鴨すらも  〜悲しい真比登〜

加須 千花

酒肆にて。

 奈良時代。


 陸奥国みちのくのくに多賀郡たがのこほり多賀郷たがのさと


 午はじめの刻(午後1時)。


 国府こくふ(国の役所)の大通りに面した酒肆しゅし(飲み屋)は、日が高いうちから、百姓ひゃくせいや役人、おもにおのこたちでにぎわっている。

 酒肆しゅしといっても、日が落ちれば営業は終わる。

 高価な蝋燭ろうそくを使い営業するのは、割にあわない、というより、不可能だし、そもそも、暗くなる前に、お客は皆、家に帰ってしまうからだ。

 例外は遊浮島うかれうきしま(色里)だけだ───。


 さて、酒肆しゅしの一角で、十人の、年齢のまちまちな男たちが、食事と浄酒きよさけを楽しんでいた。


 彼らは、今日は非番で、よろいは身につけていないものの、鎮兵ちんぺい

 ここ陸奥国みちのくのくにで、まつろわぬ蝦夷えみしを警戒するために存在する、兵士だ。


 今日は、非番の者達だけ集まって、新入りを歓迎するべく、酒肆しゅし(飲み屋)に来ている。



     *   *   *




(兵舎の外で飯を食べるのは、久しぶりだな。)


 二十六歳の真比登は、ガヤガヤとしたにぎわいを、好ましいと思う。


 新入りの鎮兵、丸い顔、ちっちゃい目、お腹のぷりっと突き出た久自良くじらが、


真比登まひと、強いですねぇ。こんなにカッコイイおのこを見たのは初めてです。しかも、話しやすい! 大毅たいき(団長)なのに、威張ってない!」


 と、真比登を、する。

 真比登は、白い直垂ひたたれ(布)で隠した顔半分で、


「はは……。おべっかは必要ないさ。」


 と、困ったように笑った。

 白い直垂ひたたれを顎までたらし、左の半顔を完全に隠しているのは、左頬に、醜い疱瘡もがさあと───。恐ろしいえやみに罹患したあとがあるからだ。


 筋骨たくましい真比登は、今は健康そのものだ。真比登から、えやみはうつらない。

 それでも、人々は、疱瘡もがさあとから、悪いモノが感染するのではないか? と、疱瘡もがさを見ることも忌避きひする。


 真比登が素顔をさらして、この酒肆しゅしにいたら、素朴な郷人さとびとの客で盛況してるこの酒肆しゅしは、今より静かになり、何人かは、顔を曇らせ、酒肆を出ていってしまうだろう───。


 久自良は小さい目を丸くし、


「おべっかじゃないですよ。本心なんだけどなぁ。真比登は婚姻してますか?」


 スパンと訊ねた。真比登の隣に座った、少毅しょうき(副団長)、五百足いおたりが、


「久自良。」


 と怖い顔でいさめる。


「へっ? ……あれっ?」


 久自良は、訊ねたらまずかった? と、焦った顔をした。表情がわかりやすい。

 真比登は、チョビ髭を生やした五百足いおたりに、


(怖い顔すんな。いいから。)


 と目配せし。


「してないよ。コレだからね。」


 と、久自良を安心させるように笑顔を向け、自分の左頬を、直垂ひたたれのうえから、トン、トン、と指さした。


「あ、う……、コホン。」


 久自良はわざとらしく咳払いし、


「聞いてくださいよ、オレの妻がね、ここの兵舎に来れて良かった、追い出されないように、エライ人の妻に贈り物をするべきだって言うんですよ。

 そりゃ、妻同士のつきあいってものもあるか、とオレはひとまず納得したんです。

 それにしても肝心の、贈り物は何にする気なんだ? 

 何か金目の物でも贈るつもりか、抜け目のないヤツ……、と、気になって訊ねたら、妻は、なんて言ったと思います?

 ナズナの葉っぱの漬物を壺いっぱいに贈るって言うんです。

 そんなので気に入られるんなら、世話ないですよねぇ?」


 はははは……。


 皆、明るく笑った。


「ということで、五百足いおたりは……?」

「オレも婚姻はしてないが、ナズナの葉っぱの漬物なら、ありがたく賄賂わいろとしてもらっておくぞ?

 自分で食べる。」


 はははは……。


 また、笑う。


 久自良くじらは楽しく談笑しながら、真比登を、ちらっと見た。

 独身なのは、もったいないな、という目で。


「きゃっ!」


 ───ガチャン。


 近くの席から、若いおみなの小さな悲鳴と、土師器はじきが割れる音がした。


「おっ、姉ちゃん、オレの衣が浄酒きよさけで濡れちゃったじゃないかぁ!」

「どうしてくれるんだ!」

「あたしの尻触ったからでしょ! 酔っ払いタコめ!」


 酔っ払い男、四人が、給仕の女……、十六歳くらいの女に絡んでいる。


「でへへ……、生意気な女だな。脱げよ。」

「そいつはいいぜ。でへでへ。」

「きゃあっ!」


 女が手をひかれ悲鳴をあげた。


(見てられん。)


 真比登は立ち上がり、くるり、と振り返り、


「ここは遊浮島うかれうきしま(色里)じゃないだろ? 手を放して、おとなしくしとけ。」


 冷静に注意した。


 酔ったおのこの一人は、真比登たちが全員、立派な体格、百姓ひゃくせいではない鋭い眼光なのを見て、ただ者じゃないと判断したのだろう、


「おい……。」


 と仲間に声をかけるが、


「このおみながオレの衣を濡らしたから、このおみなの衣で拭くのさ。おまえは、すっこんでな。でへへへへっ。」


 衣を濡らした男は、おみなの手を離さない。


「助けてっ!」


 なかなか可愛らしい顔立ちの若いおみなは、目を潤ませて真比登に助けを求めた。

 真比登は素早く動いた。

 すっ、と男の肩に密着するほど近くに行き、男が驚きとともに振り返る前に。

 トン。

 首に手刀。


「きゅう。」


 衣を濡らした男は気絶した。

 真比登は、この店の皿などが割れないよう、襟首をつかまえ、綺麗に床に寝かせる。


「てめえっ!」

「やりやがったな!」

「やってやる!」


 真比登は、鎮兵八百人の勝ち抜き戦で、頂点に立つ強さである。

 このような酔っ払いたちは、真比登の敵ではない。


 真比登は、殴りかかってきたおのこをひらりとかわし、知己ちきに挨拶でもするように肩に片手をおき、腹に拳を打ちこんだ。


「ぅぐ!」


 おのこは気絶した。

 真比登は生まれついて怪力であり、拳ひとつで、大の男をふっとばせる。

 ここでふっとばすと、まわりに被害がでそうなので、ふっとばさない為、肩に手を置いている。

 そのまま、床にすとん、と寝かせる。


「はぁっ?」


 おのこの仲間は、たった一発もらっただけで気絶し寝かしつけられたおのこを見て、信じられない、という声をだした。

 真比登は、そのおのこの肩に手をおき、側頭を殴りとばした。

 気絶しないけど、頭が揺れて立っていられないほどの衝撃で。

 おのこはうめき、自分でおとなしく床に座った。


「野郎!」


 真比登は、懐から刀子とうす(ナイフ)を出してつっこんできた三人目の首に手刀を叩きこみ、床に寝かせた。

 軽く散歩でもするような足取りで、かかってきた三人をすべて、片付けた。

 店の皿は割れていない。


 真比登の鎮兵仲間は、皆、ニマニマしつつ、これを見物していた。

 真比登の強さを見れるのが楽しく、彼の圧倒的な強さが誇らしいのである。


 真比登は一人だけ残った、棒立ちの男を見た。


「な、何者だあんたら?」

鎮兵ちんぺいだ。」


 真比登は直垂ひたたれで隠されていないほうの右目で、ジロリ、とにらみをきかせて言った。


「あわわ……!」

「飯が不味くなる。自分たちの飲食代を置いて、とっとと帰れ。」

「はい、すぐに。やぁ、鎮兵の皆様には、いつも郷を守ってもらってありがたいことです。お疲れさんです。やぁ、立派だなぁ。」


 べらべらべら……、男は早口でご機嫌とりをしながら、財貨を机の上におき、しゃがみこんだ仲間を立たせ、気絶した仲間をおこし、肩を貸しながら酒肆しゅしを出ていった。


 見物していた真比登の仲間だけでなく、まわりの知らない客たちも、ぴゅうッ! と口笛を吹いたり、拍手をして、


「やるなあ!」

「さすが鎮兵!」

直垂ひたたれの兄ちゃん、強いねぇ!」


 と喜んだ声をあげた。

 酒肆しゅしの主がでてきて、ぺこぺこ、頭をさげた。


「助けていただき、ありがとうございます、これはうちの娘でして……。」

堅魚売かつおめです。

 助けていただき、ありがとうございました。

 なんて立派な益荒男ますらおぶり。お名前を聞かせてもらえますか?」


 ぽっ。

 黒髪が艶つやとし、肌の色も白い堅魚売かつおめは、頬を赤らめて、うっとり微笑みながら真比登を見た。


 どきっ。

 真比登まひとは、いきなり、心臓しんのぞうが跳ねた。


 目の前では、なかなか可愛い顔立ちの若いおみな堅魚売かつおめが潤んだ目で真比登を見つめている。


 真比登、二十六歳。


 彼は疱瘡もがさのせいで、おみなの手も握ったことはなく、清い身体だったのである!


(落ち着け、落ち着け……。)


「あ、う……。」


 彼は疱瘡もがさのせいで、おみなとまともに喋れなかったのである!


「う……。」


 真比登は汗をかいた!

 ダラダラかいた!

 見かねたチョビ髭の五百足いおたりが、椅子に腰掛けたまま、


「真比登ですよ、娘さん。」


 と助け舟を出してくれた。


「真比登。お隣でおしゃくをさせてくださいな。」


 微笑む堅魚売かつおめが、すすっ……、と真比登ににじり寄った。


 どきーん!


 真比登は真っ赤になり、照れた。汗はやまない。


「お、お酌……?!

 おしゃおしゃ、お酌っ?!」

「まあ。こんなにたくましいのに、女にはウブなのね。うふん。」


 女の十六歳といえば、ちょうど夫を得はじめる歳であり、未婚であっても、男を知っていてもおかしくない年齢である。普通だ。


 堅魚売かつおめが、すっ、と真比登の右腕に、衣の上から触れた。


「ンまあ。腕が、ふっとい。」


 どきどきどきーん!


 真比登の心臓しんのぞうが激しく脈打った。

 真比登は気恥ずかしく、身体を縮こまらせながら、目をそらし、


「じゃ、あの……。お、お、お願いし……。」


 そこで。


 店の外から、ぴゅうっと風が吹いた。


 風が吹いて、真比登の直垂ひたたれを、ふわりと持ち上げた。

 そこには、隠された疱瘡もがさがあった。


「───きゃあああああ! いやーっ! 疱瘡もがさ!」


 堅魚売かつおめは顔に恐怖をうかべ、頬を両手でおおって悲鳴をあげた。


「あ。」


 真比登は、直垂を手で押さえるが、もう遅い。


「なに、疱瘡もがさ?」

疱瘡もがさ持ちかよ……。」

けがらわしい。」


 まわりの客がヒソヒソ言い、何人か、机に財貨を置いて席をたち、酒肆しゅしを出ていった。


 酒肆の主が困った顔で娘を抱きしめ、堅魚売かつおめは、


「さ、触っちゃった! 触っちゃったわ! いや! いやぁ! 親父ぃ。いや───っ!」


 と泣き叫んだ。

 新入りの久自良くじら呆然ぼうぜん堅魚売かつおめや、まわりの客を見て、


「ひでぇ……。」


 とつぶやき、五百足いおたりが、


「おまえらッ!」


 と顔に怒気をのぼらせて倚子を立ちあがった。


五百足いおたり、やめろ。良い。……オレのぶんの支払い、頼んだ。」


 真比登はそれだけ言って、逃げるようにその場をあとにした。



    




 このような扱いは、初めてではないのだ。






   *    *   *




 かもすらも  おのがつまどち


 あさりして


 おくるるあひだに  ふといふものを




 鴨尚毛かもすらも 己之妻共おのがつまどち

 求食為而あさりして

 所遺間尓おくるるあひだに  戀云物乎こふといふものを





 鴨すらも、妻とよりそい、食べ物を探し、妻がちょっと後を遅れただけで、恋しがるというのに。





    万葉集  作者不詳




     *   *   *




 真比登は一人、多賀郷たがのさとを歩いた。

 いちは、いろんな品物が並び、人で賑わっている。


「あーあ……。今日のはこたえたな。」


 池が見えた。

 のどかに陽射しが水面に反射してる。

 真比登は、池のほとりに腰掛けた。


「あーあ……。オレだって妻が欲しいよ。おみなとさ寝してみたい。」


 でも、ダメなのだ。真比登の疱瘡もがさを見ると、おみなはああなるのだ。

 遊浮島うかれうきしま遊行女うかれめでさえ、そうだった。

 ずっと昔、ねずみのように泣いて逃げまどった遊行女うかれめを、まだ真比登は覚えている。


 今日の女は、その、鼠みたいな遊行女うかれめに、そっくりだった。

 つまり、恐怖にゆがんだ、悲鳴をあげる顔が。


「ふふっ。オレは何もしてないのにな……。」


 寂しく笑う真比登の目に、池を泳ぐ二羽のかもが見えた。

 きらきら輝く水面で、二羽は前と後ろに並び、ぴったり離れることなく、時々頭を水面に落としながら、ゆっくり泳いだ。

 後ろの鴨が遅れた。

 前をゆく鴨が首をめぐらせ、クア、と鳴いて、後ろの鴨を待った。

 再び、二羽は寄り添い、仲睦なかむつまじく泳いでゆく。


「…………。」


(鴨ですら、夫婦めおととなり、寄り添いあえるというのに、オレは、寂しいなぁ。)




   *   *   *




 二年後。


 陸奥国みちのくのくに桃生柵もむのふのき(桃生城)。


「あ、猫だ。」


 大きな岩に、ちょこん、と据わって、日向ぼっこする、白と、黄色と、土器かわらけ色の猫が、そこにはいた。


 あいかわらず、おみなには清いままの真比登は、挂甲かけのよろいをガシャガシャいわせながら、赤土の道にしゃがみ込む。


「な? おまえ、麦刀自むぎとじだろ。オレのこと、覚えてる?」


 真比登は、幼い頃、猫の麦刀自むぎとじのおりをおおせつかって、ここ、桃生柵もむのふのきに運んだ事がある。


「な、まりで遊んでやったろ?」


 猫の麦刀自は、くあ、と欠伸をした。

 真比登は、持っていた鶏の干し肉を、


「食べるかな?」


 と、地面に放ってみた。

 麦刀自は興味を示して、近くに寄ってきた。でも警戒してる。


己亥つちのといの年(十五年前)のことだから、オレを覚えてなくても仕方ないか。

 そういえば、あの時、着飾った豪族の女童めのわらはを見たな。)


 顔など覚えていない。

 ただ、豪族のおみななど初めて見たので、衣の華やかさ、醸し出す雰囲気の派手さだけ、なんとなし、記憶に残ってるだけである。


 ここは桃生柵もむのふのきなのだから、ここに、あの豪族の女童めのわらはも成長して、暮らしているのかもしれなかった。


おみなを避ける生活を続けるオレには、関わりのない事だ。)


 兵士たちが、どこそこの女官が可愛い、医務室で美人の女官に会った、と会話をしても、真比登はただ微笑を浮かべて、右から左に受け流すだけ。

 おみなの話は、真比登とは別の世界の事として、風のように吹き抜けるだけ。


 たまに、何かの使いで、女官が戍所じゅしょ(軍の駐屯地ちゅうとんち)に来ると、さーっと無言で逃げる。

 戰の勝利の宴には、顔を半分隠して出て、給仕の女官に喋る言葉は、はい、ありがとう、どうも。───この三つだけ。


 そうやって、真比登は、おみなを遠ざけていた。


「もういいんだ。オレはずっと、独り身さ。」


 独り言をボソッと言った真比登は、ふわふわの毛並みの魅力に負けて、猫を撫でようと、そーっと手をのばす。

 麦刀自は、さっ、とよけて、走り去ってしまった。








 

     ───完───








    





 ↓挿絵です。

 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093088140333407



 

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