花束を抱えて
三上アルカ
花束を抱えて
私は、「〇〇の日」の花屋を眺めるのが好きだ。
母の日、父の日、敬老の日、クリスマス。
そういった記念日を、花屋では「
何でもない日に花屋に立ち寄り、花たちを見るのもいいものだ。心が洗われて、清々しい気持ちになる。
でも、記念日に花束を買いにくる人たちを見るのは、それとは違う快さがある。自分まで幸せな気持ちになれるのだ。
今日は11月22日。
いい夫婦の日。
私は、記事の執筆をいったん切り上げて、夕方から出かけた。
PCを抱えて、馴染みのカフェを訪れる。
花屋を眺めるためで、物日にはよくそうする。
そのカフェはガラス張りになっていて、通りが見える。ガラスに面したカウンター席に座ると、向かいの花屋が見える。花屋もガラス張りだから、店先だけでなく、店内の花や、その奥にいる花屋の主人まで目に入る。
あふれるような花々に心を躍らせながら、温かいカフェオレを口にふくんだ。
6時を過ぎて、空はとっくに暗い。
通りを歩くトレンチコートのOLさんが肩をすぼめていて、いかにも寒そうだ。
彼女はピカピカしたヒールブーツを履いていて、ラクだからとフラットブーツを買うようになった自分は、もう若くないと思う。
マグカップで手をじんわりと温めながら、通りを見つめていると、スラッとした中年男性が花屋に入った。すぐにオレンジ色のフラワーアレンジメントを抱えて出てくる。予約していたんだな、と思う。
彼が出るのと入れ替わりに、マフラーを巻いた若い男性が入店する。花屋の主人とやりとりし、ピンク色の花束を持って出てくる。その次の、ロマンスグレーの初老の男性は、紫色の花束。
入れ替わり立ち替わり、お客さんが訪れる。
この時間はちょうど、定時で上がれたサラリーマンたちが、花を買って家に帰るタイミングなのだ。男性が多いが、女性もいる。みんな、大切な人に花を贈るのだ。そう思うと、温まった手のひらのように、心が温かくなった。
お盆と正月や入学・卒業シーズンといった繁忙期を除けば、ふだんの花屋には、ゆるやかな空気が流れていると思う。でも、今日はめまぐるしい。ひげを生やしたずんぐりむっくりの主人が、大忙しで花束を作っている。
いつ見てもくまさんみたい。
つい、ふっとほおがゆるむ。
7時になると、先ほどまでの客入りは収まり、ピークは過ぎたようだった。
この花屋は、ふだんは7時で閉店だが、物日には1時間延長して営業する。仕事などで遅くなった人が、まだ来るのだろう。
――そうだ、私も仕事しなきゃ。家で書きかけのまま、出てきちゃったんだ。
ノートPCを開き、作業中のファイルを開く。先日インタビューした女性アーティストの記事だ。
ニューシングル『星の降る場所』がオリコン一位を達成したため、特集を組んでいるのだ。
文章を読み返していると、カフェの有線から、その新曲が流れ始めた。
気分がのってきたぞ。
おかわりのカフェオレを頼み、キーボードをたたき始めた。
筆がのり、夢中で書いてしまっていた。
花屋を見るとまっくらで、もう閉店していた。
ポンと肩をたたかれ、振り返る。
花屋のエプロンを外した主人が、白色のフラワーアレンジメントを抱えて立っていた。
「遅くなってごめんね。きみのぶんだよ」
「ありがとう、あなた」
花束を抱えて 三上アルカ @mikami_ark
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