した。
「それでは行こうか。とっておきの場所まで案内するよ」
清廉な背を追いかける。
「彼女と出会ったのは暗い道の途中。とある村から伸びる場所でね。それから二人で色々な場所を巡ったんだよ。だけど、彼女の笑顔を見ることはなかった……」
唯一の未練をこぼすように、ロゼは語った。
草原を横切る。
たどり着いたのは湖だった。陽光を浴びて輝く水面。
「ここまで君を案内したのはほかでもない」
湖へつま先を向ける。水面に身体を近づけると、透き通った水面に、薄っすらと煙のようものが立ち上った。
映ったものは、彼女自身ではない。手配書の男性クルーズでもなかった。
交衿をまとった神秘的な装い。ロゼと二人で並べば姉妹のように見えたであろう。
「私は、巫女。ルナっていうんだ」
顔を上げる。彼女の瞳は涼やかな光を放っていた。
「安心して。全部、話すから」
***
月夜。漆黒の闇に、揺れる刃が浮き上がった。
「お前は仇よ! 下手人は下手人らしく、血に沈め!」
ギラリとした眼光がほとばしる。裾がギザギザのワンピースを羽織った女は、ナイフを敵へ突きつけた。
バルコニーの前に立つ男は白々しく肩をすくめる。
「らしくないね。私が彼ではないことくらい、とっくに分かっているだろう?」
諭すような口調だった。
「それに」
「彼女を見殺しにしたのは、あたしのほう」
言葉を被せて繰り出した。震える声。彼女はよろよろと腕を下ろした。
クルーズは口を閉ざし、眉を寄せる。思うところがある顔だった。
「あたしはね、自分だけ走ったの。庇ってくれた人、助けてくれた人、立ち向かっていった人……。みんなを置き去りにして、一人だけ」
平静に戻って、うつむく。
「いい人たちだって分かってた。どこにも居場所がなかったあたしを、みんな匿ってくれた。あなたは、あなたたちは、灰色の人生の中で唯一見た光だったのよ」
苦々しい気持ちを噛みしめるように、うつむく。
でも、彼女は見捨ててしまった。自分だけが助かるために。
「この罪悪感はきっと、自己憐憫。悪を自覚することで自分は悪くはないって、言い聞かせたいだけ」
重たい沈黙が降りる。
クルーズは眉尻を下げた。涼やかな横顔を月の光が照らす。
「君が暗闇に留まるのは過去を引きずるからだ。私を殺せば、気も晴れるのか?」
さらりと、なんでもないことのように、提案する。
ロゼはあえて触れなかった。
「本当はそうするつもりで同行したのよ。でも、あなたってば明らかに雰囲気が違うじゃない。すぐに中身は別物だと気付いたわ」
横髪を揺らしながら、彼女は口を動かす。
「開け、扉」
ロゼは虚空より手鏡を呼び出した。
くるくると回転し、持ち主のほうを向く。
口を引き結び、覗き込んだ。映ったのは、純白のドレスをまとった少女。顔立ちは本人と同じだけど、雰囲気がピュアだった。
「さあ鏡、真実を映し出しなさい。あなたも直視すれば否定できなくなるわ」
バンッ!
勢いよく反転、鏡を真正面に突きつける。
銀の面には清廉なる巫女がくっきりと映り込んでいた。
男は口を閉ざし、立ち尽くす。
「今でも覚えている。あの皆殺し事件であたしを庇って死んだお姉さん。あなたなんでしょう?」
語りながら声が乱れ、身震いした。
「ずっと会いたかった。ごまかさなくたって匂いで分かる。あなたはそこにいると」
甘ったるい空気感。薄明かりがムードを加速させる。
次の瞬間、ロゼはダークパープルのオーラをまとい、据わった目つきへ変わった。
「それでも今この目で見たいのはあなた、あなたなの!」
鋭く尖った切っ先を男へ向ける。
相手は目をそらさない。
「あたしの一族は生涯に一度だけ、殺人を犯す。そのときにだけ大輪の花を咲かせるのよ」
声が荒ぶる。張り詰めた空気。斜めに鋭い風が吹き込む。
「さあ、今から解放してあげる!」
ドスのきいた声。逃がす気はない。
「殺したいのなら、殺せばいい」
彼は腕を下げた。
本当に惜しく思うように、彼は目を伏せる。
「だけど、君と同じ場所へは行けない」
確信を得た言葉だった。
女は歯を食いしばり、力いっぱいにナイフを振り下ろす。斬撃。鋭い音。鮮やかな赤の飛沫。丸い月にかかり、赤く染めた。
静寂があたりを包む。空の鏡だけが一部始終を見守っていた。
戸の前に死体が落ちる。位置が入れ替わったが、不思議と混乱はない。
物言わぬ骸を見下ろす。すでに魂は消えた後だ。
手のひらの中で粒子に溶ける武具。宝石を削った滓のようだった。
冷たく息を吐き、腕を下ろす。すでに女の気配は別物に変わっていた。さらに冷涼で、乾き果てる。
「だから私だけは、殺させてはいけなかったのに……」
淡い声音が闇夜に、ぼんやりと溶けて消えた。
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