エピローグ
終わりなき理想郷
「ふうっ……何か、今日はどっと疲れたわね」
「ええ、本当ですね。まさかここまで時間がかかるとは思いませんでした……」
山の中腹にあるログハウスに戻り、アルマ様はリビングのソファーに腰掛けるなり深いため息を零した。僕もさすがに疲労困憊であり、椅子に深く腰掛けて一息つく。
時刻はすでに星々が煌々と輝く夜。国への報告や今回の一件の後始末やらに奔走した結果、帰って来た時には最早日付が変わりそうな時間となっていた。
ここまで遅くなった理由としては、パラス達を一人残らず殺してしまった事が大きい。何せ今回の事件の犯人たちは一人として生き残っておらず、尋問が出来なかったからだ。
そのため客観的に見ると僕たちが本当に被害者かどうか疑わしく、また奴らが<普通の人々>の人間であるという証拠も証言も取れないため、誤解を解くのに時間がかかってしまったというわけである。国はともかく憲兵からの疑いが酷かった。
さすがにここまで遅くなってはシエルも帰る他に無かったようで、僕とアルマ様をここに送り届けてくれた後、渋々と自らの師の元へ戻って行った。最新刊の語り合いが出来なくてとても残念そうだったな。
「まあ何にせよ、ようやく面倒な事が終わったわね。これで安心してあんたと色々話す事が出来るわ」
しばらくお互いに無言で休んでいると、唐突にアルマ様はソファーを立ち僕の元に歩み寄ってきた。そうして当然のように僕の膝に腰掛け、ぎゅっと抱き着いてくる。あまりにも軽い体重と確かな温もりを感じて、疲れ切った身でありながらドキリとしてしまう。
「……ずっと私と、一緒にいてくれるのよね?」
「はい、男に二言はありません」
「どんな時も? どんな場所でも?」
「もちろんです。健やかなる時も病める時も、火の中であろうと水の中であろうと」
「何を犠牲にしても?」
「はい。必要とあらばこの命すら」
そうして不安げに、けれどどこか期待を込めて尋ねてきたので、一瞬の躊躇いも無く答えを返していく。
ギリギリの所で救われたとはいえ、すでに愛のために自ら命を断ち、その揺るぎなき愛を証明した身。そして他者の魂から嘘を読み取れるアルマ様からすれば、僕の言葉が真実かどうかは考えるまでも無い。その証拠に花が綻ぶような愛らしい笑みを浮かべ喜んでくれた。
「ふふっ、良かった。それじゃあこれからずっと、私と二人きりで暮らしましょ。
「はい?」
そして何故か、突如としてあらゆる魔法を行使できる魂魄魔法の真骨頂を披露した。どこにも敵などいないというのに、僕の膝の上で幸せそうに笑いながら。
「
行使されたのは恐らく時空魔法。しかしその時空魔法を行使して何をしたのかは分からない。周囲に特に変化は見られない。
しかし、だからこそというべきか。何か猛烈に嫌な予感がしていた。アルマ様の妙に満足気な笑みも相まって。
「……アルマ様? 今のは、一体?」
「時間と空間を弄って、この山の全域を世界から切り離したわ。分かりやすく言うなら、ここはもう別世界。何者にも干渉されず、認識もされず、立ち入る事も出来ない。ここにいる私たちだけの世界になったって事よ」
「……はい?」
そしてアルマ様がご説明下さった内容があまりにも理解できないものであり、思わず首を傾げてしまう。
いや、やったこと自体は理解できる。理解できないのは、そんな事をした理由だ。
「私はネロの事が好き。愛してる。ネロさえいればそれで良い。誰にも渡したくない。でも外の世界には危険がいっぱいよ。あのシエルって小娘みたいにあんたの事を深く愛してる奴が他にもいるかもしれないし、そいつらがいつか私からネロを奪い取ろうとするかもしれないわ。それにあんたは私のためなら平気で命を捨てる奴でしょ? 危険な外の世界にいたら、あんたはまたいつか私の所からいなくなりそうだわ」
滔々とご説明してくださるその内容に、今度こそ理解が追い付かなかった。
僕を失いたくないから別世界に自分ごと隔離する? シエルが僕を愛している? ちょっと何を言っているか分からない。そしてアルマ様の綺麗な瞳が妙に淀んで見えて、ある種悍ましい笑顔に見えるのがとても怖い。
「だから、安全なこの世界で暮らしましょ? 未来永劫、二人っきりで幸せに暮らしましょ?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。理解が追い付きません。え、シエルが僕の事を?」
「そうよ、気が付かなかった? 魔法で視たから確実よ。あの小娘はあんたの事が好きなのよ」
「えぇ……」
他者の精神を読み取れるアルマ様が言うのならば確実だろう。どうやらシエルは僕に恋愛感情を抱いているようだ。
正直全く気が付かなかった。アルマ様一筋だった僕はシエルの事を趣味や信念、目標が大いに共感できる大切な親友としか見ていなかったし、それは向こうも同じだと思っていた。だが思い返してみれば確かに色々納得できる節がある。学院時代に僕との仲を邪推され、噂になっても別段嫌がらなかったのがその最たるものだろう。むしろ満更でも無さそうにしていた気がする。
しかしまさか、恋愛感情を抱かれているとは思わなかった。アルマ様への愛をシエルの前ですら公言していた僕と、アイツは一体どんな気持ちで接していたんだ……?
「ま、まあ、それは今は置いておきましょう。しかしこんな、切り離した別世界を作るというのはさすがに……」
「あんた、前に言ってたわよね。私が他人を必要としないなら、閉じた世界で私を愛して、支えてくれるって。ちゃんと覚えてるわよ?」
「ああ……言いましたね、確かに……」
まさかの言質を取られている事実に、心の中で呻くしかない。
確かに言った事は覚えている。本音なのも間違いない。しかし時間と空間から切り離された閉じた世界を用意してくるとは欠片も想定していなかった。出来たとしても一体誰がそんな事を現実に実行するというのか。
「私とこの世界で暮らしてくれないなら、それでも良いわ。でもその時は私――外の世界を滅ぼすつもりよ」
「はいっ!?」
そんな折、アルマ様が口にしたのは驚愕の言葉。世界を滅ぼすという、ある種<普通の人々>よりも過激な宣言。
冗談ならまだ良い。しかし暗い瞳をして妖しく微笑んでいるアルマ様のご様子からすれば、冗談で片付けられる雰囲気ではなかった。それにアルマ様の真のお力を以てすれば、世界を滅ぼす事など決して夢物語では無かった。
「私からネロを奪う可能性のあるもの、ネロの身の安全を脅かす可能性のあるもの、全てを排除する。あのシエルとかいう小娘もね。私とネロ以外の人間を全て殺した方が確実だから、万全を期して世界を滅ぼすわ。まずはこの国からね」
「ほ、本気、ですか? アルマ様……」
「うん、本気よ。私はそれくらい、ネロの事を大切に想ってる。他に大切な物なんて何も無いもの。あんたを守るためなら、何だってするわ」
戦慄する僕の膝の上で、愛しそうに笑いながら愛の言葉を紡ぐアルマ様。けれどその瞳は何かが決定的に壊れてしまったかのように暗く淀んでおり、澄んだ緑色は見る影も無い。パラスたちの狂信を遥かに上回る程強く、そして粘り気のある歪んだ愛を感じる。
ああ、一体どうしてアルマ様はこんな選択をするほど壊れてしまったのか。過去の悲惨な出来事のせいか、それともたった一人信じられる人間である僕を、永遠に失いそうになったからか。いずれにせよその精神性が完全に常軌を逸しているのは明白だった。
「あっ……」
だが絶句している僕の眼前で、アルマ様は不意にポロポロと涙を零し始めた。湧き水の如く溢れ出るそれは、何だかとても清らかで純粋な物に見える。それを示すように、暗く淀んだ瞳に美しい光が戻っていた。
「本当はね、自分でも馬鹿な事をしてるって分かってるのよ。こんな脅迫みたいな事、嫌われるかもしれないって理解してる。でも、駄目なの……あんたを失う事を考えると、凄く怖くて、生きた心地がしなくなるの……」
そして今度はしゃくりあげながら、堰を切ったように語り続ける。世界を滅ぼすと宣言したとは思えないほどにか弱く儚い姿で震え、濡れた瞳で僕を真っすぐに見つめながら。
「だから私は、何をしてでもネロを傍に繋ぎ止めたい……! ずっと私の物でいて欲しい! 私だけを見て、私だけを愛して欲しいっ! 誰にもネロを、渡したくないのっ!」
放たれるのは、ただただ純粋な独占欲。その根底にある大事な物を失う事への恐怖。
ああ、そうだ。考えてみればアルマ様は最初から臆病な子猫だった。そんなお方が二度と得られないと思っていた大切なものをもう一度手に入れる事ができたなら、それはもう絶対に誰にも渡しはしないだろう。
全てはもう一度失うのが怖いという、幸福の甘さと不幸の苦しみを知っているが故の心の叫び。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ! ネロは誠実で、一途に私を愛してくれたのに、こんな風に仇で返してごめんなさい! 浅ましくてイカれた女で、ごめんなさい……!」
アルマ様は声を上げて泣きじゃくる。顔を両手で覆い、ひたすらに僕への謝罪を繰り返し、自分自身をどこまでも乏しめ蔑む。しかしそれでも僕が欲しい、誰にも渡したくないと吠え続ける。
正直な所、アルマ様のためとはいえ自分の世界を全て捨て去るのは抵抗があった。故郷には家族だっている。学院には大事な後輩だっている。シエルを始めとした仲の良い友人たちもいる。それら全てを切り捨て、二度と会う事も出来ない世界に身を投げるというのは躊躇いがあるどころの話ではない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
けれど、膝の上でひたすらに泣きながら謝罪を繰り返す愛しい人の姿も、決して切り捨てる事は出来ない。
記憶の中の世界では、どれだけアルマ様が傷つき苦しもうと手を差し伸べる事が出来なかった。抱きしめて差し上げる事も出来なかった。あの時に感じた無力感と、それによる己への怒りは未だ胸に強く根付いている。
だが今はあの時とは違う。これは記憶の世界ではなく、現実。決して変えられない過去ではなく、どのようにでも変えられる今だ。
こんな簡単に決断して良い事ではないと分かっている。しかしそれでも以前は助けてあげられなかった事実と、愛する人の涙を前にして迷うほど腑抜けのつもりは無かった。
「――ひゃっ!?」
だから僕は、アルマ様を抱きしめた。小柄で痩せ細ったその身体はすっぽりと腕の中に納まり、不意打ち気味に抱きしめられた事でびくりと震えていた。
「ね、ネロ……?」
「良いですよ、アルマ様。ずっと二人だけで、幸せに暮らしましょう」
そして、僕は了承の言葉を口にした。
確かに外の世界に未練はある。けれど僕はずっと幸せだった。家族愛に溢れた家庭で育ち、友人に恵まれ、孤独も不幸も知らない日々を送ってきた。
しかしアルマ様には誰もいない。ひたすらに孤独で不幸な日々を過ごしてきた、幸せになって然るべき人。そんな人のために、自分の全てを捧げる男が一人くらいいても良いはずだから。
「……良いの? 本当に?」
「はい。僕はあなたが幸せなら、それで構いません。僕と二人だけの世界であなたが幸せだというのなら、喜んでこの身を捧げます。その代わり、アルマ様も捧げてくれますよね? 僕に身も心も。あなたの全てを」
耳元で囁くように甘く、僕の意志を伝える。先ほどまでは迷っていたが、これが僕の答えであり本音だ。
結局の所、やはり僕はアルマ様を愛している。幸せにしてあげたいと思っている。その感情は何よりも強く、捨てる事が出来る訳も無かった。
「ネロ……嬉しい……!」
これが本当にアルマ様のためになるのかは分からない。幸せの形としてはあまりにも歪なモノなのかもしれない。けれど僕に抱き着いてくるアルマ様は、歓喜の涙を零して震えていた。それほどまでに、幸せそうだった。
「うん! 私の全てを、あんたにあげる! え、エッチな事とかも、いっぱい頑張るわ……だから二人だけで、ずっと一緒に暮らしましょ!」
「はい、アルマ様。ずっと一緒です」
「ネロ……大好き。愛してるわ……」
「はい。僕も愛しています、アルマ様……」
頬を赤らめつつも、至福にお顔を綻ばせるアルマ様。
閉じた世界で愛する人と二人きり。誰にも邪魔されず、幸せな世界がずっと続く。傍から見れば紛れも無いバッドエンド。しかも拉致監禁エンドという極めて重い結末である。
僕はこの手のバッドエンドは大嫌いだ。特に登場人物が幸せになれない物語など吐き気がする。現実と物語は違うものだと理解はしていたが、まさか物語を遥かに上回る規模で、なおかつ僕が拉致監禁されるとは夢にも思わなかった。
だが、アルマ様はとても幸せそうだ。まるで文句の付けようがないハッピーエンドを迎えられたかのように、至福の笑みを浮かべている。
これが本当に正しい選択なのかは分からない。けれどもう、そんな事はどうでも良かった。
今はただ、この腕の中の愛しい人を愛して愛して愛し抜こう。ただひたすらに幸せを感じさせてあげよう。それこそが、僕がずっとしてあげたかった事なのだから。
「んっ――」
万感の思いと深き愛を胸に、アルマ様と口付けを交わす。
そうして僕らはお互いに貪るように、あるいは甘えるようにいつまでも唇を重ね続けた――
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二人は二人だけの世界で幸せなキスをして終幕。ハッピーエンド……というよりはメリーバッドエンドかな?
というわけで、本作はこれで完結です。元々公募に出すために書いた物なのでしっかりお話を終わらせる必要があったため、最終的にアルマ様は気合の入ったヤンデレになりました。どうしてこうなった。
ちなみにこの作品をファンタジア大賞に応募した一ヵ月後くらいに、MF文庫新人賞に別の作品を応募しました。そっちはこっちの作品を書いてる時に学んだ事を踏まえて書いた作品なので、こっちよりは全体的にお話が纏まってる感じです。こっちの作品、応募要項を勘違いして必要ページ数の1.5倍近く書いてしまった物を頑張って削って加筆修正した物なので……。
まあMF文庫に応募した方も一次で落ちると思うので、そちらも近い内に投稿しようと思います。最速で来年一月に投稿です。ただそっちは現代ファンタジーなんですよねぇ……。
何はともあれここまで読んで下さった方々、及び評価を下さった方々、本当にありがとうございました。
ネガティブ系猫獣人ロリ師匠と添い遂げたいっ! ストラテジスト @112358-13-19
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